第56話 瀬名さん、僕の親友です

文字数 3,319文字

まだ僕の大学は夏休み中だけれども教授たちは驚くほど勤勉だ。いや、仕事の鬼、と言えばよいのか。
アポを取ろうと学科連絡網のLINEに連絡を入れると主任の酒田教授は今日も学校に出てるから遊びにおいでと言ってくれた。

この間は福砂屋の五三焼(ごさんやき)だったけれども、今回は神楽坂にあるお店の水まんじゅうにした。これも瀬名さんが教えてくれた逸品だった。
酒田教授の研究室で僕が持参した水まんじゅうと教授が淹れてくださったアイスの抹茶を頂く。

「気根くん。夏休みはどうでしたか?」
「実は色んなことがありまして。今日は先生にご相談が」

そう切り出して、実家のこと、病気のことを話した。瀬名さんのことも一応お話した。

「そうですか。瀬名さんと・・・彼女はもう立派な社会人で大人ですね。気根くんも経済的基盤はこれからですが心の土台は出来上がりつつありますね。それで?」
「転学したいと思っています。地元の大学へ」
「転学、ですか・・・優秀な学生がいなくなるのは残念ですが」
「お世辞でも嬉しいです」
「いや、お世辞じゃありません。気根くんは2年生ながら提携校の学外ゼミにも参加してしっかりした研究の基礎を作ってきています。それに、山見書店での仕事で私の文献リストを作ってくださったでしょう」
「はい」
「そういう作業が実は研究の第一歩なんですよ。転学先ではどういう方面をやるつもりですか」
「せっかくやってきたことですので同じ分野を」
「それがいいでしょう。ただ、転学は普通の受験よりはるかに審査は厳しいですよ」
「はい。そうだろうと思います」
「1年生、2年生前期を通じて気根くんの成績は十分です。努力の跡がある。後期もふんばってできるだけ転学に有利な状況を作ってください。転学先へは私からも一言連絡を入れておきましょう」
「ありがとうございます」

酒田教授のアドバイスで学生課にも立ち寄り、一通り手続きの内容を確認した。来年の4月。大学3年生として地元に戻るつもりで準備を始めることになる。

さて。

僕にはどうしてももうひとり、了承を得ておかないといけない相手がいる。

・・・・・・・・・・・・

「気根〜。なんで行っちゃうんだよ〜」
「何回言わせるんだよ。転学するんだよ。すまない、ってもう10回ぐらい謝っただろう?」
「謝って済むかよ〜」

作田は5杯目のハイボールを飲みながら泣き出さん勢いだ。

作田は夏休み中ずっと帰省して親父さんの経営するコンビニのシフトに入っていた。ちょうど今夜東京に戻ってきたところを僕の方から東京駅まで出迎えに行き、話がある、とそのまま八重洲地下街の喫茶店に入ったのだ。

転学を切り出した途端、

「飲まずにいられるかー」

と作田はメニューにあったハイボールを注文したのだ。喫茶店でここまで大量のアルコールを頼む客は稀だろう。お店には申し訳ないけれども作田の勢いは収まる気配がなかった。

「作田はたくさん友達いるじゃないか。別に僕ひとり居なくなったって寂しくないだろう」
「気根じゃなきゃダメなんだよ」
「何がダメなんだよ」
「新入生の時、俺全然友達できなくて学科で浮いてたの覚えてないか」

確かに。
今でこそこんなだけど、1年生の初めごろの作田の人見知りはひどかった。
大講堂での授業なんか、教室の後ろの入り口の真横を速攻で確保して授業が始まるまでは寝たフリ。終わるとダッシュで教室を後にするって感じだった。

「今だから言うけどさ、俺高校の時不登校だったんだ」
「え」
「すごい進学校でさ、全然ついていけなくて。気がついたら3年生の後半はほとんど学校行ってなかった。まあ、みんな受験体制に入ってて勝手に勉強するって感じだから目立たなかったけど」
「そうだったんだ」
「だから絶対高校の知り合いが受けなさそうな所って選んでウチの大学にしたんだよ」

まあ確かにウチの大学はキャンパスも高校に毛が生えた程度でそもそも学生数が異様に少ないし、マイナー大学の見本みたいな所ではある。

「だから1年のゴールデンウィーク明けなんてバリバリ5月病でさ。大学辞めて実家に引っ込もうかとか思っちゃってさ。そんな時だよ。俺と気根の運命の出会いは。覚えてるか?」
「ごめん。覚えてない」
「はあ・・・冷たい奴だなあ。1年生の5月15日、気根のアパートの前を通りかかった時だよ。ちょうど気根も1限目の授業に行こうとアパートの階段降りて来たろう?」
「そうだっけか」
「そんで、気根はこう言ってくれたんだよ。『一緒に行く?』って」
「ふーん」
「そんなの社交辞令だってのはわかってたよ」
「まあ、一緒ったって学校まで30秒だからね」
「俺はこのチャンスを逃すまいと思ったよ。1限目、言語学の授業で先生が大阪弁の話出して盛り上がったろう? 頑張って俺気根に、『大阪行ったことある?』って訊いてさ。それがきっかけでなんとなく昼飯とか一緒に食う流れになってさ」
「そうだったかもね」
「ほんとに嬉しかったんだよ」

僕は素直に作田っていい奴だと改めて思った。
だって、自分のアドバンテージを一切放棄して僕に接してくれてるんだから。

「ほんとは僕も作田とは別れたくないよ」
「そうだよな、そうだよな。誰だ、誰が悪いんだ?」
「はあ?」
「瀬名さんか? 瀬名さんにお願いすれば気根を東京に置いといて貰えるのか?」
「ちょ・・・何するんだよ?」

瀬名さん、僕、作田、女子寮メンバーは『KINE × SENA= TANPAKU』という訳の分からないLINEグループを持っている。そこへ作田は、
『瀬名さん、気根を返してください。八重洲の喫茶店で待ってます』

というメッセージを光速の指さばきで送信してしまった。

途端に女子寮メンバーからクレームの返信が続々入る。

加藤:作田ぁ! 酔っ払ってんのかあ!? わたしもだぁ!
滝田:ヒューヒュー! 気根くんを巡っての三角関係。ラブコメじゃなくってメロドラマのドロドロだねー! もっとやれー!

女子寮はもう宴たけなわの時間帯だ。全員、シラフじゃない。
唯一まともな返信をしてきたのがまっとうな社会人の瀬名さんだった。

瀬名:今からそちらに行きます

・・・・・・・・・・・

「作田くん、どうしたの?」
「いや・・・その」

実は作田は瀬名さんの返信を見た瞬間に酔いが一気に醒め、シラフに戻った。そして瀬名さんは仕事上がりで大塚方面の丸の内線で帰路に着いていたのだけれども、LINEを見て東京行きに乗り換え、引き返してきてくれたのだ。
作田も瀬名さんの真面目さをよく知っているだけに自分の無礼を今更ながらに反省しているようだ。

「作田は僕のことを心配してくれてるだけなんです」

せめてものフォローと僕がそう言うと作田は自分から話し始めた。

「気根、いいよ。自分の思ってることだから自分で伝えるよ。瀬名さん、俺、気根のこと好きです」
「・・・うん」
「できれば気根とは卒業まで一緒に居たいって思ってました。瀬名さん、4年生まで待てないんですか?」
「気根くんの病気のことは?」
「ええ。聞きました」
「わたしにとってはそれが最優先事項なのよ。ただ、それだけなの」
「わかります。俺だってわかってるんですけど、でも」
「わたしは気根くんが欲しいのよ」
「・・・・」
「作田くん、気根くんをわたしに譲って」

僕らは大真面目だ。3人ともふざけたりなんかしていない。
けれども、字面だけ捉えると、やっぱり僕のことを瀬名さんと作田が取り合っているという、ノーマルではない設定にしか見えない。

「なら瀬名さん。毎日気根とLINEしてもいいですか」
「え、ええ。いいわよ」
「写真とかバンバン送っても?」
「別に、構わないわ」
「あと、気根の写真とか送って貰ってもいいですか?」
「作田くん。なんなら作田くんも一緒に転学したら?」

瀬名さんがそう言うと、少しだけ間を置いて3人して笑った。
その後すぐ作田はまた真面目な顔になる。

「そうですよね・・・瀬名さんは仕事も東京の生活も白紙にして気根と一緒に行くんですもんね」

作田はもう一度にこっと笑った。

「わかりました! 俺にそこまでの愛はないです。気根は瀬名さんに譲ります!」

瀬名さんがありがとう、と作田に告げ、ほっとしたところで店内を見やると、周囲の男性サラリーマンたちが僕らをいかがわしげに見ていた。
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