第36話 瀬名さん、ドライブしましょう
文字数 2,568文字
「気根くん、運転の練習しない?」
瀬名さんから運転の練習に誘われた。
僕も瀬名さんも車の免許は持ってるけれども純ペーパードライバーだ。教習所を卒業して以来ハンドルを握っていない。ひょっとしたら東京都内でずっと暮らすのであれば仕事で車を運転する機会もないかもしれない。
まあ、山見書店では社員さんたちは営業に必須だけれども。
とにかくも僕の地方に将来移り住んだ場合は仕事でも日常生活でも車は必須だ。
冗談抜きで車の運転ができないと、死活問題だろう。
「これって、ドライブですよね」
「運転の練習」
目的を明確に示す瀬名さん。
レンタカーはホンダのフィット。
そして最初に運転席に座ったのは瀬名さんだ。
僕は助手席で彼女のお手並みを拝見する。
「気根くん、そこ右折で合ってるよね」
「え。ナビの通りですよ」
「そのナビが『曲がれ』って言ってる道がわたしの感覚では少しズレてるのよ」
言ってることは分かる。
数十メートルの間隔で小路が二本あった場合、手前の道なのか、もひとつ向こうの道なのか、いまいち判別しづらい。
「手前ですよ」
僕がそう言うと瀬名さんは慌ててブレーキで減速し、かなり鋭角に右折した。
「あ、ごめんね」
「いえ、全然平気です」
そんなこんなで比較的交通量の少なそうなエリアを選んで走った。
まあ確かにこれじゃあドライブじゃなくって車で近所をうろうろしてるだけだ。とりあえずナビの第1目的地に設定していたコンビニになんとかたどり着いた。
「じゃあ、気根くん交代ね。ねえ、どっか遠くまで行かない?」
「え。僕の番でいきなりですか。自信ないなあ・・・」
「そんなこと言わないで。男子でしょ」
いまどきは理由にならないような理由で納得させられてしまった僕は、ナビで目的地を選び始める。
「ええと・・・分かりやすいところで東京ドームなんかどうです?」
「野球観る訳でもないのに? あんまり楽しくなさそう」
「じゃあ、前行った六義園とか」
「気根くん、横浜は?」
「ええっ⁈」
「中華料理、食べたいな」
「うーん、都内から出るのはちょっと。もしかして首都高とか使わないと時間かかるんじゃないですか」
「じゃあ、使えばいいじゃない」
「すみません。はっきり言って、怖いです」
「わたしは怖くないよ。気根くんの運転で人生終わるのなら本望だわ」
「極端ですね、瀬名さん」
結局、『彼女のおねだりに応じる彼氏』という僕らにはまったく似合わない展開となり、とにかく横浜に向かった。
「う・・・ん?」
不安をMax値にするような僕のつぶやきとともにフィットは走る。
一応教習所ではマニュアル車での卒研だったので、その感覚がどうしても残っていて、エンジンブレーキの無いオートマ車だと踏んだ分慣性でスピードがどんどん出るので怖い。
しかもこのレンタカーのフィットはハイブリッドで、おそらく加速がものすごくいい。それが僕には逆に都合が悪い。
「気根くん、力入りすぎだよ」
「そんなこと言っても、無理ですよ」
僕は車線変更の際、サイドミラーの視認だけでは当然不安で、死角を潰すために二度も三度も目視で右後ろをチラチラチラと振り返る。
「気根くん、そっちの方が危ないかも」
「すみません、僕が『話しかけて』と言った時だけ話しかけてください」
そう言うと瀬名さんの緊張感も一気に高まったようで、2人の口数が急に少なくなった。
量産型のコンパクトカーを公道で普通に運転しているだけなのに、僕と瀬名さんは4点式のシートベルトでコックピットに体を固定したラリーカーのペアドライバーのような様相を呈する。
意味もなく僕はアクセルとブレーキングを小刻みに行い、瀬名さんはこれまた無意味なシフトウェイトを自分のシートで行い、かつ床を相当な力で踏ん張っている。
「なんか、でっかい橋ですね」
「ほんとね」
僕らはベイブリッジを認識する判断能力すら失っていた。
・・・・・・・・・・
「お疲れ様。ありがとう」
「・・・いえいえ。怖かったでしょう」
「うん。怖かった」
僕と瀬名さんはなんとかたどり着いた中華街で、比較的リーズナブルな中華料理店に入り、ノンアルコールビールで乾杯した。
「はー。ようやく生き返りましたよ」
「帰りはわたしが運転するね」
「大丈夫ですか?」
「うーん。わからない」
「・・・・・・」
・・・・・・・・・・
それなりに時間がかかるだろうと考えたので食事が終わると観光はそこそこに中心地を運転し始めた。
ほんの数百メートル進んだところで道が人でごった返している。車も急に渋滞してノロノロ運転になった。
「気根くん、なんだろこのひとたち」
「えーと。あ、あれですね」
僕が指差すと瀬名さんは首はまっすぐのまま視線だけちらっとそっちの方向を見る。
『エヴィ・ラーメン開店記念。稲地純ジャンケン大会』
そう書かれたノボリが沿道に立てられ、グルメリポーターの稲地純が挑戦者とジャンケンをやっていた。
景品が何かはわからないけれどもものすごく盛り上がっている。
「気根くん」
「はい?」
「わたし、東京に来て長いけど、初めて有名人を生で見たわ」
「あ、そうなんですか?」
見ると瀬名さんの口元がなんだかムズムズしている。
「あの。もしかして嬉しいんですか?」
「ええ。とっても」
ゆっくりと車が進む中、ラーメン屋の側の対向車線に、白くて角ばったでっかい外車が、やっぱり人混みの中ノロノロ運転で迫ってきた。
「あ!」
瀬名さんが突然大声を出したので視線の先を見た。
「あ!」
僕も思わず声を出した。
「あの外車の助手席の人ってプロレスラーの『ビッグ・G』だよね!」
「ええ、間違いないです。すごいなあ・・・あんな大きな車なのに軽四に見えますよ」
弟子のレスラーだろうか。運転席には体格のいい若い男。そして助手席には車と同じ白のスーツを来て腕組みをするビッグ・G。天井に頭がぶつかりそうだ。
「わー。ついてるわ。わたし本当についてるわ!」
「ちょ! ちゃんと前見てください!」
前方車に追突しそうなぐらい車間距離が詰まって、あ、と慌ててブレーキを踏む瀬名さん。
ラーメン屋の見物客たちも白塗りの外車の搭乗者に気づいたようだ。
それよりも瀬名さんのはしゃぎようが異常だ。
「わー。どうしよう。こんなことってあるんだねー」
「・・・瀬名さんがこんなことで喜ぶとは思いませんでした」
「こんなことなかなかないよ。このまま死んじゃってもいいかも」
いや。それは困る。
瀬名さんから運転の練習に誘われた。
僕も瀬名さんも車の免許は持ってるけれども純ペーパードライバーだ。教習所を卒業して以来ハンドルを握っていない。ひょっとしたら東京都内でずっと暮らすのであれば仕事で車を運転する機会もないかもしれない。
まあ、山見書店では社員さんたちは営業に必須だけれども。
とにかくも僕の地方に将来移り住んだ場合は仕事でも日常生活でも車は必須だ。
冗談抜きで車の運転ができないと、死活問題だろう。
「これって、ドライブですよね」
「運転の練習」
目的を明確に示す瀬名さん。
レンタカーはホンダのフィット。
そして最初に運転席に座ったのは瀬名さんだ。
僕は助手席で彼女のお手並みを拝見する。
「気根くん、そこ右折で合ってるよね」
「え。ナビの通りですよ」
「そのナビが『曲がれ』って言ってる道がわたしの感覚では少しズレてるのよ」
言ってることは分かる。
数十メートルの間隔で小路が二本あった場合、手前の道なのか、もひとつ向こうの道なのか、いまいち判別しづらい。
「手前ですよ」
僕がそう言うと瀬名さんは慌ててブレーキで減速し、かなり鋭角に右折した。
「あ、ごめんね」
「いえ、全然平気です」
そんなこんなで比較的交通量の少なそうなエリアを選んで走った。
まあ確かにこれじゃあドライブじゃなくって車で近所をうろうろしてるだけだ。とりあえずナビの第1目的地に設定していたコンビニになんとかたどり着いた。
「じゃあ、気根くん交代ね。ねえ、どっか遠くまで行かない?」
「え。僕の番でいきなりですか。自信ないなあ・・・」
「そんなこと言わないで。男子でしょ」
いまどきは理由にならないような理由で納得させられてしまった僕は、ナビで目的地を選び始める。
「ええと・・・分かりやすいところで東京ドームなんかどうです?」
「野球観る訳でもないのに? あんまり楽しくなさそう」
「じゃあ、前行った六義園とか」
「気根くん、横浜は?」
「ええっ⁈」
「中華料理、食べたいな」
「うーん、都内から出るのはちょっと。もしかして首都高とか使わないと時間かかるんじゃないですか」
「じゃあ、使えばいいじゃない」
「すみません。はっきり言って、怖いです」
「わたしは怖くないよ。気根くんの運転で人生終わるのなら本望だわ」
「極端ですね、瀬名さん」
結局、『彼女のおねだりに応じる彼氏』という僕らにはまったく似合わない展開となり、とにかく横浜に向かった。
「う・・・ん?」
不安をMax値にするような僕のつぶやきとともにフィットは走る。
一応教習所ではマニュアル車での卒研だったので、その感覚がどうしても残っていて、エンジンブレーキの無いオートマ車だと踏んだ分慣性でスピードがどんどん出るので怖い。
しかもこのレンタカーのフィットはハイブリッドで、おそらく加速がものすごくいい。それが僕には逆に都合が悪い。
「気根くん、力入りすぎだよ」
「そんなこと言っても、無理ですよ」
僕は車線変更の際、サイドミラーの視認だけでは当然不安で、死角を潰すために二度も三度も目視で右後ろをチラチラチラと振り返る。
「気根くん、そっちの方が危ないかも」
「すみません、僕が『話しかけて』と言った時だけ話しかけてください」
そう言うと瀬名さんの緊張感も一気に高まったようで、2人の口数が急に少なくなった。
量産型のコンパクトカーを公道で普通に運転しているだけなのに、僕と瀬名さんは4点式のシートベルトでコックピットに体を固定したラリーカーのペアドライバーのような様相を呈する。
意味もなく僕はアクセルとブレーキングを小刻みに行い、瀬名さんはこれまた無意味なシフトウェイトを自分のシートで行い、かつ床を相当な力で踏ん張っている。
「なんか、でっかい橋ですね」
「ほんとね」
僕らはベイブリッジを認識する判断能力すら失っていた。
・・・・・・・・・・
「お疲れ様。ありがとう」
「・・・いえいえ。怖かったでしょう」
「うん。怖かった」
僕と瀬名さんはなんとかたどり着いた中華街で、比較的リーズナブルな中華料理店に入り、ノンアルコールビールで乾杯した。
「はー。ようやく生き返りましたよ」
「帰りはわたしが運転するね」
「大丈夫ですか?」
「うーん。わからない」
「・・・・・・」
・・・・・・・・・・
それなりに時間がかかるだろうと考えたので食事が終わると観光はそこそこに中心地を運転し始めた。
ほんの数百メートル進んだところで道が人でごった返している。車も急に渋滞してノロノロ運転になった。
「気根くん、なんだろこのひとたち」
「えーと。あ、あれですね」
僕が指差すと瀬名さんは首はまっすぐのまま視線だけちらっとそっちの方向を見る。
『エヴィ・ラーメン開店記念。稲地純ジャンケン大会』
そう書かれたノボリが沿道に立てられ、グルメリポーターの稲地純が挑戦者とジャンケンをやっていた。
景品が何かはわからないけれどもものすごく盛り上がっている。
「気根くん」
「はい?」
「わたし、東京に来て長いけど、初めて有名人を生で見たわ」
「あ、そうなんですか?」
見ると瀬名さんの口元がなんだかムズムズしている。
「あの。もしかして嬉しいんですか?」
「ええ。とっても」
ゆっくりと車が進む中、ラーメン屋の側の対向車線に、白くて角ばったでっかい外車が、やっぱり人混みの中ノロノロ運転で迫ってきた。
「あ!」
瀬名さんが突然大声を出したので視線の先を見た。
「あ!」
僕も思わず声を出した。
「あの外車の助手席の人ってプロレスラーの『ビッグ・G』だよね!」
「ええ、間違いないです。すごいなあ・・・あんな大きな車なのに軽四に見えますよ」
弟子のレスラーだろうか。運転席には体格のいい若い男。そして助手席には車と同じ白のスーツを来て腕組みをするビッグ・G。天井に頭がぶつかりそうだ。
「わー。ついてるわ。わたし本当についてるわ!」
「ちょ! ちゃんと前見てください!」
前方車に追突しそうなぐらい車間距離が詰まって、あ、と慌ててブレーキを踏む瀬名さん。
ラーメン屋の見物客たちも白塗りの外車の搭乗者に気づいたようだ。
それよりも瀬名さんのはしゃぎようが異常だ。
「わー。どうしよう。こんなことってあるんだねー」
「・・・瀬名さんがこんなことで喜ぶとは思いませんでした」
「こんなことなかなかないよ。このまま死んじゃってもいいかも」
いや。それは困る。