第19話 瀬名さん、ときめきますね
文字数 4,336文字
「気根くん。普通のデート、したいね」
「え・・・瀬名さん、それって今までが異常なデートだったって認識ですか」
確かに20歳前後の僕らにしたら少しズレてるシチュエーションが多かったかもしれない。思い出して僕は列挙してみた。
「コインランドリーデート。楽曲投稿日当デート。惣菜コンテストデート。皇居駅伝試走デート。失踪会見デート。駒込墓参デート。兄妹確執ドロドロデート」
「ドロドロはひどい」
「えーと、続けますね。降格慰留純喫茶書店デート。ホテル客室モーニングデート、からの老舗ホテルロビー喫茶デート」
僕は敢えてロビー喫茶デートを最後に挙げた。これは瀬名さんですら知らない僕と渋いホテルスタッフさんだけの秘密があるからだ。(キーワード・頭髪ぽんぽん)
「気根くん・・・体言止めが天才的だね。何かのキャッチコピーみたい」
「冗談はさておき、瀬名さんはどんなデートがしたいんですか? ディズニーランド行きたいとか?」
「ううん。そうじゃなくって、プロセスも含めてきちんとした手順を踏んだ普通のデート。行く場所決めてアポ取って」
「アポ・・・」
「ごめんね、言い回しが事務的で。要はそういう事務的な用足しのついでみたいなのじゃなくって、なんというか・・・」
「ときめきたいんですか?」
僕が言った途端に瀬名さんが顔を真っ赤にして目を逸らす。僕自身も最もこのふたりにとって、『らしくない』単語を発したことに赤面した。
ときめき。
いい大人で、しかも瀬名さんにいたっては社会人。
「でも、つまり、そういうことよ」
瀬名さんはとうとう目を伏せながらも白状した。
・・・・・・・・・・
「作田って彼女いたよね。デートってどんな風にしてる?」
「どうした、急に」
僕がごく一般的な大学生というと同級生の作田しか思い浮かばなかった。
瀬名さんとのやりとりをかいつまんで説明した。
「ふうん。『ときめき』なんて可愛らしい彼女さんじゃないか。今時珍しい」
「作田はどんな場所でデートしてる?」
「その前に気根に質問」
「な、何?」
「かわいいね、っていつも褒めてあげてますか?」
「・・・いや、別に」
「仕事大変だね、って労 ってあげてる?」
「うーん。たまに」
「スキンシップしてますか?」
「・・・一回だけ、手を繋いだ」
「なんだよそれ。じゃあ、最後。好き、って言ってあげてる?」
「・・・彼女に言わされて何回か」
「ダメな男だなあ・・・」
作田に相談したその日に学食で徹底レクチャーを受けた。その最中に女子寮メンバーがやって来て興味本位で僕らの隣のテーブルに腰を落ち着けた。
加藤さんが総括する。
「作田くん、気根くんはどう? いけそう?」
「最もときめきとは縁遠い男ですね」
「やっぱり・・・じゃあ、この加藤さんが一肌脱いであげるよ。よっ、と」
そう言って加藤さんは何やら高速でLINEに文字を打ち込み始めた。そして、そのまま送信ボタンを押す。
押した後で全員に全文を見せる。
『瀬名ちゃん、おひさ。気根くんが大事な話があるんだって。今日仕事が終わったら銀座の楽器屋さんに行ってあげて。気根くん、ずっと待ってるって』
「え、え。加藤さん、これなんですか?」
「ん? 文章わかりにくい? 見たまんまだよ」
「なんで銀座の楽器屋さんなんですか? それに大事な話って、僕は別に・・・」
「気根くん! 」
「は、はい!」
加藤さんが右腕をまっすぐに伸ばし、人差し指の先まで一直線に僕をビシッと指す。
「直感だけど、あなたたち『告白』ってしてないでしょ?」
「う・・・そういえば」
「気がついたらなんとなくツルんでたって感じでしょ」
「そんな感じです」
「『付き合ってください』から始めないとときめきもクソもないよ」
おー、と作田も女子寮メンバーも加藤さんの論旨に賛賞のどよめきをあげる。
「それから気根くんは瀬名ちゃんが楽曲サイトに投稿してるのは知ってるよね」
「はい。瀬名さんの曲、聴かせてもらったこともあります」
「あの子、ほんとはピアノとか習いたかったんだよね。でもあんな実家だったからさあ。知ってた? 瀬名ちゃんが楽器屋通いが趣味だってのは」
「え。それは初耳です」
「楽器を弾けないコンプレックスが抜けないみたいでピアノ見たりシンセ物色したりね。高いんでフリーのソフトで我慢してるけど」
そうだったのか。僕はまだまだ瀬名さんのパートナーとして十分じゃないってことなのかな。
加藤さんがくるっとテーブルを見渡す。
「作田くん、今夜ヒマ?」
「はい? 特に予定はありませんけど」
「みんなは?」
「何もなーし」
「んじゃ、銀座行くよ。全員でふたりを見守ろう」
はめられた。
・・・・・・・・・・・
僕(たち)より先に瀬名さんは楽器屋さんに着いていた。
電子ピアノの前に佇み、鍵盤に触れようかどうしようかという葛藤の空気が漂っている。
なんだか、絵になる。
「瀬名さん、遅くなりました」
僕が声をかけるといつも通りの少しわかりづらい笑顔をにこっと向けてくれる。
「この場所は加藤っちのアイデアね。でも、嬉しい」
「瀬名さん、最近、曲作ってますか?」
「ううん。仕事が忙しくって・・・ってそんなの言い訳よね」
「ピアノ、欲しいんですか?」
「ううん。弾けないし」
「じゃ、シンセは?」
「わたしの頭ん中のイメージが伝わってすぐさま譜面に起こしてくれるなら欲しい」
「脳波で作曲ですか」
「大事な話って?」
「え、と。あのですね」
「うん」
「すみません」
不意に声をかけられた。僕と瀬名さんは後ろを振り向く。
「おふたりは彼氏さん・彼女さんですか」
「ええ、まあ・・・」
「これからデモ演奏をするんですけれども、もしよろしかったらおふたりのリクエストにお応えします。思い出の曲とかあればいかがですか?」
若く、きれいな女性スタッフさんだ。制服の前でていねいに手を重ね、僕たちをとても丁重に扱ってくれているのがわかる。
僕は答えた。
「音楽の趣味とか合わないんで彼女に任せます。瀬名さん、何かあれば」
「え・・・クラシックじゃなくてもいいですか?」
「はい、何なりと」
「じゃあ、ギルバート・オサリバンの、『アローン・アゲイン』を」
「名曲ですね。かしこまりました」
そう言ってスタッフさんはピアノに向かい、鍵盤をやさしくタッチして音を奏でた。
僕は初めて聴く曲だったけれども、耳に残る・・・いや、心にすっと流れ込んでくるメロディーを一度で覚えた。
演奏が終わると背後からパチパチという音が聴こえた。
振り返るとお客さんたちが拍手している。
スタッフさんは立ち上がり丁寧にお辞儀した後、
「このステキなお二人へのプレゼントでした」
そう言うとますます拍手が大きくなった。僕と瀬名さんもお辞儀する。
ふっと、見ると、フロアの隅っこで加藤さん・作田・女子寮メンバーが、
『行け! 行け!』
と目をひんむいて僕に合図していた。
僕は瀬名さんの正面に向き直り、すうっ、と息を吸い込んだ。
「気根くん、地下行っていい?」
「はい?」
・・・・・・・・・
『あの気根史上最大のクライマックスを逃してどうする!』
というみんなの怒号が聴こえてきそうだ。けれども、瀬名さんのナチュラルな会話に気合いをそがれ、僕らはお店のB1フロアに来ていた。
「シーケンサーとかドラムマシンのフロアなのよ。わたしはリズムから曲を作るタイプだから」
言ってる意味が分からなかったけれども、つまりこのフロアはリズム関係の楽器のコーナーなのだろう。見ると生のドラムのコーナーもあった。
「あ、気根くん!」
生のドラムセットのコーナーで瀬名さんがテンション高い声を上げる。
「見て見て、ACIDMANのドラマーのサインがあるよ!」
ずらっと、サイン色紙が壁に貼られている。僕が知っている伝説的なバンドのドラマーの名前もあった。
「瀬名さんはACIDMANが好きなんですか」
「うん、大好き! って、ごめんね、ひとりで盛り上がって」
なんだろ。少女みたいだ。
こんな瀬名さんを見るのは初めてかもしれない。
「彼女さん、ACIDMANお好きですか?」
またこのパターンだ。さわやかな男性スタッフさんが瀬名さんに声をかけてきた。
「ええ、すごく好きで。いつも聴いてます」
「僕もACIDMAM、大好きです。お客様、ドラムは?」
「わたし、楽器は全然ダメなんです」
「よろしければ一曲叩きますよ。リクエストをどうぞ」
「ほんとですか⁈ じゃあ、『ある証明』を」
かしこまりました、と言ってスタッフさんがドラムの前に座る。
スティックをカッ、カッと何度か打ち鳴らした後、ペダルを踏んで、真ん中の大太鼓みたいなやつを打ち鳴らした。それから、小太鼓みたいなやつやシンバルも。
『音、でかい!』
初めてドラムの生演奏を聞いた僕は鼓膜の振動と骨身に染みる音圧とに圧倒されていた。耳を塞ぎたいのを我慢する。
隣の瀬名さんに目を向けると、彼女は軽く体をゆすり、目を閉じてリズムを合わせていた。
多分、ギターや他のパートを頭の中で鳴らしながら聴いているのだろう。
僕の体が自然に動いた。
瀬名さんの肩を、トントン、と叩く。
僕の顔を見上げた瀬名さんに向かって、僕は大声を上げた。
『好きです。僕と付き合ってください!』
そのセリフとシンクロしてスタッフさんが小太鼓を怒涛のごときスピードで連打し始めた。
え? と僕に訊き返す瀬名さん。
『好きです。僕と、付・き・合・っ・て・く・だ・さ・い!』
伝わらない。
三度、同じやりとりを繰り返した。
その間に演奏が終わった。
業を煮やしたギャラリーたちがスピーカーや音響機器の物陰から飛び出してきた。
「あれっ、加藤っち。みんなも」
瀬名さんが女子寮メンバーたちをびっくり眼 で見つめる。加藤さんが瀬名さんに詰め寄る。
「瀬名ちゃん、で、どうだった⁈」
「え。どうって、何が」
「気根くん、何て言ってた?」
「あ、気根くん。そういえば、さっきわたしに何て言ったの?」
まったくのフラットな表情で僕を見つめる瀬名さん。
背中を脂汗でじっとりと濡らす僕の口元をみつめるギャラリーども。
「『す』・・・・」
「す?」
「・・・『すごい迫力ですね』」
・・・・・・・・・
「あーあ、気根くんにはがっかりだよ」
加藤さんがぼやき、女子寮メンバーに作田も僕を白眼視する。
せっかく銀座に来たことだし、奮発してデパートの食堂でぞろぞろと晩御飯を食べることにした。
瀬名さんが僕のジャケットの背中をくいっ、と引っ張った。
「気根くん。さっきの唇の動きとセリフが噛み合わないんだけど」
「う・・・」
「ほんとはなんて言ってくれたの?」
瀬名さんがさっきと同じ少女の表情で笑う。
「後で言います・・・」
話している内にデパートに着いた。加藤さんの引率の号令が聞こえたのでそのままきらきらとしたショーウインドーを横切って建物に入る。
その瞬間の瀬名さんの横顔に、なんだかときめいた。
「え・・・瀬名さん、それって今までが異常なデートだったって認識ですか」
確かに20歳前後の僕らにしたら少しズレてるシチュエーションが多かったかもしれない。思い出して僕は列挙してみた。
「コインランドリーデート。楽曲投稿日当デート。惣菜コンテストデート。皇居駅伝試走デート。失踪会見デート。駒込墓参デート。兄妹確執ドロドロデート」
「ドロドロはひどい」
「えーと、続けますね。降格慰留純喫茶書店デート。ホテル客室モーニングデート、からの老舗ホテルロビー喫茶デート」
僕は敢えてロビー喫茶デートを最後に挙げた。これは瀬名さんですら知らない僕と渋いホテルスタッフさんだけの秘密があるからだ。(キーワード・頭髪ぽんぽん)
「気根くん・・・体言止めが天才的だね。何かのキャッチコピーみたい」
「冗談はさておき、瀬名さんはどんなデートがしたいんですか? ディズニーランド行きたいとか?」
「ううん。そうじゃなくって、プロセスも含めてきちんとした手順を踏んだ普通のデート。行く場所決めてアポ取って」
「アポ・・・」
「ごめんね、言い回しが事務的で。要はそういう事務的な用足しのついでみたいなのじゃなくって、なんというか・・・」
「ときめきたいんですか?」
僕が言った途端に瀬名さんが顔を真っ赤にして目を逸らす。僕自身も最もこのふたりにとって、『らしくない』単語を発したことに赤面した。
ときめき。
いい大人で、しかも瀬名さんにいたっては社会人。
「でも、つまり、そういうことよ」
瀬名さんはとうとう目を伏せながらも白状した。
・・・・・・・・・・
「作田って彼女いたよね。デートってどんな風にしてる?」
「どうした、急に」
僕がごく一般的な大学生というと同級生の作田しか思い浮かばなかった。
瀬名さんとのやりとりをかいつまんで説明した。
「ふうん。『ときめき』なんて可愛らしい彼女さんじゃないか。今時珍しい」
「作田はどんな場所でデートしてる?」
「その前に気根に質問」
「な、何?」
「かわいいね、っていつも褒めてあげてますか?」
「・・・いや、別に」
「仕事大変だね、って
「うーん。たまに」
「スキンシップしてますか?」
「・・・一回だけ、手を繋いだ」
「なんだよそれ。じゃあ、最後。好き、って言ってあげてる?」
「・・・彼女に言わされて何回か」
「ダメな男だなあ・・・」
作田に相談したその日に学食で徹底レクチャーを受けた。その最中に女子寮メンバーがやって来て興味本位で僕らの隣のテーブルに腰を落ち着けた。
加藤さんが総括する。
「作田くん、気根くんはどう? いけそう?」
「最もときめきとは縁遠い男ですね」
「やっぱり・・・じゃあ、この加藤さんが一肌脱いであげるよ。よっ、と」
そう言って加藤さんは何やら高速でLINEに文字を打ち込み始めた。そして、そのまま送信ボタンを押す。
押した後で全員に全文を見せる。
『瀬名ちゃん、おひさ。気根くんが大事な話があるんだって。今日仕事が終わったら銀座の楽器屋さんに行ってあげて。気根くん、ずっと待ってるって』
「え、え。加藤さん、これなんですか?」
「ん? 文章わかりにくい? 見たまんまだよ」
「なんで銀座の楽器屋さんなんですか? それに大事な話って、僕は別に・・・」
「気根くん! 」
「は、はい!」
加藤さんが右腕をまっすぐに伸ばし、人差し指の先まで一直線に僕をビシッと指す。
「直感だけど、あなたたち『告白』ってしてないでしょ?」
「う・・・そういえば」
「気がついたらなんとなくツルんでたって感じでしょ」
「そんな感じです」
「『付き合ってください』から始めないとときめきもクソもないよ」
おー、と作田も女子寮メンバーも加藤さんの論旨に賛賞のどよめきをあげる。
「それから気根くんは瀬名ちゃんが楽曲サイトに投稿してるのは知ってるよね」
「はい。瀬名さんの曲、聴かせてもらったこともあります」
「あの子、ほんとはピアノとか習いたかったんだよね。でもあんな実家だったからさあ。知ってた? 瀬名ちゃんが楽器屋通いが趣味だってのは」
「え。それは初耳です」
「楽器を弾けないコンプレックスが抜けないみたいでピアノ見たりシンセ物色したりね。高いんでフリーのソフトで我慢してるけど」
そうだったのか。僕はまだまだ瀬名さんのパートナーとして十分じゃないってことなのかな。
加藤さんがくるっとテーブルを見渡す。
「作田くん、今夜ヒマ?」
「はい? 特に予定はありませんけど」
「みんなは?」
「何もなーし」
「んじゃ、銀座行くよ。全員でふたりを見守ろう」
はめられた。
・・・・・・・・・・・
僕(たち)より先に瀬名さんは楽器屋さんに着いていた。
電子ピアノの前に佇み、鍵盤に触れようかどうしようかという葛藤の空気が漂っている。
なんだか、絵になる。
「瀬名さん、遅くなりました」
僕が声をかけるといつも通りの少しわかりづらい笑顔をにこっと向けてくれる。
「この場所は加藤っちのアイデアね。でも、嬉しい」
「瀬名さん、最近、曲作ってますか?」
「ううん。仕事が忙しくって・・・ってそんなの言い訳よね」
「ピアノ、欲しいんですか?」
「ううん。弾けないし」
「じゃ、シンセは?」
「わたしの頭ん中のイメージが伝わってすぐさま譜面に起こしてくれるなら欲しい」
「脳波で作曲ですか」
「大事な話って?」
「え、と。あのですね」
「うん」
「すみません」
不意に声をかけられた。僕と瀬名さんは後ろを振り向く。
「おふたりは彼氏さん・彼女さんですか」
「ええ、まあ・・・」
「これからデモ演奏をするんですけれども、もしよろしかったらおふたりのリクエストにお応えします。思い出の曲とかあればいかがですか?」
若く、きれいな女性スタッフさんだ。制服の前でていねいに手を重ね、僕たちをとても丁重に扱ってくれているのがわかる。
僕は答えた。
「音楽の趣味とか合わないんで彼女に任せます。瀬名さん、何かあれば」
「え・・・クラシックじゃなくてもいいですか?」
「はい、何なりと」
「じゃあ、ギルバート・オサリバンの、『アローン・アゲイン』を」
「名曲ですね。かしこまりました」
そう言ってスタッフさんはピアノに向かい、鍵盤をやさしくタッチして音を奏でた。
僕は初めて聴く曲だったけれども、耳に残る・・・いや、心にすっと流れ込んでくるメロディーを一度で覚えた。
演奏が終わると背後からパチパチという音が聴こえた。
振り返るとお客さんたちが拍手している。
スタッフさんは立ち上がり丁寧にお辞儀した後、
「このステキなお二人へのプレゼントでした」
そう言うとますます拍手が大きくなった。僕と瀬名さんもお辞儀する。
ふっと、見ると、フロアの隅っこで加藤さん・作田・女子寮メンバーが、
『行け! 行け!』
と目をひんむいて僕に合図していた。
僕は瀬名さんの正面に向き直り、すうっ、と息を吸い込んだ。
「気根くん、地下行っていい?」
「はい?」
・・・・・・・・・
『あの気根史上最大のクライマックスを逃してどうする!』
というみんなの怒号が聴こえてきそうだ。けれども、瀬名さんのナチュラルな会話に気合いをそがれ、僕らはお店のB1フロアに来ていた。
「シーケンサーとかドラムマシンのフロアなのよ。わたしはリズムから曲を作るタイプだから」
言ってる意味が分からなかったけれども、つまりこのフロアはリズム関係の楽器のコーナーなのだろう。見ると生のドラムのコーナーもあった。
「あ、気根くん!」
生のドラムセットのコーナーで瀬名さんがテンション高い声を上げる。
「見て見て、ACIDMANのドラマーのサインがあるよ!」
ずらっと、サイン色紙が壁に貼られている。僕が知っている伝説的なバンドのドラマーの名前もあった。
「瀬名さんはACIDMANが好きなんですか」
「うん、大好き! って、ごめんね、ひとりで盛り上がって」
なんだろ。少女みたいだ。
こんな瀬名さんを見るのは初めてかもしれない。
「彼女さん、ACIDMANお好きですか?」
またこのパターンだ。さわやかな男性スタッフさんが瀬名さんに声をかけてきた。
「ええ、すごく好きで。いつも聴いてます」
「僕もACIDMAM、大好きです。お客様、ドラムは?」
「わたし、楽器は全然ダメなんです」
「よろしければ一曲叩きますよ。リクエストをどうぞ」
「ほんとですか⁈ じゃあ、『ある証明』を」
かしこまりました、と言ってスタッフさんがドラムの前に座る。
スティックをカッ、カッと何度か打ち鳴らした後、ペダルを踏んで、真ん中の大太鼓みたいなやつを打ち鳴らした。それから、小太鼓みたいなやつやシンバルも。
『音、でかい!』
初めてドラムの生演奏を聞いた僕は鼓膜の振動と骨身に染みる音圧とに圧倒されていた。耳を塞ぎたいのを我慢する。
隣の瀬名さんに目を向けると、彼女は軽く体をゆすり、目を閉じてリズムを合わせていた。
多分、ギターや他のパートを頭の中で鳴らしながら聴いているのだろう。
僕の体が自然に動いた。
瀬名さんの肩を、トントン、と叩く。
僕の顔を見上げた瀬名さんに向かって、僕は大声を上げた。
『好きです。僕と付き合ってください!』
そのセリフとシンクロしてスタッフさんが小太鼓を怒涛のごときスピードで連打し始めた。
え? と僕に訊き返す瀬名さん。
『好きです。僕と、付・き・合・っ・て・く・だ・さ・い!』
伝わらない。
三度、同じやりとりを繰り返した。
その間に演奏が終わった。
業を煮やしたギャラリーたちがスピーカーや音響機器の物陰から飛び出してきた。
「あれっ、加藤っち。みんなも」
瀬名さんが女子寮メンバーたちをびっくり
「瀬名ちゃん、で、どうだった⁈」
「え。どうって、何が」
「気根くん、何て言ってた?」
「あ、気根くん。そういえば、さっきわたしに何て言ったの?」
まったくのフラットな表情で僕を見つめる瀬名さん。
背中を脂汗でじっとりと濡らす僕の口元をみつめるギャラリーども。
「『す』・・・・」
「す?」
「・・・『すごい迫力ですね』」
・・・・・・・・・
「あーあ、気根くんにはがっかりだよ」
加藤さんがぼやき、女子寮メンバーに作田も僕を白眼視する。
せっかく銀座に来たことだし、奮発してデパートの食堂でぞろぞろと晩御飯を食べることにした。
瀬名さんが僕のジャケットの背中をくいっ、と引っ張った。
「気根くん。さっきの唇の動きとセリフが噛み合わないんだけど」
「う・・・」
「ほんとはなんて言ってくれたの?」
瀬名さんがさっきと同じ少女の表情で笑う。
「後で言います・・・」
話している内にデパートに着いた。加藤さんの引率の号令が聞こえたのでそのままきらきらとしたショーウインドーを横切って建物に入る。
その瞬間の瀬名さんの横顔に、なんだかときめいた。