第13話 瀬名さん、まだまだいけますね
文字数 2,216文字
「おー、瀬名ちゃーん」
「うわー、会いたかったよー」
狭苦しい大学のキャンパス。
登校して校門をくぐる度に必ず顔見知りと出会う狭さ。
けれども今日はそれがありがたい。
「やー。みんな久しぶりー」
女子寮のメンバーに軽く手を挙げて挨拶する瀬名さん。その隣には僕。
春三月。
女子寮のみんなは無事3年に進級。
僕も無事2年に進級。
瀬名さんも働いているビジネスホテルで『主任』に昇進 したそうだ。
どのぐらい偉いのかはよくわからないけれども。
そして今日は僕らが通い、瀬名さんが武運尽きて中退したこの大学の新入生たちが、健康診断やらガイダンスやらで大学に大勢来ている。
「うわー、若いねー」
『瀬名さんも十分若いですよ』
心の中でつぶやき、この薄幸な、けれどもそれを微塵も感じさせない淡白な僕の「彼女」の容姿を髪から足元まで見やる。
僕がコメントしようとする前に加藤さんが口に出した。
「瀬名ちゃん、大人っぽいねー。さすが社会人だよね」
そう。
元々瀬名さんの服の趣味はよく言えばシック、もう少し現実的に言えば大人っぽい、更に踏み込んで言えば渋い、そして一番遠慮なく言えば、
「ふふ。ちょっとババくさいかな?」
瀬名さんが自ら言った。
そして、数秒間、それを誰も否定しない。
やや霞んだ色が薄すぎるブルーのシャツにこれまた薄い草色の綿のセーター、グレーのパンツに夜勤上がりなので職場用の黒のローファー。
トドメに色も生地も薄いペラペラのベージュのハーフコート。
シャツの下にはサイケデリックなロックバンドのTシャツを着ていることもあるけれど、誰の目にも触れないので意味もないし。
「いやいやいや、瀬名ちゃんは大人の女なんだよ」
「そうそう、かっこいいよ」
「ほら、気根くんもなんかフォローしなよ!」
『フォロー』という単語を出す時点で既にフォローになっていない。
それでも僕は努力しようとした。
「ええと・・・」
僕がくぐもった声を出していると、背後から男子の集団ががやがやと歩いてきた。
「すみません、ここの先輩方ですか?」
一番社交的そうな男子が僕たちに語りかけてきた。
うん、そうだよー、という感じで女子寮のみなさんが反応していると彼はつかつかと僕らの輪の中に入ってくる。
なんと、瀬名さんに面と向かった。
「僕らみんな新入生で上京組なんですよ。初登校の記念にしたいんで写真撮ってもらえませんか?」
いきなり図々しいやつだ、と思ったけれども、瀬名さんの心はまったくの凪のまま彼に反応する。
「いいよ。撮ってあげる。スマホ貸して」
「いやいや、先輩も一緒に入ってくださいよ。皆さんもよろしかったらどうぞ。あ、すみませんけど先輩、お願いします」
と、当たり前のように僕にスマホを渡す。
まあ、いいけど。
むかっとしたけれども無味乾燥な男の先輩である僕がこういう役回りになるのはまあ必然だろう。
「じゃあ。チーズ」
僕は学内に一本だけ佇んでいる桜の木の下に全員を並べさせ、満開の花びらが数枚落ちる様子をメインにスマホに写し込んだ。
「ありがとうございます!」
爽やかに彼が言ってそのまま行くのかと思ったらまた瀬名さんの前に立った。
「先輩、お名前は?」
「瀬名」
「瀬名先輩、俺、講義の取り方とか色んな手続きとかよくわかんなくて。色々相談できる人が欲しいんでLINEとかやらせてもらえませんか?」
「え」
もしかして・・・こいつは瀬名さんを狙ってるのか?
瀬名さんも僕も、お互いが人生初の彼氏彼女。そして、お互いが競争率が低いということをまあ自覚し合ってもいた。
瀬名さんと僕の間ということではなく、僕らが人生で初めて遭遇するシチュエーション。
瀬名さんも動揺しているようだ。
そして、彼女は僕の目を見上げる。
びっくりした。
なんて女の子っぽい表情なんだろう。
僕はそのいじらしく麗しい顔を見て脊髄反射で発声した。
「ダメだ」
おおー、と女子寮のメンバーがどよめく。
「え、え。なんでアンタが答えんの?」
「こら一年」
加藤さんがドスの効いた声を彼に向かって発する。
「この瀬名先輩はねえ、ここにいる気根先輩の彼女なんだよ。それからねえ、瀬名さんは先輩は先輩でも大先輩なんだよ」
「は、はい」
「瀬名さんはこのしょぼい大学のOGじゃ一番の出世頭だよ。この若さで全国ホテルチェーンの基幹宿のマネージャーに抜擢されだんだよ。マネージャーの訳わかる? 『総支配人』だよ。ペーペーの一年が声かけるなんて100年早いよ!」
「す、すみません。えと、瀬名先輩がすごくいい感じだったんでつい・・・」
「あ、それはありがとう」
この瀬名さんのごく実務的で淡白なリアクションが更に大物感を増して、女子寮メンバー全員が笑いをこらえるのに必死だ。
「じゃ、瀬名先輩、今日もご馳走になります!」
加藤さんの声を合図に僕らは一年たちを置き去りにして学食に向かった。
・・・・・・・
「まさか、本気でわたしに奢らせるつもり?」
「え、ダメなの? 社会人でしょ?」
「瀬名さん、僕が出しますよ。先輩方、飲み物だけですよ?」
「気根くーん。一杯80円の紙コップコーヒーじゃ全員でも500円じゃん。せこいねー」
「なんとでも言ってください。瀬名さんは夜勤明けで疲れてるんですからもっといたわってあげてくださいよ」
「いいよ、気根くん。みんなに会えたし気根くんのさっきの『ダメだ』ってのかっこよかったし」
そう言って瀬名さんは、ふわあ、と長いあくびをした。
僕は窓の外に目を反らし、桜の花びらがここまで風に運ばれてくる様子を見ていた。
「うわー、会いたかったよー」
狭苦しい大学のキャンパス。
登校して校門をくぐる度に必ず顔見知りと出会う狭さ。
けれども今日はそれがありがたい。
「やー。みんな久しぶりー」
女子寮のメンバーに軽く手を挙げて挨拶する瀬名さん。その隣には僕。
春三月。
女子寮のみんなは無事3年に進級。
僕も無事2年に進級。
瀬名さんも働いているビジネスホテルで『主任』に
どのぐらい偉いのかはよくわからないけれども。
そして今日は僕らが通い、瀬名さんが武運尽きて中退したこの大学の新入生たちが、健康診断やらガイダンスやらで大学に大勢来ている。
「うわー、若いねー」
『瀬名さんも十分若いですよ』
心の中でつぶやき、この薄幸な、けれどもそれを微塵も感じさせない淡白な僕の「彼女」の容姿を髪から足元まで見やる。
僕がコメントしようとする前に加藤さんが口に出した。
「瀬名ちゃん、大人っぽいねー。さすが社会人だよね」
そう。
元々瀬名さんの服の趣味はよく言えばシック、もう少し現実的に言えば大人っぽい、更に踏み込んで言えば渋い、そして一番遠慮なく言えば、
「ふふ。ちょっとババくさいかな?」
瀬名さんが自ら言った。
そして、数秒間、それを誰も否定しない。
やや霞んだ色が薄すぎるブルーのシャツにこれまた薄い草色の綿のセーター、グレーのパンツに夜勤上がりなので職場用の黒のローファー。
トドメに色も生地も薄いペラペラのベージュのハーフコート。
シャツの下にはサイケデリックなロックバンドのTシャツを着ていることもあるけれど、誰の目にも触れないので意味もないし。
「いやいやいや、瀬名ちゃんは大人の女なんだよ」
「そうそう、かっこいいよ」
「ほら、気根くんもなんかフォローしなよ!」
『フォロー』という単語を出す時点で既にフォローになっていない。
それでも僕は努力しようとした。
「ええと・・・」
僕がくぐもった声を出していると、背後から男子の集団ががやがやと歩いてきた。
「すみません、ここの先輩方ですか?」
一番社交的そうな男子が僕たちに語りかけてきた。
うん、そうだよー、という感じで女子寮のみなさんが反応していると彼はつかつかと僕らの輪の中に入ってくる。
なんと、瀬名さんに面と向かった。
「僕らみんな新入生で上京組なんですよ。初登校の記念にしたいんで写真撮ってもらえませんか?」
いきなり図々しいやつだ、と思ったけれども、瀬名さんの心はまったくの凪のまま彼に反応する。
「いいよ。撮ってあげる。スマホ貸して」
「いやいや、先輩も一緒に入ってくださいよ。皆さんもよろしかったらどうぞ。あ、すみませんけど先輩、お願いします」
と、当たり前のように僕にスマホを渡す。
まあ、いいけど。
むかっとしたけれども無味乾燥な男の先輩である僕がこういう役回りになるのはまあ必然だろう。
「じゃあ。チーズ」
僕は学内に一本だけ佇んでいる桜の木の下に全員を並べさせ、満開の花びらが数枚落ちる様子をメインにスマホに写し込んだ。
「ありがとうございます!」
爽やかに彼が言ってそのまま行くのかと思ったらまた瀬名さんの前に立った。
「先輩、お名前は?」
「瀬名」
「瀬名先輩、俺、講義の取り方とか色んな手続きとかよくわかんなくて。色々相談できる人が欲しいんでLINEとかやらせてもらえませんか?」
「え」
もしかして・・・こいつは瀬名さんを狙ってるのか?
瀬名さんも僕も、お互いが人生初の彼氏彼女。そして、お互いが競争率が低いということをまあ自覚し合ってもいた。
瀬名さんと僕の間ということではなく、僕らが人生で初めて遭遇するシチュエーション。
瀬名さんも動揺しているようだ。
そして、彼女は僕の目を見上げる。
びっくりした。
なんて女の子っぽい表情なんだろう。
僕はそのいじらしく麗しい顔を見て脊髄反射で発声した。
「ダメだ」
おおー、と女子寮のメンバーがどよめく。
「え、え。なんでアンタが答えんの?」
「こら一年」
加藤さんがドスの効いた声を彼に向かって発する。
「この瀬名先輩はねえ、ここにいる気根先輩の彼女なんだよ。それからねえ、瀬名さんは先輩は先輩でも大先輩なんだよ」
「は、はい」
「瀬名さんはこのしょぼい大学のOGじゃ一番の出世頭だよ。この若さで全国ホテルチェーンの基幹宿のマネージャーに抜擢されだんだよ。マネージャーの訳わかる? 『総支配人』だよ。ペーペーの一年が声かけるなんて100年早いよ!」
「す、すみません。えと、瀬名先輩がすごくいい感じだったんでつい・・・」
「あ、それはありがとう」
この瀬名さんのごく実務的で淡白なリアクションが更に大物感を増して、女子寮メンバー全員が笑いをこらえるのに必死だ。
「じゃ、瀬名先輩、今日もご馳走になります!」
加藤さんの声を合図に僕らは一年たちを置き去りにして学食に向かった。
・・・・・・・
「まさか、本気でわたしに奢らせるつもり?」
「え、ダメなの? 社会人でしょ?」
「瀬名さん、僕が出しますよ。先輩方、飲み物だけですよ?」
「気根くーん。一杯80円の紙コップコーヒーじゃ全員でも500円じゃん。せこいねー」
「なんとでも言ってください。瀬名さんは夜勤明けで疲れてるんですからもっといたわってあげてくださいよ」
「いいよ、気根くん。みんなに会えたし気根くんのさっきの『ダメだ』ってのかっこよかったし」
そう言って瀬名さんは、ふわあ、と長いあくびをした。
僕は窓の外に目を反らし、桜の花びらがここまで風に運ばれてくる様子を見ていた。