第31話 瀬名さん、あま~いですね
文字数 2,181文字
この間の日比谷公園近くの超高級老舗ホテルでのケーキバイキング。
そこでケーキが大の苦手だということが発覚した瀬名さん。
けれどもいつもコーヒーに必ず砂糖とミルクを入れていることから甘いものが苦手なのではなくケーキだけがダメなんだと僕は推測していた。
いや、むしろ瀬名さんが大の甘党であることが再認識できた。
「気根くんの学科の主任教授って酒田先生?」
「はい、そうですけど」
「じゃあ、わたし、挨拶に行っていい?」
「え? 挨拶?」
「そう」
「瀬名さん、もしかして社会人向けの講座聴講するとか?」
「ううん。気根くんをよろしくお願いします、って挨拶するの」
「え」
「だって、これから就職の相談とかいろいろあるでしょう?」
「まあ、そうですけど・・・僕って任せておけないほど頼りないですか?」
「ううん。そうじゃないよ。わたしのわがままだと思って許してくれないかな」
結局瀬名さんたっての希望で今日の午後、酒田教授の研究室を2人で訪れることとなった。
「やあ、よく来てくれました。さあどうぞ」
もうじき還暦という初老の紳士である酒田教授は僕と瀬名さんを快く迎えてくれた。
失礼します、と深々とお辞儀して執務机の前にあるゼミ生たちのためのテーブルに座る。
「いやあ、嬉しいですね。若い学生さんがこうして訪ねてくださるのは」
「先生、すみません。わたしは実は中途退学してるんです」
「ああそうでした。瀬名さんは今は立派な社会人ですもんね」
瀬名さんと酒田教授のやり取りの最中に僕はテーブル脇に置かれたボストンバッグが気になってしょうがない。
瀬名さんが持参したのだ。
最初は仕事の着替えでも入っているのかと思ったけれども、衣類のような柔らかな膨らみ方ではなかった。カクっとした感じの形なのだ。
「コーヒーでもいかがですか?」
「あ、わたしがお淹れします」
と、瀬名さんは研究室備え付けの既にドリップされたコーヒーをカップに三人分注いでサーブしてくれた。
当然テーブルの上にはスティックシュガーと小型冷蔵庫の中にあった生クリームを出して。
そして瀬名さんはそのタイミングでボストンバッグを開けた。
「先生、もしお嫌でなければ」
「お!」
瀬名さんが取り出したのは、黄色と茶色の包装紙にくるまれた直方体。
「福砂屋ですね」
酒田教授の顔がほころぶ。
「五三焼 です、先生」
瀬名さんがそう付け加えると、先生が、うん、とうなずく。
瀬名さんは丁寧に包みを開けて見事な茶色と卵色の直方体をさらけ出す。
「カステラ、ですか?」
「うん。福砂屋の五三焼。気根くん、知ってる?」
「いえ・・・」
「気根さん、福砂屋さんの五三焼はねえ、選び抜かれた卵の黄身をふんだに使ってしっとりと焼き上げた上等のカステラなんですよ」
「さすがです、酒田先生」
そう言って瀬名さんはボストンバッグからなんと持参のナイフも取り出してカステラを切り分けた。
瀬名さんこそ用意の良さがさすがだ。
そして小皿に一切れずつこれも三人分サーブしてくれた。
更に持参の漆塗りの木のフォークも添えて。
「では、いただきましょう」
酒田教授が合掌するのを合図にフォークで一口分切って三人一斉に口へ。
「うん」
「ええ」
「!」
2人は至極当然の上等さだという反応なのに対し、僕はカステラの次元をひとつ超えたこの味に驚いた。
「すごい。しっとり溶ける・・・」
とても個体のお菓子とは思えない。
そして、カステラの底にちりばめられたザラメがその食感にアクセントを加え、一口で僕は中毒になったようだ。
「気根くん、そのままコーヒーを飲んでみて」
言われるままに僕は自分のカップのブラックコーヒーを口に含む。
「おいしい・・・」
コーヒーがまったく異質の飲み物に変換される。
その後、僕ら三人は甘いもの談義に花を咲かせた。
まあ、会話の90パーセントは酒田教授と瀬名さんのものだったけれども。
「いやー。瀬名さんは甘いものへの造詣が深いですねえ」
「でも、ケーキはダメですもんね」
「気根くん、それは言わないで」
話が弾む中、酒田教授がおもむろに言った。
「ところで、今日は何かご相談でもあったのではないですか?」
瀬名さんが背筋をぴん、と伸ばし、両手を膝の上で重ね、腰を丁寧に折り曲げて頭を下げる。
「先生、気根くんをよろしくお願いします」
「はい、わかりましたよ」
よくわからないけど、不思議なことに、先生はそれだけで瀬名さんの気持ちが分かったみたいだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なんか、父兄の三者面談みたいで、恥ずかしいです」
「気根くん、ごめんね。おせっかいだった?」
「いえ、そんなわけじゃ・・・」
「気根くんのことはわたしのこと」
「え」
「だから、嫌かもしれないけど、サポートさせて」
「瀬名さんのことは、僕のことです」
「・・・ありがとう」
僕は瀬名さんのボストンバッグを見ながら研究室の話の続きをする。
「でも、びっくりですよ。ナイフだけじゃなくってラップまで持参して、切り分けたカステラをくるんで冷蔵庫に入れる至れり尽くせりようでしたね」
「だって、そうしておかないと教授も始末に困るでしょう。あれならゼミ生さんたちにもぱっと出してあげられるし」
「瀬名さんて、やっぱりすごいですね」
「ところで、お腹すかない?」
「うーん、まあそろそろ夕飯時ですもんね」
「ぜんざいのおいしい店があるんだけどね・・・」
餅なら確かにお腹にたまるだろうけど。
そこでケーキが大の苦手だということが発覚した瀬名さん。
けれどもいつもコーヒーに必ず砂糖とミルクを入れていることから甘いものが苦手なのではなくケーキだけがダメなんだと僕は推測していた。
いや、むしろ瀬名さんが大の甘党であることが再認識できた。
「気根くんの学科の主任教授って酒田先生?」
「はい、そうですけど」
「じゃあ、わたし、挨拶に行っていい?」
「え? 挨拶?」
「そう」
「瀬名さん、もしかして社会人向けの講座聴講するとか?」
「ううん。気根くんをよろしくお願いします、って挨拶するの」
「え」
「だって、これから就職の相談とかいろいろあるでしょう?」
「まあ、そうですけど・・・僕って任せておけないほど頼りないですか?」
「ううん。そうじゃないよ。わたしのわがままだと思って許してくれないかな」
結局瀬名さんたっての希望で今日の午後、酒田教授の研究室を2人で訪れることとなった。
「やあ、よく来てくれました。さあどうぞ」
もうじき還暦という初老の紳士である酒田教授は僕と瀬名さんを快く迎えてくれた。
失礼します、と深々とお辞儀して執務机の前にあるゼミ生たちのためのテーブルに座る。
「いやあ、嬉しいですね。若い学生さんがこうして訪ねてくださるのは」
「先生、すみません。わたしは実は中途退学してるんです」
「ああそうでした。瀬名さんは今は立派な社会人ですもんね」
瀬名さんと酒田教授のやり取りの最中に僕はテーブル脇に置かれたボストンバッグが気になってしょうがない。
瀬名さんが持参したのだ。
最初は仕事の着替えでも入っているのかと思ったけれども、衣類のような柔らかな膨らみ方ではなかった。カクっとした感じの形なのだ。
「コーヒーでもいかがですか?」
「あ、わたしがお淹れします」
と、瀬名さんは研究室備え付けの既にドリップされたコーヒーをカップに三人分注いでサーブしてくれた。
当然テーブルの上にはスティックシュガーと小型冷蔵庫の中にあった生クリームを出して。
そして瀬名さんはそのタイミングでボストンバッグを開けた。
「先生、もしお嫌でなければ」
「お!」
瀬名さんが取り出したのは、黄色と茶色の包装紙にくるまれた直方体。
「福砂屋ですね」
酒田教授の顔がほころぶ。
「
瀬名さんがそう付け加えると、先生が、うん、とうなずく。
瀬名さんは丁寧に包みを開けて見事な茶色と卵色の直方体をさらけ出す。
「カステラ、ですか?」
「うん。福砂屋の五三焼。気根くん、知ってる?」
「いえ・・・」
「気根さん、福砂屋さんの五三焼はねえ、選び抜かれた卵の黄身をふんだに使ってしっとりと焼き上げた上等のカステラなんですよ」
「さすがです、酒田先生」
そう言って瀬名さんはボストンバッグからなんと持参のナイフも取り出してカステラを切り分けた。
瀬名さんこそ用意の良さがさすがだ。
そして小皿に一切れずつこれも三人分サーブしてくれた。
更に持参の漆塗りの木のフォークも添えて。
「では、いただきましょう」
酒田教授が合掌するのを合図にフォークで一口分切って三人一斉に口へ。
「うん」
「ええ」
「!」
2人は至極当然の上等さだという反応なのに対し、僕はカステラの次元をひとつ超えたこの味に驚いた。
「すごい。しっとり溶ける・・・」
とても個体のお菓子とは思えない。
そして、カステラの底にちりばめられたザラメがその食感にアクセントを加え、一口で僕は中毒になったようだ。
「気根くん、そのままコーヒーを飲んでみて」
言われるままに僕は自分のカップのブラックコーヒーを口に含む。
「おいしい・・・」
コーヒーがまったく異質の飲み物に変換される。
その後、僕ら三人は甘いもの談義に花を咲かせた。
まあ、会話の90パーセントは酒田教授と瀬名さんのものだったけれども。
「いやー。瀬名さんは甘いものへの造詣が深いですねえ」
「でも、ケーキはダメですもんね」
「気根くん、それは言わないで」
話が弾む中、酒田教授がおもむろに言った。
「ところで、今日は何かご相談でもあったのではないですか?」
瀬名さんが背筋をぴん、と伸ばし、両手を膝の上で重ね、腰を丁寧に折り曲げて頭を下げる。
「先生、気根くんをよろしくお願いします」
「はい、わかりましたよ」
よくわからないけど、不思議なことに、先生はそれだけで瀬名さんの気持ちが分かったみたいだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なんか、父兄の三者面談みたいで、恥ずかしいです」
「気根くん、ごめんね。おせっかいだった?」
「いえ、そんなわけじゃ・・・」
「気根くんのことはわたしのこと」
「え」
「だから、嫌かもしれないけど、サポートさせて」
「瀬名さんのことは、僕のことです」
「・・・ありがとう」
僕は瀬名さんのボストンバッグを見ながら研究室の話の続きをする。
「でも、びっくりですよ。ナイフだけじゃなくってラップまで持参して、切り分けたカステラをくるんで冷蔵庫に入れる至れり尽くせりようでしたね」
「だって、そうしておかないと教授も始末に困るでしょう。あれならゼミ生さんたちにもぱっと出してあげられるし」
「瀬名さんて、やっぱりすごいですね」
「ところで、お腹すかない?」
「うーん、まあそろそろ夕飯時ですもんね」
「ぜんざいのおいしい店があるんだけどね・・・」
餅なら確かにお腹にたまるだろうけど。