第40話 だから毎日が美しい恋である

文字数 1,538文字

 少し本題を進めよう。6月末日の巴里は一日にシャツ2枚、カフェで飲むアイスティーで換算すると一日に6~7杯程度の気温である。リヨンの大学の留学生案内所、そこの赤いドレスシャツの男が紹介してくれた下宿先、バザールで生活用品を買い溜め、店の奥に何の飾りも付いていない樅の木の鉢植えが並び置かれている。

 半年後、目に痛くて涙が出るくらいの、止まらないくらいの切なさと多幸感を待つ常緑樹の葉は、僕の生活と並行して存在をアピールする。そう、巴里での聖夜は思い出すばかりで移動しないアンティーク調の手づくり木彫りのクリスマスだ。
 フランと店員の笑顔に腑心してドアを閉じると青空には雪のように、小銭に腹空かして、街の埃が舞っているのが心細く、どのくらい前のことだったか、追い払った故国が懐かしかった。

 帰り道、カテドラルの前を通るとカンパネラが鳴る、派手なオープンカーに人だかり、ライスの撒き散らされた赤カーペットに感極まる老夫妻二組、これは誰の、否、いつの結婚式だろう、僕は首を捻りながら通り過ぎ、いつまでも低く響く音響波にドップラーの実験を耳する。
 教会の鐘は時刻を足らしめるものであり、信仰生活の警笛、朝は起きるんだよ、トーストと珈琲と歯磨き洗顔、僕を形作るこの僕は、その、誰かの思し召しってやつの、その誰かに人生の半分を委ねて随時進行している。
 いつか煙草のけむりの、捉えきれない無数のスケジュールも有り難がりながら、僕の歩みは数学的予定調和される。

 仏語の、仏文学への解釈力の無きにひたもすらすら建築的論理を古典に考える。誰かが噂をすれば噂としてそのまま噂を信じ、天気予報の貨幣価値に会話なく、はびこる情報の非対称性もワインで飲み込む然かなし、僕はただただ小説を書く。
 雲が生まれ雲が回電し、頭上に夥しく蓄音機を、数学の哲学的発明を賛歌し、往来は今晩のお祝いでシュプレヒコール続いて、彼女と此処においても邂逅できていない自分を道ばた哀しくもなる。

「フランス革命記念日にファイアーワークスが因み1799発、誰も信じないでしょうが本当の話なんです」

ラジオ音楽も街の楼閣に飲み込まれヴァレーズ「電離(ionization)」の都市模型は箱型に収められる。騒音まざり合うあいだ、同じメロディが順を追ってエンハーモニック位階を昇降している。

 いつか見た花火はカキ氷と彼女の頭痛が交差し、天体望遠鏡を宛ても知らず使用しても詩人は詠んだであろうこと、磁石はまず回転し、今も未だ回転し、思い出すばかり、なか別れ、街角に下駄履き、パフォーマーの音楽は咲き乱れ、花は萎おれ毒を飲み永久と保存され引き出し奥に仕舞われる。

 僕の感慨がセーヌ笹舟、屈原離騒の「泪羅江」を見上げ掲ぐ美徳に重量を増して水没する。僕には彼女が必要で、今まで通り慈しみ、毒杯をバリバリ、形残らず尽くし、音を立てて食べよう、出来ればディナーの予定を腹一杯で叶えようと思う。異国の入相はまつ毛にチクチク眩しくて、道に迷いながら放り投げたまま落下しないコンパス幾何の放物線を辿るのみ。道路としてのエルンスト・トッホ理論、其処で君と僕は互いの激しいダンスのあと曲終を待って、人知れずバルコニーで音を消すように逢引する。


 我君想フ、先ズ君二天体ヲ乞フテ寄リ、君想フ我去私二互ヒ見ツクる。夕刻に通りのカフェテラスがメニューを差し替えるのを昨日も見た光景、此処では祝祭に汗損せず、少し足早に坂道下って黄色い果実のジャムを作ろう。ジャムなんて贅沢、少し気取っている走り自分を三年振りに許そう。そして許し給え。其処に群生するサトウキビではなく角砂糖を量り売り給え。何者で在るか、在るものを喩えよ。一粒の美しいものを喩えよ。某にして等しい己を答えよ。




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