第41話 瀬名さん、緊張します
文字数 2,526文字
例のごとく夕べはビジネスホテルで別々の部屋で泊まった。
淡白、というよりは僕と瀬名さんの『人生観』(ちょっと大げさだけれども)によるものだろう、多分。
そして予告どおり瀬名さんの両親と会う。
トップバッターはお母さん。
場所はハンバーガーのチェーン店。
理由は、全員高校生バイトで、瀬名家のことをあれこれ噂立てる心配がないからだ。
お母さんの印象は、顔が瀬名さんに似てるな、ってだけだった。
「・・・父さんとは会ってるの?」
「いいえ。満月 が大学辞めてからは一度も。ねえ、気根さん」
「はい」
「あなた、満月 と結婚するつもりなの?」
「はい。そうしたいと思ってます」
「やめた方がいいわ」
「え」
「母さん!」
「だって、考えてみて。わたしの娘なのよ? 気根さんがもし経済的に立ち行かなくなったら迷いなく離婚するに決まってるわよ」
僕はなんと反論すればよいのか。
考えてもどうしようもないので、自分が答えたいように答えた。
「それでも構いません」
「気根さんて、バカなの?」
「バカなのかもしれません。でも、もし満月 さんがお母さんと同じだとしたら、離婚されないように一生懸命働きます」
「満月 」
呼びかけに応えず瀬名さんはお母さんを睨みつけている。
「満月 は気根さんのご両親と同居するつもりなんでしょ」
「だったらなに」
「私のことはどうするつもり」
「彼がいるでしょ」
瀬名さんは自分の兄を「彼」と呼ぶ。雑然とするハンバーガー屋のこの一角だけ緊張感がどんどん高まってくる。
「栄太はダメよ。世界に出て活躍しないといけないから」
「・・・あなたのそういう所が嫌なのよ」
瀬名さんはとうとう母親のことも『あなた』と呼び始めた。僕は2人のやりとりを聞いているしかない。
「なによ満月 、ぱっとしない大学の、それも中退の自分よりも優秀な栄太のことを僻 んでるの?」
・・・まあ、ぱっとしない大学だってのは事実だけど・・・それにしてもなあ・・・
瀬名さんはアイスコーヒーのカップをタン、とテーブルに置いて一気に喋った。
「僻みはある。でも、そうじゃない。事実を受け入れないあなたを見てるとムカムカくるのよ」
「事実ってなによ」
「子供に依存するつもりなら最初っから長男にあんな道歩ませるなってことよ!」
すごくよくわかる。
20歳になったばかりだった瀬名さんは社会人として機能不全に陥ったご両親のために自己破産の手続きを取りまとめ、自らは大学中退という形で進退を決し、あまつさえ研究に没頭する長男にとってかわって就職して病気のせいで経済的に不安定な父親を金銭面でも支援している。
『やってらんない』
瀬名さんの、それは本音だろう。
けれどもお母さんの最後のセリフは、僕の予想を遥かに上回るレベルだった。
「おお怖 。やっぱり『あの人』の娘だわ」
なに言ってんだ、この人は。
・・・・・・・・・・
母親との面談を終えた僕と瀬名さんは次の面会ポイントへ徒歩で向かっていた。
「ごめんね気根くん。疲れたでしょう?」
「いいえ。瀬名さんこそ大丈夫ですか?」
「子供の頃からだから慣れてるわ。ただ、祖母がいなくなってからは中々に耐え難かったけれども」
ここよ、と瀬名さんが指差したのは洋菓子も和菓子も扱う小さく古風なお菓子屋さんだった。
こんにちは、と瀬名さんが暖簾をくぐるのに僕も続いた。
「満月 ちゃん、元気だった? 」
「女将 さん、すみません。定休日なのに無理言って」
「いいのよ。どっちみち午後からは仕込みしてるんだから。で、こちらが彼氏さん?」
「気根です」
「梶田です。満月 ちゃんから噂は聞いてるわよ」
「え? 噂?」
「ご両親の後始末に帰省してた時にね。『生まれて初めて彼氏ができたんです!』ってはしゃいじゃってさあ」
「や、やめてください」
「あら、いいじゃない。気根さん、末永く満月 ちゃんを可愛がってあげてね」
「お、女将さん、父は?」
「もういらしてるわ」
まだ二十代後半だというこの店の女将である梶田さんは、店内に4テーブルだけの喫茶コーナーに案内してくれた。
ぽつん、とうつむいて、白のワイシャツにチノパンの痩せた男性が座っている。瀬名さんは無視して梶田さんにオーダーする。
「すみません、わたしはきんつばと扇の練り切り、それとブレンドをお願いします。気根くんは? 洋菓子もここはおいしいわよ」
「じゃあ・・・シュークリームとブレンドを」
「あら。気根さん。うちのシュークリームはイチ推しよ。さすが満月 ちゃんの眼鏡にかなった男の子ね」
僕がちらちらと向かい側に座る男性を見ていると瀬名さんがようやく反応した。
「父さんは? 何か食べる? 飲む?」
「・・・俺は、いい」
「そう。欲しくなったら言ってね」
瀬名さんのお父さんはそのまままた沈黙する。隣同士に座る僕と瀬名さんと時折梶田さんが加わって会話をするだけの時間が流れる。
『父はうつ病で落ち込んでる時はそれだけでつらいの。無理に話しかけないでね』
瀬名さんの事前情報があったので、僕は流れのとおりにした。
「気根くん、そろそろ出ようか。女将さん、ごちそうさまでしたー」
「はーい。今お会計行くわねー」
奥の厨房から梶田さんが戻る僅かな時間が最後のチャンスだと思い、僕は話しかけた。
「お父さん」
「・・・・」
「僕は、満月 さんに報いてあげようと思います」
「気根くん・・・・」
「ああ・・・頼むよ。俺はできなかったから・・・」
「父さん・・・・」
・・・・・・・・・
「すっかり遅くなったわね」
「でも、これもいいですよ」
昨日の浜辺にはこの時間でもまだ小・中学生が何人も歩いている。
さすがにみんな帰り支度を始めてはいるけれども。
僕と瀬名さんも一応水着に着替えてはみたものの、水に入るまでの元気はなかった。
レジャーシートの上に2人で体育すわりをする。
夕陽の柔らかな光線なので、パラソルは必要なかった。
「これじゃ色彩がわからないわね」
そう言って瀬名さんはフルーツ柄のワンピースの水着の胸あたりの布をちょっとつまむ。
青を基調とした布地はオレンジ色に射られて少し悲しい色に映えている。
「もう会うことないかもね」
「ご両親とですか・・・」
「ええ・・・」
僕は体育座りからあぐらに切り替える。
「せめてもう一回は会ってもらいますよ」
「え」
「結婚式で」
「気根くん。やっぱりあなたでよかった」
淡白、というよりは僕と瀬名さんの『人生観』(ちょっと大げさだけれども)によるものだろう、多分。
そして予告どおり瀬名さんの両親と会う。
トップバッターはお母さん。
場所はハンバーガーのチェーン店。
理由は、全員高校生バイトで、瀬名家のことをあれこれ噂立てる心配がないからだ。
お母さんの印象は、顔が瀬名さんに似てるな、ってだけだった。
「・・・父さんとは会ってるの?」
「いいえ。
「はい」
「あなた、
「はい。そうしたいと思ってます」
「やめた方がいいわ」
「え」
「母さん!」
「だって、考えてみて。わたしの娘なのよ? 気根さんがもし経済的に立ち行かなくなったら迷いなく離婚するに決まってるわよ」
僕はなんと反論すればよいのか。
考えてもどうしようもないので、自分が答えたいように答えた。
「それでも構いません」
「気根さんて、バカなの?」
「バカなのかもしれません。でも、もし
「
呼びかけに応えず瀬名さんはお母さんを睨みつけている。
「
「だったらなに」
「私のことはどうするつもり」
「彼がいるでしょ」
瀬名さんは自分の兄を「彼」と呼ぶ。雑然とするハンバーガー屋のこの一角だけ緊張感がどんどん高まってくる。
「栄太はダメよ。世界に出て活躍しないといけないから」
「・・・あなたのそういう所が嫌なのよ」
瀬名さんはとうとう母親のことも『あなた』と呼び始めた。僕は2人のやりとりを聞いているしかない。
「なによ
・・・まあ、ぱっとしない大学だってのは事実だけど・・・それにしてもなあ・・・
瀬名さんはアイスコーヒーのカップをタン、とテーブルに置いて一気に喋った。
「僻みはある。でも、そうじゃない。事実を受け入れないあなたを見てるとムカムカくるのよ」
「事実ってなによ」
「子供に依存するつもりなら最初っから長男にあんな道歩ませるなってことよ!」
すごくよくわかる。
20歳になったばかりだった瀬名さんは社会人として機能不全に陥ったご両親のために自己破産の手続きを取りまとめ、自らは大学中退という形で進退を決し、あまつさえ研究に没頭する長男にとってかわって就職して病気のせいで経済的に不安定な父親を金銭面でも支援している。
『やってらんない』
瀬名さんの、それは本音だろう。
けれどもお母さんの最後のセリフは、僕の予想を遥かに上回るレベルだった。
「おお
なに言ってんだ、この人は。
・・・・・・・・・・
母親との面談を終えた僕と瀬名さんは次の面会ポイントへ徒歩で向かっていた。
「ごめんね気根くん。疲れたでしょう?」
「いいえ。瀬名さんこそ大丈夫ですか?」
「子供の頃からだから慣れてるわ。ただ、祖母がいなくなってからは中々に耐え難かったけれども」
ここよ、と瀬名さんが指差したのは洋菓子も和菓子も扱う小さく古風なお菓子屋さんだった。
こんにちは、と瀬名さんが暖簾をくぐるのに僕も続いた。
「
「
「いいのよ。どっちみち午後からは仕込みしてるんだから。で、こちらが彼氏さん?」
「気根です」
「梶田です。
「え? 噂?」
「ご両親の後始末に帰省してた時にね。『生まれて初めて彼氏ができたんです!』ってはしゃいじゃってさあ」
「や、やめてください」
「あら、いいじゃない。気根さん、末永く
「お、女将さん、父は?」
「もういらしてるわ」
まだ二十代後半だというこの店の女将である梶田さんは、店内に4テーブルだけの喫茶コーナーに案内してくれた。
ぽつん、とうつむいて、白のワイシャツにチノパンの痩せた男性が座っている。瀬名さんは無視して梶田さんにオーダーする。
「すみません、わたしはきんつばと扇の練り切り、それとブレンドをお願いします。気根くんは? 洋菓子もここはおいしいわよ」
「じゃあ・・・シュークリームとブレンドを」
「あら。気根さん。うちのシュークリームはイチ推しよ。さすが
僕がちらちらと向かい側に座る男性を見ていると瀬名さんがようやく反応した。
「父さんは? 何か食べる? 飲む?」
「・・・俺は、いい」
「そう。欲しくなったら言ってね」
瀬名さんのお父さんはそのまままた沈黙する。隣同士に座る僕と瀬名さんと時折梶田さんが加わって会話をするだけの時間が流れる。
『父はうつ病で落ち込んでる時はそれだけでつらいの。無理に話しかけないでね』
瀬名さんの事前情報があったので、僕は流れのとおりにした。
「気根くん、そろそろ出ようか。女将さん、ごちそうさまでしたー」
「はーい。今お会計行くわねー」
奥の厨房から梶田さんが戻る僅かな時間が最後のチャンスだと思い、僕は話しかけた。
「お父さん」
「・・・・」
「僕は、
「気根くん・・・・」
「ああ・・・頼むよ。俺はできなかったから・・・」
「父さん・・・・」
・・・・・・・・・
「すっかり遅くなったわね」
「でも、これもいいですよ」
昨日の浜辺にはこの時間でもまだ小・中学生が何人も歩いている。
さすがにみんな帰り支度を始めてはいるけれども。
僕と瀬名さんも一応水着に着替えてはみたものの、水に入るまでの元気はなかった。
レジャーシートの上に2人で体育すわりをする。
夕陽の柔らかな光線なので、パラソルは必要なかった。
「これじゃ色彩がわからないわね」
そう言って瀬名さんはフルーツ柄のワンピースの水着の胸あたりの布をちょっとつまむ。
青を基調とした布地はオレンジ色に射られて少し悲しい色に映えている。
「もう会うことないかもね」
「ご両親とですか・・・」
「ええ・・・」
僕は体育座りからあぐらに切り替える。
「せめてもう一回は会ってもらいますよ」
「え」
「結婚式で」
「気根くん。やっぱりあなたでよかった」