第57話 瀬名さん、どんちゃん騒ぎましょう

文字数 2,945文字

「不平・不満は我が身を滅ぼす」
「うっさい!」

ばあちゃんの口癖を僕が口にすると、かぶせるように加藤さんが全否定した。

まあそれも仕方ない。

瀬名さんが大学を中退した後も同じ東京の空の下、女子寮メンバーは常に瀬名さんと触れ合ってくれた。
それをあろうことか僕の一身上の理由で瀬名さんを実家に連れ去ろうとしているわけだから。

かつ、お別れの大宴会も、なんと『お酒抜き』なのだから。

・・・・・・・・・・

「えー、不肖・加藤、気根くんと瀬名ちゃんの送別の宴の幹事という大役を仰せつかりました。ここ神保町の中華の名店、『トキモ亭』。予算の都合上ランチの時間帯、気根くんの病状に配慮して油控えめの精進中華、そしてなんと、アルコールが一切出ないのでありますっ!」

わははー、いいぞ加藤ー!
とヤジが飛ぶ。

「しかも季節は秋という随分気の早いタイミング。・・・まあこれはこの先就職活動と卒論準備に邁進せねばならぬ我々3年生の都合ですが・・・どちらにしても、何で行っちゃうんだー! 気根くん、瀬名ちゃん!」

よくわからない挨拶になってきたので、作田が加藤さんからマイクを奪い取り、返礼する立場の僕と瀬名さんに渡してくれた。

会場に集まってくれたのは山見書店の面々、女子寮・作田の大学連合、学外ゼミの准教授・ゼミ生たち、それから瀬名さんの職場関係はまた別途送別会をやるので今日はごく身近な同僚や先輩方だけ。

まずは僕がマイクを手にする。

「えーと。皆さん、今日は僕と瀬名さんのためにこんなにも盛大な会をご準備いただき本当にありがとうございます」

気根ー、まるで結婚会見だなー!
とこれまたヤジが飛ぶ。まあそれに近いものではあるけれども。

「とはいえ僕も転学許可、瀬名さんもエリア社員の申請が認められないと僕の街に移住できませんのでこれから
が正念場なんですけど」
「いつ決まるんですかー?」

山見書店バイトかつ女子寮メンバーでもある1年生の里見さんだ。加藤さんのプレッシャーに唯一抵抗できる新入生の質問に、僕はごく真面目に答えた。

「12月。クリスマスの辺りだよ」
「わー。まだまだ先ですねー」
「うん。里見さん、それまでバイト一緒だけどフォローしてね」
「ええもちろん。気根さんと瀬名さんがイチャイチャラブラブする時間を作れるよう、ばんばん仕事こなしますから!」

僕の顔が引きつったところで瀬名さんにバトンタッチした。

「あの・・・実はわたし、大学中退決めた時、もう楽しいことってないんだろうな、って思ってました」

会場のざわつきが静まった。

「それなりに大学でやりたいこともあったのでそういう将来が断たれたかな、と。でも今の職場でホテルの仕事をして、世の中ってわたしの思い描く世界がすべてじゃないって気が付きました」

瀬名さんが頭を下げるとホテルの方たちがにこっと瀬名さんに微笑み返す。

「そして、女子寮のみなさん、山見書店の皆さん、気根くんのゼミの皆さん、わたしといっぱい遊んだり青春したりしてくれてありがとうございました」
「おーい、作田くんを忘れてるよー」
「あ、ごめんなさい。作田くんも女子寮メンバーのつもりだったので」
「いいんですよー。俺は十把一絡げですからー」

作田くん独り立ちしろよー、とこれまたヤジられる。

「あの、こんな場で、しかもわたしの柄ではないんですけれども・・・
わたしは、気根くんが好きです」

はっ、として僕は隣に立つ瀬名さんを見つめる。

「ほんとに、ほんとに好きなんです。ですからどうか、わたしたちが気根くんの実家に行けるようお力をお貸しください」

思わずマイクを使わずに僕は声を出した。

「僕も瀬名さんが好きです。一緒に実家に帰れるよう、ふたりで頑張ります!」
「えーい、勝手にやってろー! かんぱーい!」

加藤さんがヤケクソのタイミングで乾杯の音頭をとったので、全員大慌てでガタガタと立ち上がり、ウーロン茶のグラスをガキガキガキとぶつけ合った。

それからの二時間は未曾有の盛り上がりだった。
人間って、シラフでトランス状態になれるんだという新たな発見もあった。

「えーい、油のない中華なんてー!」
「あ、ラー油置いてあるよ」
「半瓶かけろー!」

「気根くん、おめでとう・・・ってまだそうじゃないか」
「いえ、ありがとうございます。野田さんこそ、次期社長内定、おめでとうございます」
「いやあ・・・零細書店の社長なんて、雑用含めなんでも屋だから。借入金もあるし」
「野田さん、わたしが片腕になりますよ」
「黒石さんが居てくれてほんとによかったよー。地方大学の販路も広がってきてるし」
「野田さーん、わたしもいますよー」
「もちろん、里見さんにも頑張ってもらうよ。・・・でも、気根くんの体調さえよければ密かに狙ってたんだけどなあ・・・卒業後正社員に、って」
「すみません。どっちにしても卒業したら地元に戻るつもりだったので」
「仕方ないよねえ・・・」

「はい、滝田、ウーロン茶を一気飲みしまーす!」
「いいぞー! 滝ちゃん、やれやれー!」

誰も見たくない小学生のような余興が行われる中、会場の隅でホテルの先輩社員の北さんと瀬名さんがなにやら話し込んでいる。北さんは既婚者だけれどもイケメンなので、ちょっとだけ僕の心がざわつく。

けれども、すぐに状況がわかった。

北さんは簡易クロークの脇から大きな荷物を引き寄せた。

彼が取り出したのはアコースティック・ギターだった。

・・・・・・・・・

「えー、では突然ですが、瀬名ちゃんに1曲歌ってもらいます! 伴奏は瀬名ちゃんの直属の上司、主任の北さんです! ご存知の方もおられると思いますが、ネット投稿アーティストとして活動する瀬名ちゃんの作詞・作曲によるオリジナルナンバーです!」

加藤さんがウーロン茶とジンジャーエールのちゃんぽんでへべれけ(?)になったままコールした。
ほおっ、という声と共に拍手が起こる。

いつの間にか置かれていたマイクスタンドの前に瀬名さんが立ち、傍で北さんがギターをかき鳴らし始めた。

激しい曲だ。

・・・・
いつもひそかに生きてる
毎日控えめに生きてる
肝心要(かんじんかなめ)の言葉すら
言えないぐらいにひそかに

いつも生きてる
いつもひそかに生きてる
毎日生きてる
毎日ひそかに生きてる

いつもうつむいて歩いてる
背中を丸め足引きずって
みんなに顔向けできなくて
毎日うつむいて歩いてる

いつも生きてる
いつもひそかに生きてる
毎日生きてる
毎日ひそかに生きてる

・・・
北さんのギターソロが入る。
彼は、汗だくだ。

瀬名さんは、控えめに体を揺すって北さんのソロにリズムをとる。
再び、イントロと同じ激しいリフが始まる。

・・・・
いつもひそかに生きてる
毎日必死に生きてる
地べたを舐め這いずり回れど
毎日これからも生きてく

いつも生きてる
いつもひそかに生きてる
毎日生きてる
毎日ひそかに生きてる

いつも生きてる
いつもひそかに生きてる
毎日生きてる
毎日ひそかに生きてる

・・・・

拍手が聞こえる。
女子寮メンバーが泣いている。
作田も上を向いたまま顔を下ろそうとしない。

北さんと瀬名さんが握手をしてみんなの声援に応えている情景が目に入ってくる。

それが、(かす)む。

嗚咽をこらえようとする動作のせいで、僕は聴力も極端に抑えられる。
みんなの声が遠い世界の音楽へと変わっていく。

彼女は僕に賭けてくれた。

ならば、僕はそれに応えよう。
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