第46話 瀬名さん、ミュージック奏でてください

文字数 2,545文字

8月に入ると実家に帰省してお墓の草むしりやら就活を見越して地元企業のインターンに入る予定があるので残り少ない7月の間に東京での用事を済ませておかないといけない。

帰省する間の二週間ほど山見書店にはバイトに行けないので、東京在住の後輩をピンチヒッターとして指名した。

里見(さとみ)でーす。よろしくお願いしまーす」

さすが加藤さんが紹介してくれた女子寮1年生の子だ。社長との面接でもまったく臆することなくマイペースの応対をする。

「英文タイプは打てますか?」
「え? 今時タイプライター?」
「里見さん、今でもアジアの出版社ではカーボン紙のインボイスを送ってくるところがあるんだ。だからタイプライターを使わないと受領書が返せないんだよ」
「へえ・・・逆に新鮮!」

会社で使ってるのはブラザーの電子タイプライターなので推敲した上でダダダ、とまとめてパンチできる。ミスタイプの心配はないと教えてあげた。

書店での引き継ぎを終え、神保町から御茶ノ水に向かって里見さんと並んで歩く。JRなので一緒に行きましょうと里見さんの方からくっついてきた。

「じゃあ、僕ここだから」

瀬名さんの勤めるビジネスホテルの前で僕がそう言うと、甲高い声で彼女が反応した。

「え? なんでですかー? てか、これってホテルじゃないですかー?」
「人と待ち合わせしてるから」
「え、誰誰? もしかしてエッチな関係ですかー?」

僕がリアクションに困っていると、僕の精神安定剤のような落ち着いた低音ボイスが背中から響いた。

「気根くん、ごめんね。寄ってもらって・・・ええと、こんにちは」
「こんにちはー!」

里見さんが、わたしもわたしもー、という空気満載だったので3人でとりあえずカフェに入り少し遅めのランチをとった。

「えー、そうなんですかー。中退したんですねー。瀬名さんって苦労人なんですねー」
「そうでもないわ。よくあることよ」
「それでー。これからどこかデートでも行くんですかー?」
「代々木公園」

瀬名さんがぼそっと言うと、里見さんは一瞬動きが止まり、それからより一層甲高い声でまくしたてた。

「えー、なんですかなんですか? 何かイベントでもあるんですかー?」
「歌、録りに行くの」

・・・・・・・・・・・・・

平日の昼間と言っても学生たちが夏休みに入っていることもあり代々木公園はさわさわとどこかしら賑やいでいた。
ただし、瀬名さんはこの公園の中で真夏の日差しから逃れ、喧騒からも逃れることのできる静かな一角を知っていた。
それは、日陰なので熱せられず、ひんやりとしたコンクリート壁の前にある、誰もいない空間だった。

「瀬名さんはフリーの楽曲ソフトで曲作って歌も自分で歌ってネットに投稿してるんだ」
「え。それって趣味で、ってことですか?」
「ええ、・・・そうね。趣味のレベルでしかないわね」

里見さんに答える瀬名さんの声と表情がやや翳っていた。
里見さんには悪気はない。

ただ、たとえば瀬名さんにとってのマンガは、ただの娯楽ではなくって、彼女の人格を作り上げるうえで何らかの重要な役割を果たしてきたことは間違いない。

同じように音楽も、彼女の人格の一部だと僕は思っていた。そしてできることならばそれを生業にしたいという本音も瀬名さんの行動と言葉の端々から僕は感じ続けてきた。

里見さんはまだ質問を続ける。

「瀬名さん。でも歌を録るならもっといい場所があるんじゃ」
「ううん。アパートでは無理だし、カラオケボックスなんかも意外と隣の部屋の音声が入るわ」
「どうして気根さんと一緒に、なんですか?」
「ここももし誰か来たら1人だと恥ずかしいから。それと・・・」
「はい?」
「気根くんが、わたしを知ってるから」

ズキン、とした。

以前瀬名さんから、ヴォーカリストが早逝したロックバンドの、そういう内容の曲を聴かせてもらったことがあった。

僕が、瀬名さんを知ってる。

とても嬉しかった。

「じゃあ」

そう言ってソフトの入ったノートPCに瀬名さんはマイクをコネクトする。音源はイヤフォンで瀬名さんだけが聴き、だから僕と里見さんは瀬名さんのアカペラの歌を聴く格好となる。

目を閉じ、一息吸い込んでから瀬名さんが歌い始めた。


夏草匂う土曜の午後からは
見知らぬ僕らの歌が始まる
乾いた風と(うるお)ったメロディーが
汗ばむ僕らの背中冷やしてく

ダラララララ
潤ったメロディーが
ダラララララ
僕らの心癒す
ダラララララ
冷たい乾いた風が
ダラララララ
僕らの熱冷ます

そんな日々僕らの歌声が
そんな日々僕らの願い事が
そんな日々僕らの笑い顔が
そんな日々僕らの熱い想いが

毎日を(いろど)っていく

・・・・・・・・・・・

瀬名さんが『レコーディング』を終えた後、ヴォーカル入りの彼女の曲の出来上がりを聴いた。

「わ! 瀬名さん、すっごい! かっこいい!」
「里見さん、ありがとう・・・でもやっぱり恥ずかしいわ」
「いえいえ、全然。これは是非とも皆さんに聴いてもらわねば!」

そう言って里見さんはこの日陰のスペースから真夏の日差しが降りそそぐ芝生の方に走って行った。

50mほど走って行った彼女を僕と瀬名さんとであっけに取られて見ていると彼女はそこで、

「皆さーん! あっちでストリートライブやりまーす! 最っ高にカッコいい女性シンガーでーす! おまけに美人!」

里見さんは、見た目はかわいい。
しかも警戒心のかけらも抱かせない天性の資質を兼ね備えている。

大学生ぐらいの男女や制服の男女中学生、おまけに散歩に来ていたらしい老夫婦まで、全部で10人ちょっと引き連れてきた。

「瀬名さん、歌ってください!」

里見さんがそう言うと。

「でも、PCのスピーカーじゃ音が小さすぎるわ」
「へへ。わたしこれ持ち歩いてるんです」

里見さんがデイパックからスマホ用のブルートゥース・スピーカーを取り出す。

「さあ、どうぞ!」

(いや)(おう)もない。

瀬名さんはインストルメントの音源をセットし、にこにこ笑顔で拍手する穏やかなオーディエンスの前に立った。
そして、深々とお辞儀する。
マイクを使わずにそのまま歌い始めた。

『きれいだ』

僕は瀬名さんの表情をそう感じた。

彼女は心から歌っている。

僕が瀬名さんを知ってる、って彼女は言ったけれども、目の前の瀬名さんは僕の知らなかった瀬名さん。

僕は瀬名さんが好きだった。

でも、この瞬間、好きで好きでたまらなくなった。
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