第44話 瀬名さん、爽やかに真夏の夜ランです

文字数 3,526文字

「気根くん、スカッとしたいんだけど」
「はい。プールでも行きますか? 」
「ううん。走りたいの」

そういう訳で走ることになった。
ただし、真夏の炎天下を走ることは熱中症の危険が伴うし、第一楽しくない。瀬名さんは早朝ならいいでしょうと言ったけれども、日が昇った時間ならそもそも既に暑い。

「うーん。なら、気根くん、『夜のピクニック』って知ってる?」
「あ。確かベストセラー小説ですよね。映画にもなったのかな」
「違うわよ」
「え」
「小説も有名だけど、わたしが言ってるのは仲井戸麗市(なかいどれいち)・チャボの『絵』っていうアルバムに入っている名曲『夜のピクニック』よ」
「すみません。聴いたことなくて・・・でも、それが?」
「そっちの夜のピクニックにあやかって、夜ランしない?」

まあ、夜ならば絶対日が出ないので昼間のような過酷さはないだろう。
ただ、瀬名さんがわざわざ「夜のピクニック」を持ち出したことに一抹の不安がある。

「あの。まさかとは思いますけど、ピクニックばりに長い距離を走ろう、ってことじゃないですよね」
「気根くん、さすがね。その通りよ」

・・・・・・・・・・・・・

瀬名さんとふたりきりで夜の街を走るというのもロマンチックではあるのだけれども、やはり東京の真夏の夜だ。治安上不安な面はあるので、集団で走ろうと参加者を募った。

瀬名さんと同じく高校で駅伝部だった加藤さん、滝田さんはすんなり参加。ただし男が僕ひとりだと不安だということで、有望なランニング新人に白羽の矢が立った。

「どうしてわざわざ苦しいことをしなくちゃいけないんだ」

嫌がる作田を女子3人が引きずるようにして参加を確定させた。

「えー、では僭越ですがわたくし加藤が夜ランの隊長を務めさせていただきます」

わー、パチパチパチと瀬名さんが勤める御茶ノ水のビジネスホテルの前で軽く盛り上がる男女5人。

「現在時刻は午後8時。ここ御茶ノ水を出発して白山通りをひたすら走ります。一応ゴールは王子の飛鳥山公園です」

結局走行距離は10km程度。
女子3人はやや消化不良のような雰囲気だったけれども、そもそもスロージョグでもきついであろう作田のスピードを考慮して、今日の日付の内にゴールインできるように配慮したのだ。

女子3人はビシッとキメている。

加藤さん、滝田さんはアンダーアーマーのランニングウエアにミズノのタイツ、シューズは今流行りのニューバランス。

そして、瀬名さんが素晴らしい。

ノースフェイスのランニングウエアに、ふくらはぎ保護用のひざ下レギンス。シューズはアシックスのレース・トレーニング用だ。

ちなみに僕は瀬名さんのおススメで普段から使っているアディダスのランニングウエアとランパン、シューズはナイキ。
作田はスポーツ全般向けの速乾性のTシャツに短パン、シューズだけはきちんとしたものでないと怪我に繋がるということで、瀬名さんのホテルのものを借りた。因みに瀬名さんのホテルでは皇居ランをしたいお客さんのためにランニングシューズを貸し出している。

「では、行きまーす!」

加藤さんの号令でゆっくりとスタートした。

「みんな、作田くんをフォローしてあげてね」
「瀬名さん、ありがとうございます」

なんと優しい。いや、さすが社会人といったところか。瀬名さんは集団行動の機微をよく知ってる。

「そういえばさ、こういう時って恋バナでもして走るもんだよね」
「そう。青春だからね」
「ねー」

加藤さんと滝田さんが並走してニヤリとする。

「では、作田くんから」
「はい?」

加藤さんが当然のように作田を指名する。

「マジですか」
「そう。マジに真面目なエピソード、よろしく」
「えーと・・・今付き合ってる彼女は3人目です。高校の時の子とは大学別で自然消滅。2人目の子は一年の時の学祭で相手に浮気されて終わり。今の子は3ヶ月目でまあ、順調」
「・・・それは恋バナじゃなくて女性遍歴でしょ」
「え。じゃあ加藤さん、何を話せば?」
「その・・・ほら、どの程度の仲だとか」
「ああ。キスは二か月前。それ以上は一か月前ですね」
「即物的、失格。次、滝ちゃん、口直しに」
「え、ええ? じゃあ・・・妄想の初恋じゃなく具体的に好きになったのは高2の時の先輩だったな。男子駅伝部で県の強化合宿にも呼ばれてた人でさ」
「へえ。滝ちゃんの高校って駅伝強かったの?」
「まあ、万年2位〜3位で全国大会は行けず、って感じ。で、結局最後の夏も全国逃したその先輩にね、夏休み前にまあ告白したわけ。『ずっと好きでした』って」
「おー、すごいじゃない! で?で?」
「加藤っち、急かさないで。返事はね、『愛おしい毎日をお互い大切に過ごしていこう』って」
「?」

僕らはしばらくその先輩の言葉の意味を考えた。
ただ、誰かが何か言う前に滝田さんがさっさと答える。

「あ、あのね。わたしも訊いたのよ。『それってどういう意味ですか』って。そしたら追加の返事がね、『僕は君とこの高校で出会えたことを生涯誇りに思う。あまりにもステキな縁だったと』」
「・・・ふられたのね」

意外なことに瀬名さんがぼそっと呟いた。けれどもそれを聞いた滝田さんが瀬名さんに抱きつく。

「瀬名ちゃんは分かってくれるのね」「うん。分かるわ」

僕は心中穏やかじゃない。瀬名さん、何が分かるってんだ。まさか瀬名さんもそういう経験が?

「あ、気根くん。わたし気根くんがほんとに具体的な初恋だから安心して」
「瀬名ちゃ〜ん」

クールな瀬名さんに裏切られた滝田さんに追い討ちをかけるように加藤さんがプログラムを進める。

「じゃあ次。気根くんと瀬名ちゃん。ふたりの進展を報告せよ」

走るスピードがさらにゆるゆるになる。

「気根くん、わたしが話してもいいかしら」

瀬名さんなら無難なことしか言わないだろう。僕は安心して彼女に任せた。

「この間、キスしたわ」
「なっ!?」
「ええっ!?」
「き、気根! そ、そうか。ついに・・・」

みんな驚愕するけれども一番驚いたのは僕だ。思わず叫んでしまった。

「せ、瀬名さん!?」

その後、瀬名さんが珍しくいたずらっ子の笑顔を見せる。

「間接キッスよ」

みんなほぼ脱力で歩くようなスピードになる。

「ほんっとにあなたたちは!」
「気根〜。もしかして男子としての健全さとかないのか〜」

そういう空気の中、僕は本当に何気なく言った。

「加藤さんは?」

一言、

「うっさいわね!」

終了。

なんなんだ一体・・・

・・・・・・・

ぺちゃくちゃと喋りながらだったので作田も気がついたら走れてた、という感じだ。
いつのまにか巣鴨に。その後、都電沿いに走って王子の飛鳥山公園にほどなくたどり着いた。

「ゴール!」
「意外とあっさりだったねー」
「水分補給にビール欲しいとかいうおバカさんはいたけどね」
「反省してます」

作田がしおらしく言ったところで、ブルースギターの音が耳に入ってきた。
観るとアンプにケーブルをつないでギターを弾き・かつ歌っている壮年の男性がいた。

「あ。これ、麗蘭(れいらん)の『ミュージック』だわ」

瀬名さんが呟いて10人ぐらいのオーディエンスが集まっている場所へみんなで歩いていった。その男性は紺のサマーセーターにジーンズ、先の少し細いブーツを履いていた。

演奏が終わり、拍手と地面に裏返されたキャップにコインを投げ入れるひとたち。僕らも瀬名さんに続いてコインを入れる。

そして瀬名さんがギタリストに訊いた。

「あの。ストリートスライダーズがお好きなんですか?」
「うん? もちろんスライダーズも好きだけど、俺はRCの方だよ」
「じゃあ、チャボも」
「ああ。チャボに憧れてギター始めたんだから」
「あの、すみません。『夜のピクニック』って弾けますか?」
「お? あなた、渋いね。大好きな曲だよ。()ろうか?」

そう言うと彼はいきなりギターを弾き始めた。明るくてそれでいて切ない響きのミディアムテンポの曲だ。

ヴォーカルの前にひとつ咳払いをした。

「魅惑の夜は お前を連れて
ベッドを抜け出して 遠い星まで歩いて行こう
知らない国への とても奇妙な 不思議な ピクニック
夜のピクニック・・・」
・・・・仲井戸麗市 『夜のピクニック』

・・・・・・・・・・・

「加藤っち」
「何? 瀬名ちゃん」
「年齢さえ問題じゃなければ、彼ってどう?」
「え? あのギタリスト?」
「うん」
「そうだね。まあ、たまに聴きに行ってみようかな」

作田がぼやく。

「まあ走って気分はそれなりによかったですけど、汗ベトベトだー。電車にも乗れないですよー」
「あの、みんな」

瀬名さんが遠慮がちに口を開く。

「近くにうちの系列のホテルがあってね。あと一走りすればシャワー貸してもらえるし、タバーンでビールも飲めるわ」
「え? どこですか? 全然OKですよ」

俄然元気が出た作田に瀬名さんがつぶやく。

「赤羽。あと5km」

微妙だ。
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