第54話 瀬名さん、ナイター泣けますね
文字数 3,346文字
瀬名:気根くん、当たっちゃった!
気根:え? 何がですか?
瀬名:『苦面 イージーズ vs オリオリ・アーマディロズ !』
瀬名さんが勤めるホテルグループの上得意である旅行会社の企画に応募していたら瀬名さんが見事チケットをゲットしたらしい。ペアで宿泊付きでプロ野球のナイター観戦ツアーだ。場所は大阪の京セラドーム。
瀬名:気根くん、安心して。社員で関係者だからツインルームを使うわけにいかなくてシングルで別部屋だから
いや。安心、と言えばいいのか、複雑だ。
瀬名:あとはちょっとだけ制約条件
あるけど、我慢してね
なんだろ。
・・・・・・・・・・
そういう訳で8月ももう終わるという今、瀬名さんと僕は大阪の地を踏んだ。ふたりとも初大阪だ。
「瀬名さん、夕方まで時間ありますね。どこか行きたいところありますか?」
「通天閣」
という訳で登った。
エレベーターの中で瀬名さんが語る。
「中学の頃、赤井英和さんの映画を観てね。『どついたるねん』ていうボクシング映画と『王手』っていう賭け将棋師の映画。両方とも通天閣に登るシーンがあるのよ」
「中学でそんなの観てたんですか?」
「うん」
ふたりの会話にエレベーターに同乗していたおじさんが割り込んでくる。
「お姉さん、いいセンスしてはるわ。赤井さんゆうたら地元のヒーローやで」
「ええ。ほんとにそうですよね」
「に、しては赤井さんとは似ても似つかわん、やさしそ〜うな彼氏はん連れてはるなあ」
ほっとけ! とは怖くて言えない。代わりに瀬名さんがにこっと笑っておじさんに言った。
「彼、ナイフを持ったコンビニ強盗からわたしを助けてくれたんですよ」
「へえ! ほんまかいな!?」
「ええ。ほんとです」
「いやー、人は見かけによらんというか。お兄さん、えらいすまんかったねー」
「いえ」
ストーカー・コンビニ強盗から瀬名さんを助けたというのはまあ、事実ではある。けれどもあの間抜けなシチュエーションを武勇伝として語れるほど僕は図々しくはない。
「ビリケンさん、気根くんの病気が良くなりますように」
展望台から新世界を見下ろしたあと、細目で微笑む神様の前で瀬名さんがつぶやくのが聞こえ、なんともじーんときてしまった。
・・・・・・・・
「佐原です。よろしく」
「塚本です。よろしく」
京セラドームで2組の50代の熟年カップルと自己紹介を交わす。
佐原夫妻と塚本夫妻。
2組とも晩婚で初婚、職場での責任も既に重く、遠出ができないため国内近場の大阪へ新婚旅行に来たカップルだ。そして瀬名さんの今回チケットゲットの条件が、この2組のカップルのナイターデートをアテンドすること。結局体良く仕事と絡められた企画、ってことだ。
「瀬名さん、野球とか詳しいんですか」
「一応、苦面イージーズは実家方面のチームだから選手の名前とかは大体。ルールを知ってるかはこの間のソフトボールの時の感じでなんとなくわかるでしょ」
「ああ。そういえば」
確かに、キャッチャーとしてやたら冷静でサマになってるとは思った。
なにはともあれ、一見非社交的に見える瀬名さんは実はとても気が回る。アテンド役として完璧に両夫妻を楽しませていた。
「はい。どうぞ」
「お!」
「わあ! ありがとうございます」
「いいの? もらって」
「はい。これもツアー企画の一部ですから」
瀬名さんが買ってきたのは4本の応援マフラータオル。佐原夫妻も塚本夫妻も北にホームを置くイージーズの近隣県在住で瀬名さんと同じく全員イージーズファン。ただし仕事が忙しく球場まで足を運んだことはない。
実は瀬名さんは予算の上限を指示されているだけでサービスの内容はここ京セラドームで臨機応変対応なのだ。両夫妻の好きな選手を事前に調べておいての心配り。このいじらしい新婚さんたちの初イージーズ観戦を盛り上げてあげたいというストレートな思いでの素直な行動、ということだ。
そして、お弁当の手配、ビールとおつまみの調達も流れるような手際だった。
『うーん。ウチの母親が欲しがるわけだ・・・』
妙なところで納得してしまった。
・・・・・・・
僕らが並ぶ6席のシートは終始和やかな雰囲気だが、試合は白熱するあまりエキサイトしてきた。同点で迎えた終盤9回表。ツーアウト2塁、バッターボックスにはイージーズ4番の外国人助っ人、チャットナー。
「あ、危ない!」
アーマディロズのやはり外国人リリーフ、ベクターがチャットナーのヘルメットを掠める豪速球を投げ込んだのだ。
バットを放り投げ、鬼の形相でゆっくりとマウンド上のベクターに向けて歩き出すチャットナー。
その瞬間、瀬名さんがすっくと立ち上がり、メガホン片手に怒声を上げた。
「Hey, Chatner ! Crush Bector’s testicle by your hitting !」
英語だ。しかもどこからどう出せばこんな大音量が出るのかというぐらいに球場に響き渡るような怒鳴り声。周囲の観客が一斉に瀬名さんを見る。
フィールドにいる当のチャットナーも瀬名さんの方を見ている。
そして、真っ白な歯をむき出しにしてニヤリ、と瀬名さんに笑いかけた。
そのまま踵を返してバットを拾い上げ、バッターボックスに戻った。
チャットナーはバットをまっすぐセンター方向に向けて指し示す。
予告ホームラン?
いや、それにしてはバットの位置が低すぎる。
「チャットナー、やるつもりだわ」
瀬名さんが呟く。
「瀬名さん、さっき何て叫んだんですか?」
「センター返しよ! って」
いや、違う。そんなおとなしい上品な表現では決してなかったはずだ。ほとんど聞き取れなかったけれども、瀬名さんが『crush !』と叫んだのだけは認識できた。それに、チャットナーのなんとも意味深な笑い顔は異様だった。
そしてマウンド上のベクターのセットポジションがやたら不自然だ。
なんだかえらく内股で構えているように見える。そして、表情が極度に怯えているように見える。
だが、ようやく腹が据わったのだろう。ベクターが投球モーションに入り、投げた。
スピードガンがこの日最速の158km/hを示す。そしてまたもや厳しいインコース攻め。
チャットナーは目を見開いて渾身のスウィングをする。
カッ!
打球が速すぎてインパクトの音が後からついてくるような気がした。
ボールはあっという間にマウンド上のベクターの元へ、たまらずベクターが足を開いてジャンプする。そして、
「Outch!」
ベクターの叫び声を無視するように打球は彼の股間を掠め、センター前へ抜けて行った。
2塁ランナーは俊足のチーム最高齢クラウン・カズこと松本カズキ選手、42歳。光のようにホームベースを駆け抜けた。
土壇場で勝ち越し、狂喜乱舞するイージーズの応援団。1塁ベース上でチャットナーが瀬名さんの方を向いて全く聞き取れない早口の英語でなにやらまくし立て、ガッツポーズをした。
チャットナーに向けてVサインをする瀬名さん。
瀬名さんの怒声は意味としてはピッチャーを狙って打てということだったのだろうけど、きっと直訳はこうだったんだろうと思う。
『キン◯マ潰せ!』
・・・
9回裏。若きクローザーの松木が三者三振に切って取り、見事イージーズの勝利。佐原夫妻も塚本夫妻も大喜びだ。
「いやー、瀬名さんありがとう。最高の夜になったよ!」
「ほんとよー。ほんとは海外行きたかったんだけど大阪にしてよかったわ。一生の思い出よ!」
両夫妻はこの後大阪の街を少しぶらぶらしてからホテルに戻るという。
最後に6人で記念撮影して別れた。
・・・・・・・・
僕と瀬名さんがホテルに戻ると、ロビーの大型テレビのニュースで、ちょうどさっきの試合のヒーローインタビューをやっているところだった。
ビジターなのでお立ち台ではないがチャットナーと通訳が並んでいる。
『・・・はい。えー、スタンドにいた観客の女の子が立ち上がって気合入った大声援をしてくれたので燃えました・・・』
「わ、すごい。瀬名さんのこと言ってますよ!」
「そ、そうね・・・・」
瀬名さんの様子がおかしい。
そして、画面の中の通訳の様子もおかしい。
『え、えーと・・・』
『Hey you! Speak loud !』
そう言った後早口でまくしたてるチャットナーの英語も通訳の日本語も、ほとんど『ピー』という音ばかりで訳が分からなかった。
気根:え? 何がですか?
瀬名:『
瀬名さんが勤めるホテルグループの上得意である旅行会社の企画に応募していたら瀬名さんが見事チケットをゲットしたらしい。ペアで宿泊付きでプロ野球のナイター観戦ツアーだ。場所は大阪の京セラドーム。
瀬名:気根くん、安心して。社員で関係者だからツインルームを使うわけにいかなくてシングルで別部屋だから
いや。安心、と言えばいいのか、複雑だ。
瀬名:あとはちょっとだけ制約条件
あるけど、我慢してね
なんだろ。
・・・・・・・・・・
そういう訳で8月ももう終わるという今、瀬名さんと僕は大阪の地を踏んだ。ふたりとも初大阪だ。
「瀬名さん、夕方まで時間ありますね。どこか行きたいところありますか?」
「通天閣」
という訳で登った。
エレベーターの中で瀬名さんが語る。
「中学の頃、赤井英和さんの映画を観てね。『どついたるねん』ていうボクシング映画と『王手』っていう賭け将棋師の映画。両方とも通天閣に登るシーンがあるのよ」
「中学でそんなの観てたんですか?」
「うん」
ふたりの会話にエレベーターに同乗していたおじさんが割り込んでくる。
「お姉さん、いいセンスしてはるわ。赤井さんゆうたら地元のヒーローやで」
「ええ。ほんとにそうですよね」
「に、しては赤井さんとは似ても似つかわん、やさしそ〜うな彼氏はん連れてはるなあ」
ほっとけ! とは怖くて言えない。代わりに瀬名さんがにこっと笑っておじさんに言った。
「彼、ナイフを持ったコンビニ強盗からわたしを助けてくれたんですよ」
「へえ! ほんまかいな!?」
「ええ。ほんとです」
「いやー、人は見かけによらんというか。お兄さん、えらいすまんかったねー」
「いえ」
ストーカー・コンビニ強盗から瀬名さんを助けたというのはまあ、事実ではある。けれどもあの間抜けなシチュエーションを武勇伝として語れるほど僕は図々しくはない。
「ビリケンさん、気根くんの病気が良くなりますように」
展望台から新世界を見下ろしたあと、細目で微笑む神様の前で瀬名さんがつぶやくのが聞こえ、なんともじーんときてしまった。
・・・・・・・・
「佐原です。よろしく」
「塚本です。よろしく」
京セラドームで2組の50代の熟年カップルと自己紹介を交わす。
佐原夫妻と塚本夫妻。
2組とも晩婚で初婚、職場での責任も既に重く、遠出ができないため国内近場の大阪へ新婚旅行に来たカップルだ。そして瀬名さんの今回チケットゲットの条件が、この2組のカップルのナイターデートをアテンドすること。結局体良く仕事と絡められた企画、ってことだ。
「瀬名さん、野球とか詳しいんですか」
「一応、苦面イージーズは実家方面のチームだから選手の名前とかは大体。ルールを知ってるかはこの間のソフトボールの時の感じでなんとなくわかるでしょ」
「ああ。そういえば」
確かに、キャッチャーとしてやたら冷静でサマになってるとは思った。
なにはともあれ、一見非社交的に見える瀬名さんは実はとても気が回る。アテンド役として完璧に両夫妻を楽しませていた。
「はい。どうぞ」
「お!」
「わあ! ありがとうございます」
「いいの? もらって」
「はい。これもツアー企画の一部ですから」
瀬名さんが買ってきたのは4本の応援マフラータオル。佐原夫妻も塚本夫妻も北にホームを置くイージーズの近隣県在住で瀬名さんと同じく全員イージーズファン。ただし仕事が忙しく球場まで足を運んだことはない。
実は瀬名さんは予算の上限を指示されているだけでサービスの内容はここ京セラドームで臨機応変対応なのだ。両夫妻の好きな選手を事前に調べておいての心配り。このいじらしい新婚さんたちの初イージーズ観戦を盛り上げてあげたいというストレートな思いでの素直な行動、ということだ。
そして、お弁当の手配、ビールとおつまみの調達も流れるような手際だった。
『うーん。ウチの母親が欲しがるわけだ・・・』
妙なところで納得してしまった。
・・・・・・・
僕らが並ぶ6席のシートは終始和やかな雰囲気だが、試合は白熱するあまりエキサイトしてきた。同点で迎えた終盤9回表。ツーアウト2塁、バッターボックスにはイージーズ4番の外国人助っ人、チャットナー。
「あ、危ない!」
アーマディロズのやはり外国人リリーフ、ベクターがチャットナーのヘルメットを掠める豪速球を投げ込んだのだ。
バットを放り投げ、鬼の形相でゆっくりとマウンド上のベクターに向けて歩き出すチャットナー。
その瞬間、瀬名さんがすっくと立ち上がり、メガホン片手に怒声を上げた。
「Hey, Chatner ! Crush Bector’s testicle by your hitting !」
英語だ。しかもどこからどう出せばこんな大音量が出るのかというぐらいに球場に響き渡るような怒鳴り声。周囲の観客が一斉に瀬名さんを見る。
フィールドにいる当のチャットナーも瀬名さんの方を見ている。
そして、真っ白な歯をむき出しにしてニヤリ、と瀬名さんに笑いかけた。
そのまま踵を返してバットを拾い上げ、バッターボックスに戻った。
チャットナーはバットをまっすぐセンター方向に向けて指し示す。
予告ホームラン?
いや、それにしてはバットの位置が低すぎる。
「チャットナー、やるつもりだわ」
瀬名さんが呟く。
「瀬名さん、さっき何て叫んだんですか?」
「センター返しよ! って」
いや、違う。そんなおとなしい上品な表現では決してなかったはずだ。ほとんど聞き取れなかったけれども、瀬名さんが『crush !』と叫んだのだけは認識できた。それに、チャットナーのなんとも意味深な笑い顔は異様だった。
そしてマウンド上のベクターのセットポジションがやたら不自然だ。
なんだかえらく内股で構えているように見える。そして、表情が極度に怯えているように見える。
だが、ようやく腹が据わったのだろう。ベクターが投球モーションに入り、投げた。
スピードガンがこの日最速の158km/hを示す。そしてまたもや厳しいインコース攻め。
チャットナーは目を見開いて渾身のスウィングをする。
カッ!
打球が速すぎてインパクトの音が後からついてくるような気がした。
ボールはあっという間にマウンド上のベクターの元へ、たまらずベクターが足を開いてジャンプする。そして、
「Outch!」
ベクターの叫び声を無視するように打球は彼の股間を掠め、センター前へ抜けて行った。
2塁ランナーは俊足のチーム最高齢クラウン・カズこと松本カズキ選手、42歳。光のようにホームベースを駆け抜けた。
土壇場で勝ち越し、狂喜乱舞するイージーズの応援団。1塁ベース上でチャットナーが瀬名さんの方を向いて全く聞き取れない早口の英語でなにやらまくし立て、ガッツポーズをした。
チャットナーに向けてVサインをする瀬名さん。
瀬名さんの怒声は意味としてはピッチャーを狙って打てということだったのだろうけど、きっと直訳はこうだったんだろうと思う。
『キン◯マ潰せ!』
・・・
9回裏。若きクローザーの松木が三者三振に切って取り、見事イージーズの勝利。佐原夫妻も塚本夫妻も大喜びだ。
「いやー、瀬名さんありがとう。最高の夜になったよ!」
「ほんとよー。ほんとは海外行きたかったんだけど大阪にしてよかったわ。一生の思い出よ!」
両夫妻はこの後大阪の街を少しぶらぶらしてからホテルに戻るという。
最後に6人で記念撮影して別れた。
・・・・・・・・
僕と瀬名さんがホテルに戻ると、ロビーの大型テレビのニュースで、ちょうどさっきの試合のヒーローインタビューをやっているところだった。
ビジターなのでお立ち台ではないがチャットナーと通訳が並んでいる。
『・・・はい。えー、スタンドにいた観客の女の子が立ち上がって気合入った大声援をしてくれたので燃えました・・・』
「わ、すごい。瀬名さんのこと言ってますよ!」
「そ、そうね・・・・」
瀬名さんの様子がおかしい。
そして、画面の中の通訳の様子もおかしい。
『え、えーと・・・』
『Hey you! Speak loud !』
そう言った後早口でまくしたてるチャットナーの英語も通訳の日本語も、ほとんど『ピー』という音ばかりで訳が分からなかった。