第39話 瀬名さん、プールってどうなんでしょうね

文字数 1,919文字

緊張している。

部屋に泊まったことすらある僕だけれども、僕が見た瀬名さんの肌の露出最大面積は、皇居ランやハーフマラソンでのランニングウエアまでだ。

ところが今日はその記録をあっさりと更新することになる。

「気根くん、お待たせ」
「はい。(待ってました!)」

僕と瀬名さんの関係は『淡白』であることで長続きしているのだという自覚がある。だから彼女のフルーツ柄の華やかなワンピースの水着姿を見ても心がさわめいている感情を極力表には出さないよう努力した。

「瀬名さん、じゃあ、どうしましょうか。並んで軽く泳ぎましょうか」
「気根くん、何言ってるの」
「はい?」
「このジムのプールは泳ぐアベレージタイムごとにコース分けされてるのよ。気根くん、50メートル自由型のタイムは?」
「え? そんなの測ったことないです」
「じゃあ・・・とりあえず初級レーンね。わたしは上級レーンで泳ぐから、また後でね」

スポーツジムのプールに行くという時点で分かってはいた。
瀬名さんは極めて高い目的意識を持って泳ぎたいのだ。
仕事のストレス解消、ランニングのための体幹強化、そして効果的に泳ぐにはランだけでなくスイムも得意な彼女に見合った快適な高速ペースで泳ぐ必要があった。

しょうがない。
僕は初級者レーンにちゃぽん、と入り、順番待ちで並んでいる小学生の男の子の後ろについた。

「あれ? えらく速いぞ?」

泳ぎだした小学生の彼は平泳ぎなのだが、とてもスムースなフォームでぐいぐい加速していく。初級コースのはずじゃ・・・

「すみません、出発してください」
「あ、ごめんなさい」

後ろに立ったのはやはり小学校中学年ぐらいの女の子。僕は促されて慌ててスタートした。
まあ、僕はなんといっても大人の体格だ。平泳ぎで十分小学生よりも速いだろうと思って泳ぎ始めた。

ところがいつの間にか背後に気配を感じる。

『あ⁈』

気がつくと僕よりも10メートル程度間隔を空けて泳ぎ始めたはずの女の子がもうすぐ後ろに迫っていた。

『マズい!』

すごくカッコ悪いと思ったけれども、途中でクロールに切り替えた。
それなのに平泳ぎのその女の子は、クロールの僕に更に一層距離を詰めてくる。

『どこが初級レーンなんだ!』

とにかくスピードを上げないと後ろの子に迷惑がかかる。
息継ぎもせずに残り半分をなんとか泳ぎ切った。
と同時に平泳ぎの女の子もゴールする。
水中メガネを外した彼女の眼は大人そのもの。
そのまま僕を真顔でじっと見る。

「あの。失礼ですけど、あちらもありますよ」

彼女が音もたてずに首を動かした先を見ると、お年寄りたちが歩いているレーンがあった。

「ああ、そうですね・・・・・」

僕は彼女の圧力に屈し、ウォーキングのレーンに移動した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『さっきの子、瀬名さんに似てたな』

顔もだけれども、あの冷静実務的な表情と物言いが、だ。

こういうことを考えながら、お年寄りたちが歩く後ろに続いて僕も水中を歩く。

「お兄さん、もっと負荷をかけないと」
「え? 負荷?」
「そう。ただ歩いてるだけじゃ全く意味ないよ。ほれ、こうして膝をぐっ、と曲げて」
「はあ。こうですか?」
「そぉうっ! はい、ストライドをぐっとめいっぱい!」
「ス、ストライド・・・」

やたら熱く語る体の締まったおじいさんに促されて僕は適当に足を心もち伸ばしてみた。

「コラ! お兄さんよ!」
「は、はい!」
「アンタ、水中ウォーキングを舐めてるだろ!?」
「い、いえ。決してそんなことは」
「ならもっと踏み込んで。はいっ!」
「はいっ!」

そのまま50mのプールを20往復。ということは・・・

2km!!

あ、瀬名さん!

「気根くん。そろそろ上がらない?」
「ダメじゃっ! あと5往復!」
「あの。あなたは?」
「このお兄さんを鍛えとるんじゃ! あんた、彼女さんか? 悪いが待っとってくれ!」
「そうですか。じゃあ、ビシビシお願いします」
「おう! 任しときなさい!」

え、ええっ!?

・・・・・・・・・・・・

「気根くん。どうだった? 水中ウォーキングは」
「足がパンパンです・・・」
「でも、すごく体が絞れた感じがするわ」
「そうですか?」
「惚れ直しちゃったわ」
「冗談はやめてください」
「ふふふ」
「あの、瀬名さん。訊いていいですか」
「なに?」
「ガチガチにアスリート泳ぎしに来た割に随分華やかな水着ですね。スイカにキウイにぶどうに・・・」
「ああ、これね。これはね、海に行こうと思って」
「へえ。海・・・」
「わたしの実家の街の海」
「?」
「気根くん。もうすぐ夏休みでしょ」
「はい。あと二週間ほどですね」
「わたしも交代で夏休みを何日か取れるんだけど・・・もしよかったら一緒に・・・」
「え」
「実家の街に来てくれない?」

来た。

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