第23話 瀬名さん、孤高ですね
文字数 2,388文字
瀬名さんは何も言わずに黙ってテキストにフリクションでマーキングする作業を続けていた。
『ホテルビジネス実務検定』という資格があるらしい。
瀬名さんはいよいよ本格的に仕事への興味を深め始めているようだ。
丁度溜めていた課題の提出に追われる僕と仕事が忙しくて集中して勉強せざるを得ない瀬名さんとの需要が合致した。
瀬名さんの夜勤上がりの土曜の朝、ファミレスでモーニングを食べながら勉強三昧だ。
「気根くん。わたしの職場はビジネスホテルで派手さはないけど、ホテルスタッフの仕事っておもしろいよ」
「瀬名さんがおもしろい、って言うんならよほどなんですね」
「わたしみたいな性格がサービス業に興味を持つなんて思ってなかった」
「だって、瀬名さんは相手を不快にすることは基本ないですから。干渉しすぎず、質の高いサービスができてると思いますよ」
「ありがとう。なんだか気根くんに褒められるのが一番価値ある気がする」
「はは。僕は基本人を褒めないですもんね」
「ううん。あなたに認められたいのよ、わたしは」
もう少しその真意を訊きたかったけれども彼女は集中モードに入った。
「ねえねえ、この問題やったことないんだけど」
ふっと賑やかなテーブルの方へ目を向けると高校生らしき女の子たちが5人でやはり勉強していた。テストが近いんだろうか。山盛りのテキストが彼女らの傍にある。
「ねえ、気根くん」
「はい、なんですか?」
「若い子って、どう?」
「若い子?」
「たとえばあの女の子たちとか」
瀬名さんは僕の肩越しにさえずり合っている彼女たちのテーブルへ視線を向ける。
「どう、って・・・まあ、元気ですよね」
「かわいいって思う?」
「うーん。まあ、ああいう服装はあの年代でしかできないでしょうから・・・ファッションがかわいいかな、っていうのはありますね」
僕は無難な評価をした。本体がかわいいとか言うのはやっぱり憚られる感じがしたので。
僕らが勉強を再開すると女の子の1人が誰かに声を掛けた。
「あー、フタちゃん来てたんだ。一緒にやらない?」
『フタちゃん』と呼ばれた女の子は彼女らのテーブルの三席向こう側で1人ノートの上にフリクションを走らせていた。
スマホにコネクトしているイヤフォンを耳から外して応対する。
「いいよ。気に掛けないで」
「でも、せっかくだからさあ」
そのあと、フタちゃんは結構びっくりする発言をした。
「ひとりでやりたいから。だってわたしの脳の中に他人が入り込んで勉強してくれるなんてできないでしょ?」
「え・・・まあそりゃそうだけど」
「あなたらも1人でやった方がいいよ」
まあいいや、という感じで声を掛けた女の子は集団へと戻る。その様子をじっと見ていた瀬名さんから言った。
「美人だね、あの子」
「え・・・そうですか?」
実はフタちゃんの喋る様子を見ていて僕自身がそう思っていたのでドキッとした。まあ、女性の瀬名さんもはっきりそう言うということはやっぱり美人なんだろう。
その後、トイレへ立って戻った僕は、ぎょっ、とした。
瀬名さんがフタちゃんのテーブルに座ってコーヒーを飲んでいるのだ。
「あ、気根くんもおいでよ。フタちゃん、いいかな?」
「いいですよ別に」
瀬名さんとフタちゃんの一方的なやりとりで僕はそのテーブルに座らざるを得なくなった。
なんでもフタちゃんの消しゴムがコロコロと転がって来て瀬名さんが拾って届けてあげたらなんとなく座りませんか、とフタちゃんが訊いてきたらしい。
どうやらフタちゃんの方が瀬名さんに興味があるようだ。
「フタちゃん、彼は気根くん」
どーも、という感じで無言で挨拶する。
「気根さんて、瀬名さんの彼氏さんですか?」
「え・・・まあ、そうだけど」
「へえ・・・どうして付き合ってるんですか?」
「結婚するかもしれないから」
瀬名さんがすぱっと答える。
フタちゃんは瀬名さんではなく、僕に詰問する。
「気根さん。結婚って、する意味あるんですかね?」
「え? どういうこと?」
「だって、無駄じゃないですか。結婚したところで年取ったら結局1人になるんですから」
「う・・・まあ、そうかもしんないけど、年取る前は2人の方が心強いでしょ」
「わたしはそうは思わないです。無駄、ですよ。結婚なんて」
瀬名さんはたじたじしている僕を見て微笑しているだけだ。
即座に理解できた。
示し合わせてるな。
そして、これはこの『女の子たち』の、僕への挑戦だと。
難問だ。
「僕は長男なんだ」
僕がそう答えるとフタちゃんは怪訝な顔をする。僕は構わず続ける。
「長男だから、自分家 をとりあえず続ける義務があるから」
「続ける? 義務? なんですか、それ。それと瀬名さんとの結婚って関係あるんですか?」
「一応うちには墓もあって仏壇・神棚があって一軒家で・・・まあ両親もその内に介護とか必要になるかもしれないし」
「え。それを瀬名さんに手伝ってもらうために結婚するんですか? すごい身勝手」
ここでようやく瀬名さんが助け舟を出して『模範解答』を始めてくれた。
「フタちゃん、わたしはそういうことには頓着してないよ」
「え」
「むしろご両親との同居が気根くんと結婚するためのアドバンテージになるんなら有効利用したいくらい」
「嘘、ですよね」
「ううん。ほんと。だって、どこ行ったって完全にひとりになるなんてことないでしょう。職場にしたって学校にしたって」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
「フタちゃん見てると高校の時の自分を思い出しちゃって」
「え? まさか」
「似てるよ。数年前のわたしと。わたしもひとりでいることが多くって。半ば意地になってたり」
「そうなんですか・・・」
「でもひとりの時も必要。理想を言えばひとりの時間も誰かといる時間もバランスよく満喫できたらな、って」
「はい・・・」
「・・・というようなことがテキストに書いてあったわ」
さ、勉強・勉強、と瀬名さんがつぶやきながらフタちゃんに訊いた。
「一緒にやる?」
『ホテルビジネス実務検定』という資格があるらしい。
瀬名さんはいよいよ本格的に仕事への興味を深め始めているようだ。
丁度溜めていた課題の提出に追われる僕と仕事が忙しくて集中して勉強せざるを得ない瀬名さんとの需要が合致した。
瀬名さんの夜勤上がりの土曜の朝、ファミレスでモーニングを食べながら勉強三昧だ。
「気根くん。わたしの職場はビジネスホテルで派手さはないけど、ホテルスタッフの仕事っておもしろいよ」
「瀬名さんがおもしろい、って言うんならよほどなんですね」
「わたしみたいな性格がサービス業に興味を持つなんて思ってなかった」
「だって、瀬名さんは相手を不快にすることは基本ないですから。干渉しすぎず、質の高いサービスができてると思いますよ」
「ありがとう。なんだか気根くんに褒められるのが一番価値ある気がする」
「はは。僕は基本人を褒めないですもんね」
「ううん。あなたに認められたいのよ、わたしは」
もう少しその真意を訊きたかったけれども彼女は集中モードに入った。
「ねえねえ、この問題やったことないんだけど」
ふっと賑やかなテーブルの方へ目を向けると高校生らしき女の子たちが5人でやはり勉強していた。テストが近いんだろうか。山盛りのテキストが彼女らの傍にある。
「ねえ、気根くん」
「はい、なんですか?」
「若い子って、どう?」
「若い子?」
「たとえばあの女の子たちとか」
瀬名さんは僕の肩越しにさえずり合っている彼女たちのテーブルへ視線を向ける。
「どう、って・・・まあ、元気ですよね」
「かわいいって思う?」
「うーん。まあ、ああいう服装はあの年代でしかできないでしょうから・・・ファッションがかわいいかな、っていうのはありますね」
僕は無難な評価をした。本体がかわいいとか言うのはやっぱり憚られる感じがしたので。
僕らが勉強を再開すると女の子の1人が誰かに声を掛けた。
「あー、フタちゃん来てたんだ。一緒にやらない?」
『フタちゃん』と呼ばれた女の子は彼女らのテーブルの三席向こう側で1人ノートの上にフリクションを走らせていた。
スマホにコネクトしているイヤフォンを耳から外して応対する。
「いいよ。気に掛けないで」
「でも、せっかくだからさあ」
そのあと、フタちゃんは結構びっくりする発言をした。
「ひとりでやりたいから。だってわたしの脳の中に他人が入り込んで勉強してくれるなんてできないでしょ?」
「え・・・まあそりゃそうだけど」
「あなたらも1人でやった方がいいよ」
まあいいや、という感じで声を掛けた女の子は集団へと戻る。その様子をじっと見ていた瀬名さんから言った。
「美人だね、あの子」
「え・・・そうですか?」
実はフタちゃんの喋る様子を見ていて僕自身がそう思っていたのでドキッとした。まあ、女性の瀬名さんもはっきりそう言うということはやっぱり美人なんだろう。
その後、トイレへ立って戻った僕は、ぎょっ、とした。
瀬名さんがフタちゃんのテーブルに座ってコーヒーを飲んでいるのだ。
「あ、気根くんもおいでよ。フタちゃん、いいかな?」
「いいですよ別に」
瀬名さんとフタちゃんの一方的なやりとりで僕はそのテーブルに座らざるを得なくなった。
なんでもフタちゃんの消しゴムがコロコロと転がって来て瀬名さんが拾って届けてあげたらなんとなく座りませんか、とフタちゃんが訊いてきたらしい。
どうやらフタちゃんの方が瀬名さんに興味があるようだ。
「フタちゃん、彼は気根くん」
どーも、という感じで無言で挨拶する。
「気根さんて、瀬名さんの彼氏さんですか?」
「え・・・まあ、そうだけど」
「へえ・・・どうして付き合ってるんですか?」
「結婚するかもしれないから」
瀬名さんがすぱっと答える。
フタちゃんは瀬名さんではなく、僕に詰問する。
「気根さん。結婚って、する意味あるんですかね?」
「え? どういうこと?」
「だって、無駄じゃないですか。結婚したところで年取ったら結局1人になるんですから」
「う・・・まあ、そうかもしんないけど、年取る前は2人の方が心強いでしょ」
「わたしはそうは思わないです。無駄、ですよ。結婚なんて」
瀬名さんはたじたじしている僕を見て微笑しているだけだ。
即座に理解できた。
示し合わせてるな。
そして、これはこの『女の子たち』の、僕への挑戦だと。
難問だ。
「僕は長男なんだ」
僕がそう答えるとフタちゃんは怪訝な顔をする。僕は構わず続ける。
「長男だから、
「続ける? 義務? なんですか、それ。それと瀬名さんとの結婚って関係あるんですか?」
「一応うちには墓もあって仏壇・神棚があって一軒家で・・・まあ両親もその内に介護とか必要になるかもしれないし」
「え。それを瀬名さんに手伝ってもらうために結婚するんですか? すごい身勝手」
ここでようやく瀬名さんが助け舟を出して『模範解答』を始めてくれた。
「フタちゃん、わたしはそういうことには頓着してないよ」
「え」
「むしろご両親との同居が気根くんと結婚するためのアドバンテージになるんなら有効利用したいくらい」
「嘘、ですよね」
「ううん。ほんと。だって、どこ行ったって完全にひとりになるなんてことないでしょう。職場にしたって学校にしたって」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
「フタちゃん見てると高校の時の自分を思い出しちゃって」
「え? まさか」
「似てるよ。数年前のわたしと。わたしもひとりでいることが多くって。半ば意地になってたり」
「そうなんですか・・・」
「でもひとりの時も必要。理想を言えばひとりの時間も誰かといる時間もバランスよく満喫できたらな、って」
「はい・・・」
「・・・というようなことがテキストに書いてあったわ」
さ、勉強・勉強、と瀬名さんがつぶやきながらフタちゃんに訊いた。
「一緒にやる?」