第38話 瀬名さん、ビアガーデンですね

文字数 3,080文字

「生ジョッキ8つね!」
「はーい、只今!」

瀬名さんの働くビジネスホテルでも屋上ビアガーデンが始まった。
LINEでご優待チケットを受け取った僕と作田、それに女子寮メンバーは売り上げに貢献するため、ぞろぞろと押しかけたのだ。

瀬名さんも助っ人でフロアスタッフとしてキビキビと動いている。

「気根く〜ん。残念だったねー」
「え。何がですか、加藤さん?」
「だって、瀬名ちゃんの服装、ビールのロゴが入ったボディコン服じゃないからさあ」
「そんなの着るわけないじゃないですか。スラックス、蝶ネクタイの普段の制服が一番しっくりきます」
「みんな、楽しんでる?」

瀬名さんが僕らのテーブルに愛想を振りにきてくれた。いえー! と声を上げてジョッキをぐわきん、とぶつけ合う女子寮メンバー。僕と作田も巻き込まれる。

「作田くんはお酒強いの?」
「瀬名さん、実は僕って酒屋からコンビニに鞍替えした家の息子なんですよ」
「・・・ちょっと微妙ね」
「気根く〜ん!」
「加藤さん、ペース速すぎですよ」
「いいじゃんねえ。こういう時ぐらいスカッとしたいもん。瀬名ちゃん、一杯飲んでく?」
「仕事上がったらね。後30分ほどだから」

シンプルに考えれば女子大生の集合体であるこのテーブルに声をかけてくる男子どもがいてもおかしくないはずだ。僕と作田など取るに足らない弱々しさなので。

けれども、誰も声をかけてこない。
いや。
気がつくと周囲のテーブルの椅子が明らかに不自然な位置までずらされ、遠のいていることがわかる。

「大ジョッキ6つ、大至急!」
「ツマミが足んないよー!」
「暑いぞー! クーラーないのー⁈」

ジョッキを下げるスピードが追いつかず、回転寿司屋の皿積み上げ状態のようになっている。
女子寮メンバー方はややシニカルな傾向はあるものの、シラフの時はごく常識的で良民と言える女性たちだ。
ところが毎晩のように寮で酒盛りをするぐらいのお酒好き揃いで、酔うとこの有様だ。
瀬名さんがたしなめに来た。

「加藤っち、屋外でクーラーは無茶だよ」
「瀬名ちゃ〜ん。固いこと言わないの〜」
「それから加藤っち」
「ん?」
「わたしの査定にひびくから、行儀よく飲んでくれないかしら」
「・・・・ごめん」

作田が僕の袖を引っ張る。

「おい、瀬名さんすげえな。この人たち黙らせちゃったよ」
「作田。瀬名さんが寮でなんて呼ばれてたか知ってる?」
「なんて?」
「寮母さん」
「なるほど」

シフトの時間が終わり、瀬名さんも僕らのテーブルに合流した。

「お疲れー!」

また全員でジョッキをぐわきん、とぶつける。瀬名さんがみんなにこの後の余興の説明した。

「一応バンドの生演奏があるの。確か大学生のサークルバンドでライブハウスにも出てるって言ってたかな? あ、始まるみたい」

屋上の、月の昇ってる辺りの簡易ステージに4人組の若い男子どもが楽器を抱えて上がった。

「こんばんはー、今宵は当ホテルのビアガーデンにようこそお越しくださいましたー。僕たちは『クラッシュ・カフェ』っていうロックバンドです」

ぱちぱち、とまばらな拍手が鳴る。
滝田さんが腰をがたっ、と浮き上がらせて呟いた。

「あ、あいつ・・・」
「なになに、どうしたの滝ちゃん」
「あのヴォーカル、サジ大の3年なんだけどさ、うちのサークルの子と付き合ってたくせに三股かけてたとんでもない奴でさ。その子が彼氏紹介するからっていうんでライブハウスに行った時楽屋で挨拶したんだ。間違いない」
「えー。その子はどうなったの?」
「わたしからそんな奴とは別れろって言って別れたよ。でも大泣きしてさあ。もう男は信じられないって」
「ひどい奴だねー」
「一矢報いてやりたいなー」

女子寮メンバーが不穏なことを言いながら、ヒソヒソと打ち合わせしている。

「瀬名さん、止めなくていいんですか?」
「気根くん。わたしも浮気男、大嫌いだから」

無表情でそういう瀬名さんに背筋が凍りついた。
作田も無口になって枝豆ばかりつまんでいる。

「では、一曲目。僕たち普段はこういう曲やらないんですが、この場の雰囲気の盛り上げに。『オーエンダセン』!」

演奏が始まった。

うわ、やっぱりやった!

『オーエンダセン』
『ヴォーヴェンダゼン!』(女子寮コーラス)
『ゴーマーティニ』
『ゴーヴァーディビ!』(女子寮)
『オーエンダセンゴーマーティーニー』
『ヴォーヴェンダゼン!』

女子寮メンバーが、ハードコアパンクのコーラスのようなダミ声でヴォーカルの歌に輪唱する。

わはは! と周囲の年配リーマンたちのテーブルから大笑いが起こる。

たまらずバンドが演奏を中断する。
ヴォーカルがマイク越しに、一応丁寧に懇願する。

「ちょっと、お客さん。野次らないでくださいよ」
「えー。コールアンドレスポンスしてるだけじゃーん」
「あ・・・お前」

ヴォーカルが滝田さんに気づいたようだ。滝田さんも間髪入れずに声を上げる。

「あ! 客に向かって『お前』だって。ひどーい!」

こうなるとどんなに酒グセが悪くても世の男子どもは女子大生の肩を持つ。
不毛なコールアンドレスポンスが始まった。

「そうだそうだ。かわいい女の子に向かってお前って、お前はなんなんだ」
「アンタだって俺に『お前』って言ってるだろうが!」
「なんだと? もうステージ降りちまえ!」

この言葉にカチン、と来たようだ。

「くっそー! ほんとは俺らはこんな長閑なバンドじゃねえんだよ! やってられるか! おい、俺らのオリジナルやるぞ!」

そう言ってヴォーカルがバンドに合図すると、耳が割れんばかりの音量で凄まじいスピードの曲が始まった。

『三丁目の角の店でサイダー買ったら中身がラムネで腹立った!』

「コミックバンドじゃん」
「そもそも滝ちゃんの友達が感性おかしくない?」

そんなことどうでもいいからこのやかましい音をなんとかできないだろうか。もう、限界だ。

『ブッ』

電子音がして、ギターの音が瞬時に途絶えた。

気がつくと瀬名さんがステージの後方に立って、アンプのケーブルらしきものを持っている。

驚いて歌うのをやめたヴォーカルにつかつかと歩み寄って、右手を差し出した。

ファンとでも意味不明な勘違いをしたのかヴォーカルも握手のように右手を差し出す。

「マイク!」

と瀬名さんが言うのが唇の動きで読め、彼からマイクをひったくった。

「お客様、当方に不手際がございまして大変ご迷惑をおかけしました。お詫びと言ってはなんですが、只今から生バンドによるカラオケ大会と趣旨替えさせていただきます。我と思わん方、お手をお挙げください」

瀬名さんは制服姿でないけれどもあまりにも堂々としてるので、司会に見えたのだろうか。年配のクールビズの男性が質問した。

「どんな歌でもいいのかい?」
「彼らもプロです。なんでもどうぞ」
「じゃあ、ワシ、ミスミンの『かまってベイビーちゃん』!」

思わぬアイドルのキュートな楽曲のリクエストに、会場中が、うおー! と盛り上がる。

「え・・・俺たちそんなの・・・」
()るのよ」

瀬名さんが全くの無表情でヴォーカルに言い放ってつかつかとテーブルに戻ってきた。
どかっ、といつになく乱暴に席につく瀬名さん。

バンドの演奏が始まり、リーマン氏が振り付け完コピで裏声で熱唱する。
ヴォーカルもコーラスと振り付けを強要され、裏声で歌う。

盛り上がりに盛り上がった。

「気根くん。もしよかったら気根くんもリクエストしたら」
「僕はいいですよ・・・瀬名さんこそ」
「ACIDMANのFREE STAR を生バンドで歌って見たいけど」
「じゃあ、リクエストすれば」
「このお寒いバンドにACIDMANの熱い演奏は無理だわ」

そうですよね。
クールなのが瀬名さんですよね。
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