第4話 ワンダーランドへの入り口

文字数 795文字

 「どちらでもいいの」と言った彼女はスリッパで僕の後ろをついてきた。財布は持って来たようなので勘定の心配はなかったが、どうやって家に帰そうか、その時はまだ彼女の喋り上戸を知らず、西新宿の馴染みの立ち飲み屋へエスコート、望遠鏡こそ目的を履き違えた荷物になった。
 
 ヤニと油でしなびた達筆な品書きには焼き鳥とドリンク、ポテトサラダに各種揚げ物、シルクのパジャマの彼女はキョロキョロ見回して、初めて来たお酒を出すお店、「カワイ子ちゃんのご登場」一斉に囃し立てる、大声乱痴気にも立ったまま呑む独特のマナーにもまったく物怖じしなかった。煙草の煙も気にしないし飲んだくれの与太話も笑ってやり過ごした。いい気分でマスターにビールでも勧めればこぞって「一気」とシュプレヒコール、行きずりの連れ合いを皆に冷やかしの種にされたが、次第に緩んだ照れ笑いに変わり、十二時のお伽話も笑って過ごし、彼女は色鮮やかに頬を上気させ、三杯も飲めば解どけた口元から転がる笑い声を洩らした。ジョッキを持つ手が震えて泡が口から顎に、靴へこぼれて、学生の履くものだから大した物ではないのだけれど、彼女はパジャマの袖で拭ってくれた。

 「私のこと好き?」小首かしげ覗いてくるので、どちら付かずの何とも言えない顔、彼女は僕が昔一度会ってきり夢中になった女性に、地球を一周して再び後頭部を引っ叩かれたよう大変よく似ていた。ただそれだけだった。目も鼻も背丈も、まるで生き写しみたいに似ている。
 「好きになりそう?」、目をのぞき返せば説明不足も手伝って、彼女は焼き鳥で頬を膨らませながら、もう一度同じ質問をした。僕はもう答える必要もないその手間を省こう、たった今この嬉しい束縛を運命と信じ、毎夜くり返し何度も何度も、彼女の海外留学の話が流れて、梅雨明けの誤報をキャスターがうんざり飽きるまで「ゆっくり咀嚼を待って(僕を)彼女に一目惚れさせた」。




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