第59話 瀬名さん、これが「愛」ですね

文字数 4,002文字

みんなが助けてくれた。

忙しい中、女子寮メンバーは僕の拙い調理技術を心配して何度もおかずを大学で手渡してくれた。

「2人とも栄養つけないと、いい子ができないぞ!」

加藤さんは完全に誤解している。

作田は、

「これ、賞味期限間際のやつだけどよかったら」

と言って日曜の夜、実家から東京に戻る度にコンビニスイーツを持って来てくれた。巨大シュークリームを5個いっぺんに渡された時は辟易したけれども。

山見書店のみんなも学外ゼミのみんなも、僕の転学のためにと研究に関するトレンドや資料を随時ネットで送ってくれた。
ドストエフスキーのボリュームある小説を准教授が送ってくれて、

『来週まで必読!』

という冗談を一瞬真に受けそうになったり。

おかげさまで僕と瀬名さんはそれぞれの課題をクリアし、晴れて僕の街に引っ越すことができた。

・・・・そして・・・・

春、3月。

僕と瀬名さんは、結納の儀をすることにした。

場所は瀬名さんの新しい職場。
僕の街の伝統ある建築物として映画の舞台になったこともある、そのホテルの小さな宴会場でとした。

『招待状:

皆さま、お忙しくお過ごしのことと思います。

さて、気根麗人(きねれいと)瀬名満月(せなみつき)は、縁あって結納の儀を交わすこととなりました。
本来親族のみで行なうのが通例でしょうけれども、ひとかたならぬお世話をいただいたみなさんに是非ともお礼申し上げたく・・・それから、満月(みつき)の新たな職場を折に触れてご贔屓いただきたく、ささやかながら宴に皆様をお招きいたします。
なお、お時間の許す方は当ホテルにご宿泊いただき、積もる話をさせていただけたらと思います。

                 三月吉日  気根麗人  瀬名満月』


「瀬名ちゃーん!」

女子寮メンバーがぞろぞろと会場前のエスカレーターを昇ってくる。
まだスタートの二時間前だ。
彼女たちがこんなに早く来るのは時間を間違えたからではない。

「じゃあ、始めようか」

併設された結婚式用の厨房でみんな位置に着く。
事前に瀬名さんとうちの母親と僕とで下準備しておいた食材を並べる。

結納で振舞う料理を瀬名さんと女子寮メンバーで作るのだ。

「懐かしいわね」

瀬名さんが言ったのは、瀬名さんの料理の腕前を試すために女子寮のキッチンを使って行った試食会のこと。
あれは一年半前のことになるのか。

あの時と違うのはメニュー。
そして、男子である僕も参加すること。

「と・・・これ、揚げるの? 焼くの?」
「・・・蒸すの」
「グラスは100個?」
「30個!」

瀬名さんが陣頭指揮をとり、きっちり開催30分前には間に合った。
器もホテルから借りる際、瀬名さんが一つ一つ厨房スタッフさんと打ち合わせながら決めていった。

「お母さま、どうですか?」
「瀬名さん、素晴らしいわ。皆さんも手伝ってくださってありがとうございます。見事な料理ね」
「いーえー!」

瀬名さん、母親、女子寮メンバーたちは出来上がった料理の皿を前にみんなで記念撮影をしている。

「さあさあ。お給仕はホテルのスタッフさんに任せて、皆さんは着替えてきてください。瀬名さんも」

母親の号令でエプロン姿の女子たちは一張羅に着替えに行く。

「気根〜、元気だったか〜」

作田がほとんど涙目で会場に現れた。
やっぱりいい奴だ。親友でいてくれてよかった。

麗人(れいと)ー!」

シホと明智も仲良く来てくれた。
4月から同級生だ。

続々と懐かしい顔が現れる。

山見書店の野田さん、黒石さん、里見さん、学外ゼミの准教授・ゼミ生たち、瀬名さんの居た御茶ノ水のビジネスホテルの先輩・同僚方。
そして、特別に僕の主任教授だった酒田先生も来てくださった。

「いやー。とても賑やかで華やかな結納ですね」
「先生、本当にお忙しい中、こんな遠方の田舎街までお越しくださりありがとうございます」

酒田教授の到着を僕・父親・母親で最敬礼してお出迎えする。

酒田教授が華やか、というとおり、女子寮メンバー、山見書店の女子たち、学外ゼミの女子先輩方はみんな美しい衣装、美しいメイクを施して間もなく蕾が開こうとしている桜にも負けないぐらい匂い立つような出で立ちだ。

そして、瀬名さんが再登場する。

僕らの晴れの日ではある。
だから、僕は一応、スーツ。けれども少しでも節約するため新調はせずに、以前瀬名さんと一緒にデパートで買った濃いグレーのスーツを着た。

瀬名さんも同じようにある服で済ませると言っていたのだけれども、母親が許さなかった。

『めいっぱいきれいにして欲しいのよ』

愛想のない男の子供しか持たない、これは本音だろう。母親が瀬名さんに買ってくれたのだ。ただし両者の妥協を経て、ドレスではなくワンピースを。

シック、を旨とする瀬名さん。

そのワンピースはなんと黄色で、ウエストリボン。

瀬名さんに一番似合わない色ではないかと一瞬思ったけれどもそれは僕の抑えきれない感情を考えれば答えは明らかだ。

かわいい。

ただただかわいかった。

足元にも目をやる。

紺色のパンプスで、やっぱり紺色のリボンが。

二十歳を少し過ぎた瀬名さんの、髪も、肌も、控えめな二重瞼も、すうっとした体のシルエットも、明るい黄色のワンピースに照らされ、紺色のパンプスに引き締められて、本当にかわいらしい少女のようだ。


二十歳で学生であることをやめ、被扶養者であることもやめた瀬名さんは、その過ごせなかった時間分、少女としての属性を今も持つ権利がある。
そして、母親は姑としてその権利を行使するよう瀬名さんに促したのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・

結納の品を両家で交わす。

気根家は僕と父親と母親。
瀬名家は瀬名さん一人。

瀬名さんは自分のお給料で用意してくれたタイピンを。
僕は自分のバイトのわずかな貯えで買った、ガラス工房の女性作家が作った、星が散りばめられた青い硝子玉のネックレスを。

「安くて、すみません」

僕が無粋に言うと周囲の人たちは一瞬眉をしかめたけれども、瀬名さんはにこっと笑ってくれた。

「つけてもいい?」

はい、と僕が頷くと肩にかかる後ろ髪をかき上げるようにして細い皮製の紐を首に巻き青い球を胸のあたりに揺らす。

「わ。かわいい・・・」

瀬名さんが指で更に青を揺らす。

「ありがとう、気根くん」

結納の儀式は和やかに進んだ。
心ばかりのみんなの手料理を談笑しながら穏やかにいただく。

ホテルの窓の外にも暖かな風が吹いていることが、木々のさわめきで分かる。

時間も押し迫る頃、瀬名さんの新しい同僚だろう、ホテルのスタッフさんがサプライズのセッティングをしてくれた。

ホテルらしい、背もたれの花柄のデザインが美しい椅子。

その前に座ったらちょうどいい高さに合わせたマイクスタンド。

そして、椅子のすぐ傍にもう一つ、立った高さのマイクスタンド。

瀬名さんが椅子に腰掛ける。
その胸に抱えられた一本の可憐なアコースティック・ギター。

「あの、歌います」

瀬名さんがそう言うと、加藤さんが甲高い声で叫んだ。

「瀬名ちゃん、ギター弾けるの!?」
「練習したの」

そして、当然のように僕が隣のマイクスタンドの前に立つと、作田が素っ頓狂な声を上げた。

「おいおい、気根、何してんだよ!?」
「えと。僕も歌います」
「デュエット、します」

瀬名さんは一言静かに言うと、足を組んでギターを手にした。
そのままポロン、と弦を鳴らし、語り始める。瀬名さんのMCだ。

「この気根くんの街ではわたしは異邦の人、ではあります。ですのでお母さまはわたしに『ごほうびを上げないとね』と言ってくださいました」

覚えたてのコードを何種類か奏でながら瀬名さんは語り続ける。

「そして、気根くんはとても素晴らしい『ごほうび』を考えてくれました。それは、『Artistic』というロック・バーでライブをすることです」

ヒュウっ! と明智が指笛を吹いてくれた。

「もちろん、まだまだマスターのご厚意で月イチで1曲か2曲だけ。PCの音源でオリジナル曲やってお客さまの耳汚しをする程度です。でも、ギターを覚えたらもっと出してあげる、ってマスターが言ってくださったので」
「瀬名さんはほんとに努力家です。環境もガラッと変わって仕事も家事も忙しいのに頑張ってマスターしました」
「気根くん、ありがとう。でもマスターするなんてレベルじゃないですし、弾けるのは1曲だけ。オリジナルをギターアレンジするのはハードルが高すぎるので、カバー曲です。エレファントカシマシというバンドの、とても美しい曲」

瀬名さんと僕は互いに顔を見合わせる。

そして、瀬名さんが曲名を告げる。

「『それを愛と呼ぶとしよう』」

僕たちは体を揺すりながら、いち、にい、さん、はい、で、瀬名さんがギターの1音を弾き始めた。

僕も何度も聴き込んだこの曲。
そしてこうして今ふたりで歌う瞬間も、最初に聴いた時の感動が新鮮に胸から溢れ出る。

ヴォーカルの宮本浩次がイントロで歌うファルセットを僕がなぞる。

瀬名さんが丁寧にギターを弾きながらメインヴォーカルを歌い始めた。

純愛、という言葉がまだこの世で有効だということを思い出させてくれる、本当に気恥ずかしいほどの愛の歌。

瀬名さんのメインヴォーカルに原曲をアレンジした僕のファルセット・コーラスを溶け込ませていく。

僕の病気のこともあって、唇を重ねることも、肌を合わせることも僕らはできていない。

でも、僕と瀬名さんはこの歌をこうしてふたりで奏でる瞬間、身も心も一つになっている。

瀬名さんがクライマックスを歌いあげる。

『Oh baby どんな悲しみも越えてお前と歩き続けるのが願い
 道に咲く花のような当たり前の日々がもっと素敵な明日への架け橋
 寄り添いたくてこうしてふたりでいること、それを愛と呼ぶとしよう
 これからもよろしくな 』
・・・エレファントカシマシ「それを愛と呼ぶとしよう」・・・・

瀬名さんはうっすらと涙を浮かべて歌う。

僕は涙をこらえ、彼女の演奏に応える。

なんて美しい曲だろう。

なんて愛おしい日々なんだろう。

瀬名さん、愛してます。

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