第21話 瀬名さん、お邪魔します
文字数 2,282文字
土曜の朝。
僕と瀬名さんは池袋の東口で待ち合わせた。
『泊りに来る?』
その一言にのこのこ乗っかって僕は瀬名さんの街に来ることにしたのだ。
瀬名さんの街は大塚。
彼女が暮らすのは勤務先のホテルチェーンの系列会社が運営するウィークリーマンション。福利厚生の一環として社員賃料で格安利用ができるのだ。
そして彼女の街大塚の隣町である池袋で僕らはまず遊ぶことにした。
「文芸座って初めて来ました」
「わたしは子供の頃に何回か来たよ。結構安い料金でアニメの何本立てかが観られたりとか」
「でも、瀬名さん。松田優作特集って・・・ほんとは何歳なんですか?」
「え。気根くんだってきっと面白いって思うよ? アクションもかっこいいし。ギャグもセンスいいし」
若干ぼやくような口調だった僕も実はわくわくしている。
とても古い映像で、フィルムが飛んでいるようなシーンもあるけれども、長身、顔はよく、ワイルドかと思えば繊細、ギャグかと思えば哀愁漂う松田優作。
かっこいい。
「どうだった?」
「・・・面白かったです」
「あ。なんか、『負けた・・・』みたいな言い方」
「負けました・・・」
ふふ、と笑いながら瀬名さんはオープンカフェに僕を誘 う。
コーヒーを脇に置いて、トマトと玉ねぎの触感がおいしいピタブレッドをぱくっ、と食べた。
「夕方までどうしよっか」
「うーん。水族館とかどうですか?」
「気根くん。ロマンチストだね」
瀬名さんの言葉どおり、ロマンチックだった。
水族館は、青を基調とした光が常に漂う美しい世界。
僕と瀬名さんは水槽の前をふたりで横切るように歩いた。
青い光で床に映し出される彼女の影がなんだか愛おしい。
夜はサンシャイン60の展望台に登った。窓から見える東京が僕らの街だなんてなんだか夢のような、映画のような、アニメのような・・・ふたりのおとぎ話のような気がする。
地上数百メートルから麓に『下山』し、都電の駅まで歩いた。
瀬名さんの手を握ってあげるべきかどうか迷ったけれどもやめておいた。
なんだか『催促』するみたいだから。
都電で瀬名さんの部屋の最寄駅で降りた後スーパーで買い出しをした。
「気根くんはお酒何飲む?」
「うーん。グレープフルーツサワーですね」
「ビター? スイート?」
「ビターで」
「おつまみは?」
「柿ピーが、いいです」
しっかりものの瀬名さんはデートにすらエコバッグを忍ばせてきていた。
手をつなぐ代わりにエコバッグの持ち手をそれぞれ片方ずつ持ってふたりの間でぶらんぶらんさせながら初夏のにおいがする大塚の坂道を上った。
「あ。ちょっと寄っていい?」
瀬名さんがドラッグストアに入った。目薬を買うという。
僕も一緒に入った。
レジが店の入り口と奥とに分かれて2つある。
瀬名さんは入り口側のレジへ目薬の小箱を持って歩いて行く。
僕は一応、男だ。
多分、目薬の箱よりも大きな、『それ』の箱を買うのは僕の責任なのだろう。
瀬名さんの視界に入らないようにして奥のレジに『それ』を持って行き会計した。
薬剤師さんなのだろうか。白衣を着た女の人がバーコードを通しながら、
「シールでいいですか?」
と訊いてきた。
「袋に入れてください」
顔を火照らせて僕はお願いした。
・・・・・・・・・
「ここだよ」
そういって真新しい10階建てのウイークリーマンションの入り口に立って、ぴらっと手のひらで示す瀬名さん。
彼女の部屋はその最上階だった。
「あ、きれいにしてますね」
「そうでもないよ」
瀬名さんは謙遜したけれども玄関も整頓されている。上がって入ったフローリングの部屋も無味乾燥のきらいはあるけれどもとてもきれいに掃除されていた。
瀬名さんの性格が的確に反映されている。
「?」
「ん。どうしたの」
「え・・・と」
なんだろう。
一応、人生で初めて入った女の子の部屋。
とてもきれいで清潔で、シャープな中にもほわっとした空気が漂う。
なのになんだろう、この違和感は。
何度か瞬きをしてようやく認識できた。
「あの・・・2段ベッド?」
「ああ、これね。親の自己破産の時に処分される前に実家から持ち出しといたんだ。兄が下に寝ててわたしが上に寝てたんだよね、ずっと」
「2段ベッド・・・・」
「セパレートできるから1段だけとっとくんでもよかったんだけど、なんだかロフトっぽい感じで使えるかなあ、って」
「あ・・・そうですね。確かにそうですね」
僕が微妙な反応を示していると、瀬名さんが更に僕の体の奥底のマグマを鎮静化させるような言葉を続けた。
「気根くんはお客さんだから上の段を使わせてあげるよ」
僕のよこしまな心は完全に鎮火した。
・・・・・・・・
それでも瀬名さんとの夜はとても楽しかった。
ふたりで狭い簡易キッチンでおつまみを調理し、お酒を少しだけ飲んだ。
それから寝るまでの間、ゲームをしたり、漫画を一緒に読んで熱く人生論を交わしたり。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
明かりを消してほどなくすると下の段で瀬名さんがかすかな、かわいい寝息を立て始めた。
ほんとのところ、瀬名さんがどういうつもりだったのかはわからない。
僕としては若干ほっとしている。
『そういうこと』は、結婚する相手としかしないだろうな、というのが僕という人間だろうと思う。おそらく瀬名さんも。
『結婚まで行きたい?』
僕はまだ瀬名さんが大学生だった時のあの言葉を思い出し、それを頼りにし、結婚できるだけのちゃんとした大人になっていこうと自分なりに誓っている。
自分がきちんとした人間になれた時。
瀬名さんと結婚する資格もでき、『そういうこと』もできるほんとの意味での『男』になるのかな、なんて柄にもなく僕は思いながら、瀬名さんの寝息を聞いて眠りに就いた。
僕と瀬名さんは池袋の東口で待ち合わせた。
『泊りに来る?』
その一言にのこのこ乗っかって僕は瀬名さんの街に来ることにしたのだ。
瀬名さんの街は大塚。
彼女が暮らすのは勤務先のホテルチェーンの系列会社が運営するウィークリーマンション。福利厚生の一環として社員賃料で格安利用ができるのだ。
そして彼女の街大塚の隣町である池袋で僕らはまず遊ぶことにした。
「文芸座って初めて来ました」
「わたしは子供の頃に何回か来たよ。結構安い料金でアニメの何本立てかが観られたりとか」
「でも、瀬名さん。松田優作特集って・・・ほんとは何歳なんですか?」
「え。気根くんだってきっと面白いって思うよ? アクションもかっこいいし。ギャグもセンスいいし」
若干ぼやくような口調だった僕も実はわくわくしている。
とても古い映像で、フィルムが飛んでいるようなシーンもあるけれども、長身、顔はよく、ワイルドかと思えば繊細、ギャグかと思えば哀愁漂う松田優作。
かっこいい。
「どうだった?」
「・・・面白かったです」
「あ。なんか、『負けた・・・』みたいな言い方」
「負けました・・・」
ふふ、と笑いながら瀬名さんはオープンカフェに僕を
コーヒーを脇に置いて、トマトと玉ねぎの触感がおいしいピタブレッドをぱくっ、と食べた。
「夕方までどうしよっか」
「うーん。水族館とかどうですか?」
「気根くん。ロマンチストだね」
瀬名さんの言葉どおり、ロマンチックだった。
水族館は、青を基調とした光が常に漂う美しい世界。
僕と瀬名さんは水槽の前をふたりで横切るように歩いた。
青い光で床に映し出される彼女の影がなんだか愛おしい。
夜はサンシャイン60の展望台に登った。窓から見える東京が僕らの街だなんてなんだか夢のような、映画のような、アニメのような・・・ふたりのおとぎ話のような気がする。
地上数百メートルから麓に『下山』し、都電の駅まで歩いた。
瀬名さんの手を握ってあげるべきかどうか迷ったけれどもやめておいた。
なんだか『催促』するみたいだから。
都電で瀬名さんの部屋の最寄駅で降りた後スーパーで買い出しをした。
「気根くんはお酒何飲む?」
「うーん。グレープフルーツサワーですね」
「ビター? スイート?」
「ビターで」
「おつまみは?」
「柿ピーが、いいです」
しっかりものの瀬名さんはデートにすらエコバッグを忍ばせてきていた。
手をつなぐ代わりにエコバッグの持ち手をそれぞれ片方ずつ持ってふたりの間でぶらんぶらんさせながら初夏のにおいがする大塚の坂道を上った。
「あ。ちょっと寄っていい?」
瀬名さんがドラッグストアに入った。目薬を買うという。
僕も一緒に入った。
レジが店の入り口と奥とに分かれて2つある。
瀬名さんは入り口側のレジへ目薬の小箱を持って歩いて行く。
僕は一応、男だ。
多分、目薬の箱よりも大きな、『それ』の箱を買うのは僕の責任なのだろう。
瀬名さんの視界に入らないようにして奥のレジに『それ』を持って行き会計した。
薬剤師さんなのだろうか。白衣を着た女の人がバーコードを通しながら、
「シールでいいですか?」
と訊いてきた。
「袋に入れてください」
顔を火照らせて僕はお願いした。
・・・・・・・・・
「ここだよ」
そういって真新しい10階建てのウイークリーマンションの入り口に立って、ぴらっと手のひらで示す瀬名さん。
彼女の部屋はその最上階だった。
「あ、きれいにしてますね」
「そうでもないよ」
瀬名さんは謙遜したけれども玄関も整頓されている。上がって入ったフローリングの部屋も無味乾燥のきらいはあるけれどもとてもきれいに掃除されていた。
瀬名さんの性格が的確に反映されている。
「?」
「ん。どうしたの」
「え・・・と」
なんだろう。
一応、人生で初めて入った女の子の部屋。
とてもきれいで清潔で、シャープな中にもほわっとした空気が漂う。
なのになんだろう、この違和感は。
何度か瞬きをしてようやく認識できた。
「あの・・・2段ベッド?」
「ああ、これね。親の自己破産の時に処分される前に実家から持ち出しといたんだ。兄が下に寝ててわたしが上に寝てたんだよね、ずっと」
「2段ベッド・・・・」
「セパレートできるから1段だけとっとくんでもよかったんだけど、なんだかロフトっぽい感じで使えるかなあ、って」
「あ・・・そうですね。確かにそうですね」
僕が微妙な反応を示していると、瀬名さんが更に僕の体の奥底のマグマを鎮静化させるような言葉を続けた。
「気根くんはお客さんだから上の段を使わせてあげるよ」
僕のよこしまな心は完全に鎮火した。
・・・・・・・・
それでも瀬名さんとの夜はとても楽しかった。
ふたりで狭い簡易キッチンでおつまみを調理し、お酒を少しだけ飲んだ。
それから寝るまでの間、ゲームをしたり、漫画を一緒に読んで熱く人生論を交わしたり。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
明かりを消してほどなくすると下の段で瀬名さんがかすかな、かわいい寝息を立て始めた。
ほんとのところ、瀬名さんがどういうつもりだったのかはわからない。
僕としては若干ほっとしている。
『そういうこと』は、結婚する相手としかしないだろうな、というのが僕という人間だろうと思う。おそらく瀬名さんも。
『結婚まで行きたい?』
僕はまだ瀬名さんが大学生だった時のあの言葉を思い出し、それを頼りにし、結婚できるだけのちゃんとした大人になっていこうと自分なりに誓っている。
自分がきちんとした人間になれた時。
瀬名さんと結婚する資格もでき、『そういうこと』もできるほんとの意味での『男』になるのかな、なんて柄にもなく僕は思いながら、瀬名さんの寝息を聞いて眠りに就いた。