第29話 それがだから僕にはわからなかった

文字数 4,426文字

 眠気まなこに冷蔵庫を漁る、手がひんやり首筋も冷え、閉じるが早いか空の冷蔵庫に未練の糸くず一本も残っていなかった、溜め息白くコンセントを引っこ抜く。フライトは午後四時、トースターとコーヒーメーカーに最後の稼働をさせながらラジオからニュース番組をリビングに垂れ流す。

 スーツケースには詰め切れない物も、例年より早い梅雨明け、この街に残して、スコールと猛暑、ちょっとずつでいいから余計な荷物を譲って生きていければいいと手持無沙汰の自分を慰める。

 窓の外で廃品回収業車が警告音を発しながら近づいてきて、掛け声のあと僕の食事は別の興味を辿った。煙草を切らしていた。仏国のたばこ税も調査を未だ、買い置き要らぬは要らぬ用心あみだ走らせ、つっかけ財布部屋の鍵、寝間着を見られる旅恥に甲斐もないのは諸々の脱ぎ捨ててきた身軽さに所以する。

 雲はどんより空に蓋し、這いつくばった街並みが今日この国を出て行くであろう、荷物重量小数点以下を演算している。たばこ屋の主人は欠伸して、日本製煙草三カートンとライター、察しの良さが手伝い事情を並べるともう一箱は負けてくれた。
 時計は十時十五分、ふざけた名前の朝刊は未払いのまま仕方ない大家さんに放り投げればいい、日本を離れる前に挨拶だけはしておこう、甘菓子を二つ買う、自宅には沸かした珈琲がまだ残っている。

 気紛れ紛らし吐煙洩らし、湿度に衣服が肌にへばり付くのを窮屈に、嘗ての程よい窮屈に喩えながら白い建物、灰色のガスステーション、駐車場には野良猫が戯れ、観光客がバス停からキャリーを引きながら無理に無理言って同時にカメラを構えようとしている。

 何にもないよ、何にもなかったんだ、何てことない、ズボンの裾を引きずって歩いて、このサンダルも捨ててしまやあ良かったな、見慣れた道にさよならを配って長年住んだマンションの平らな外観をぼんやり眺める。
 駐輪場の自転車はすべて出払い、それ以外、隣のゴミ捨て場にはそれ以外何も残っていなかった、全く何も、それ以外、カラフルな椅子の他には、何も見当たる物は残っていなかった。

 少し斜め上の煙を見上げながらフェルマーの最終定理を浮かべた。問題は難解だったことではなく、また解答者が出たことでもなく、nが2より大きいとき条件代数x、y、zの組式が自然数解を持たない(該当しない)。そう、そもそも条件が揃えば、揃わなかった場合の、両極のフィールド的可換半群を成るべく解り易く演算つづき統合的に証明することに設問理由が在った。

 今日はゴミの日である。二週間に一度の燃えないゴミの収集日である。その日の根本的なルールに提案されたゴミでないものは無論回収されず、然るべき曜日に再度回収業者がやって来る。
 条件を満たさなかった物は本日の自治体の規約に属しなかった。それが三百年後にも別の分野で一般証明されている。椅子が、あの椅子がそこに、組み立てられて置いてある。

 そう容易くは君って存在は消えてくれやしないのだな、そして仮説三年間も風船ガムを噛み続け味わった僕は、ヒポクラテスの誓うその先の神の思し召しの繰り返し、祈りに、ワインのお祝いの空振りも、過去の精算なんだか、呑み屋のツケお節介払い、長編小説がいつか書き上がるなら原稿料の前借り、ボーイングで飲むビールも胃に換算していたので序いで買うつもりもなかった。移動中の暇潰しはインテリア雑誌、思い描いた幸福ってやつの、横断歩道の、信号機の、シャボン玉が移ろい強靭性を抜群に発揮して、屋根の上で、今迄も此処からも凡て閉じ込めて仕舞う、地球って公転から抜けられない牢獄のようなその物体xに。

 部屋で落ち着いたら化石みたいな音楽を聞こう。シーラカンス釣りのように釣り針に太古のオキアミの練りエサを纒わせて、重力の向かうままに海底のクレーターに沈み沈ませる。枕は旅行鞄でも良いので水色のタオルケットに包まろう、腕時計は十一時、二時間後に家を出れば成田に間に合う、間に合わせるつもりないだろう気がかりの模型製作者は耳の裏に棲まうのだが、何れ解答に適った解釈が必ず訪れるだろう、そして訪れた。

「ちゃっかちゃん」

 ゴミ置き場に忘れ去られた椅子、走ってきて座り両脚をブラブラさせて、満面の笑みで手を振る少女、屈託のない笑顔で「カキ氷のたべ過ぎで頭がいたいのさわってみて」。うーん、捻り首に筋を傷めんが納得の行かないことが此処のところ最近、相談する相手も居ないので隣に腰掛けては以前聞いた幼稚園の気になる男の子、その話題を振ってみた。隣の頭痛病みは「もうむかしのはなし」。何故頭がいたいのに笑ってるのか訊ねてみると「おいしかったから」だそうだ。そしてそれも「むかしのはなし」。

 僕はなるべくたくさんのことを話したい。なるべくゆっくり、思い残しの無いよう、冷静に、沈着して、君に訊ねるよ。君が今座っている椅子は一度壊れて、直し方がわからなくなって、いらなくなって、ゴミに捨てたんだ。思い入れは在るけれど、君とこうやって話すのも最後かもしれない。ここから全て新しいことを始めていくために、「およめさん」とお別れしたんだよ。その壊れていた椅子が直って、君が座っている、頭が痛い?、僕もだよ「ちゃっかちゃん」はあたまが少しだけくらくらするんだ。そしてもう「作家さん」ではなくなる。

 彼女は鼻をすすった。鼻の周りの濁った大気を浄化するよう忙しなくすすった。してして涙声で絞り出したのは「けんかばっかりしてるからだよ」「うん。そうだ。」「たのしいことかんがえないからなんだよ。」「うん。そうだ」「ばんごはんなにがいい?ってきかれてもたべたいものをはっきりいわないからなんだよ」どれが誰の言葉か判らないまま時間ばかり風に流れていく、悪戯っ子のベロ出しで「アイス食べりゅ」いいや、けっこう、二人で立ち上がると足元でガタ、ゴトゴト木片崩れる音がした。

 じゃあね、走っていく後ろ髪に見覚えありや、深入りされないで良かった点も在るが、斬新しくも野暮なアポリア、難題が残された。厄介ごととまでは言わないまでも片付けるに手間も思考も恥外聞の引き受け手に挙手も道路横断に久しぶりの引っ込みつかずだった。

 火のないタバコを咥えたまま子供の頃に犬に追いかけられた記憶がまざまざ、燐寸に擦り手、石に藁、逃げ場のない鬼ごっこは大人になってからの遊びだが、相手も居ないのにしゃがんで転がす積み木遊びは、雲間から夏にやって来るピース缶の青々とした隙間に仕舞い畳むは今日の店、話に結末の見えないまま落とし洩れなく小脇抱えてマンションの階段を上がった。

 セロニアス・モンクは煙草を咥えているだけでニコチンが脳髄に廻り酔いにまかせて演奏したらしい。ノーベル、起爆済みの爆弾に導火線は必要ない、導火線のない目的も然り。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは高級酒アブサンに召され、フルリュス通り27番地には一輪のバラが質量だけを変え幾重にも繋がり、アインシュタインは賽子の持ち主を宛て先歩く、エズラ・パウンドに至っては理想の大学を積もる落ち葉の中へその校舎だけ残した。

 彼女が僕に何かしらの伝言を残すのは、それが上手でないことも以前のありふれた茶飯事で、何かしらの「原因」を毎度土産にしている「理由」のはずだった。

 僕は酒に弱くなり強めのタールも早死したいだけのポーズ、ライオン狩りにも釣りにも出かけない、物語の動機の発見にもその目的を失ってしまっている骨董品店のタイプライターの値札だけ揺れているようなものだった。
 午前中からこんなでは午後のフライトも荒れ模様だな、スチュワーデスは救命器具の説明を手短にしてくれるだろうか、食事にビアは付くか、隣の客は鼾に親切だろうか、心配事の賽の河原は視線をはるか対岸に向ける。



  (映画の)上映開始時刻と終演時刻(ディナータイム)の勘違いのはなし


 肝心要の腹が減っている時に気の滅入る珈琲と煙草と仕事の話が我先に飛び込んできていた繁忙期に彼女は気を遣ってか僕を映画に誘った。大して面白くもない、話題にもならなかった映画で、でも僕はそのエンディングだけしっかりと覚えている。

 彼女の予約した眺望の良いリストランテではナプキンを取るとすぐにドリンクメニューの記載された紙製コースターが置かれ、オーダーが済むと食前酒とチェーサーがテーブルに並んだ。食べるのに順番なんて、言い逃れに水、彼女の講釈に水、忙しい店内にアルコールから意識だけ手離して、物語の起承転結や食事の礼儀作法、マナーの手解きを受けたがそれは注して覚束無い。

 パスタは美味しい、お酒も美味しい、マッシュポテイト、カリブ風アサリの酒蒸し、ひとつ不味かったのが一週間前、彼女が僕のスケジュール帳を覗いて無断で書き込みを入れたことだった。映画館での放屁も違反で食後のげっぷもNG、コペルニクス的転回は如何に彼女の、気もそぞろ、油断を作り、笑顔や大笑いを量産するか、忙しい時分には気付けなかった些事を再発見し、再発見させ、問題と解答が山積みのティータイムを大団円と向かわせるか。

 先方の映画を気に入ったらしく、額に青筋立ててシノプシスを説明するが僕にはそうと、やっぱり面白くも思えず、顎ばかり動かして上の空、明日はイッスーの締め切り、その翌日は観てもいない単館系映画コラム、本分の小説は出版社が寝ながら待っていてくれているが呼吸心拍に任せ一息に書き上げるつもりだ。会話がちぐはぐなのも楽しい食事に役買って、支払いに満足のいく英気は養えた。

 いつか脱稿の祝いで不精ながら身支度を整え今度は彼女を僕のディナータイムへ、不服な彼女は下手な心配や手持ち無沙汰に陥ることなく自身のインテリアデザインに執心していたが、アイディアに行き詰まると書斎にやって来ては花瓶と僕の仕事に水を差した。

 此度、登場人物Aがフォークとナイフをカチカチ鳴らす無作法には、果た又た過剰にそっと異常なほど丁寧にナプキンを揃える当て付けには理由がある。原因は好奇心や愛情の類であり其処にヘソを曲げるのであれば共同で風呂やトイレを使うのにもその理由にも疑問を持たなくてはなくなる。

 つまり、つまりはだ、共通項とその相違を検索し算上する必要が必ずある。但しはなはだ面倒くさいので結論にのみ肩寄っかかると、それは彼女がすごく見たかった映画で、僕と一緒に見たかった(紹介したかった)冒険活劇で、その時刻を手帳に書き間違えたのだから自分が悪いのだけれど、普段僕が彼女をあまりかまってやれていない過去事実から、負けが僕にあるように思いその夜眠るまで不機嫌が続き、翌朝テーブルで新聞を開いて気付いたのだがそもそも其の映画はシリーズ物の二作目で、恨めしいのに大好物の目玉焼きが一個、彼女が三個だった。

 そして僕は一作目を未だ拝観していない。醤油も胡椒も少なくて済んだが腹は減るし腑にも落ちない。




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