第45話 瀬名さん、夏って白いイメージですね

文字数 1,392文字

暑さを突き詰めていくと白色(はくしょく)になるという固定観念を僕は持っている。
試しに雲ひとつない真夏の空を見上げ、直視はできないけれども太陽を視線で捉えてみていただきたい。
決して炎のような暖色系の色ではないと思う。
無色の、強いて言えば白い光線が、お客さん回りをする営業職のサラリーマンや、甲子園で無謀なまでの酷暑に耐える高校生たちや、プールサイドで体育座りをして夏を感じている中高生カップルなどに降り注ぐ。
結果、日焼けでもって暑さを認識するのが僕らの通常の姿なのだろう。

そして、今日はその白色の中、格式高い文化のごった煮のような場所を訪れていた。

「瀬名さん。僕、国会図書館って初めて来ました」
「そう。わたしはプレゼミのレポート書くときに一度寄ったよ」

こういう話題に触れると瀬名さんが去年まで一緒に大学に通っていたことを再認識する。
中退したことに未練や後悔はあるんだろうか。
いや。もしないとしたらどういう許しの心境なんだろうか。

僕はドストエフスキー論に関する英語文献を、瀬名さんは1960~80年代頃のロックムーブメントの文献をスタッフさんにコピーしてもらい、その後2人で食堂に入った。

「瀬名さん、訊いてもいいですか?」
「うん、いいよ。なに?」
「もし今また大学に通えるってなったら・・・どうしますか?」
「ああ・・・そうね。難しいところね。前提条件として使えるお金は無限?」
「そんなわけないです。ごく一般的な収入と貯蓄があるっていう前提です」
「気根くん。一般的ってたとえば年収いくらぐらい?」
「え。それは・・・」
「即答できないでしょう? ちなみにわたしの両親は自己破産する直前、月の収入が2人合わせて7万円だったわ」

それがとてもリアルな数字だということは嫌というほど伝わってきた。

「瀬名さん」
「なに」
「僕と結婚したら」
「うん・・・・」
「大学もう一度行きませんか」
「・・・社会人大学院とか?」
「はい。それか、専業主婦になって学部に日中通うっていう方法も」
「・・・なんのために?」
「その・・・瀬名さんは大学でやりたいことあったんでしょう?」
「うん・・・うん、あったわ」
「それをまたやれば」

無言で目を閉じ、瀬名さんが首を振った。

「意味ないわ」

僕は、とても悲しくなった。

お金が無制限でないのと同じように。
時間も取り返しがつかない。

瀬名さんの、20歳と、それを少し過ぎたかけがえのない日々はもう戻らない。
そして僕の10代終わりから20歳までの瀬名さんと一緒に過ごした日々も、それはかけがえのないもので、毎日こうして過ぎ去りつつもう二度と戻らない。

お昼を食べ終わり、僕らは図書館を出た。
そして、真っ白な光の注ぐアスファルトの敷き詰められた東京の地面の上を、スニーカーのソールで接地面を確かめながら、並んで歩いた。
どこにいるんだろう、というぐらいに緑のない中、複数の種類のセミの声を聴きながら。

「今日夜勤だから、もう行くわ」
「瀬名さん・・・」
「気根くん。安心して。深刻に考えないで。わたし後悔なんかしてないから」
「信じていいんですか」
「信じるもなにも、事実だから。わたしは大人としてこうしてるだけだから」
「・・・僕はまだまだ子供、ってことですね」
「そうでもないわ。だってほら」

瀬名さんが、思わぬことを言った。

「気根くんは、わたしの人生に責任を持とうとしてくれてるもの」

できることなら、彼女を僕の影で涼ませてあげたい。
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