第60話 最終話:瀬名さん、みんな元気です
文字数 3,213文字
もうあれから3年近く経つ。
仲間たち全員で会ったのは僕と瀬名さんの結納の時が最後だった。
そしてなんと結婚一番乗りは僕と瀬名さんではなく、加藤さんだった。
しかもその相手というのが・・・
瀬名:え。あのブルース・ギターの人?
加藤:瀬名ちゃ〜ん、感謝してるよ〜。真夏の夜ラン企画して、『夜のピクニック』リクエストしてくれたからさー
そう。加藤さんは瀬名さんが企画した真夏の夜ランのゴールだった王子の飛鳥山公園でブルースギターを弾いていたあの渋い中年男性と結婚したのだ。彼は瀬名さんのリクエストに応えて仲井戸麗市 ・チャボの『夜のピクニック』を歌ってくれた。
加藤さんはあの後何回も彼の演奏を聴きに行き、密かに付き合い始めたそうだ。
そしてあの男性は赤羽にある小さな旅行会社の社長さんで、加藤さんは卒業後その会社に就職。ついでに奥さんになったというわけだ。
瀬名さんにLINEで報告してきたのも、ツアーコンダクターとしてアジア諸国に赴いた出張先からの報告だった。夫婦揃って仕事へ行った先で、ついでに結婚式を挙げたそうだ。
「見て、気根くん」
瀬名さんがスマホを僕の方に向けると、純白のウエディングドレスを着た加藤さんが満面の笑みでかのブルース・ギタリストと腕を組んでいる写真だった。
他の女子寮メンバーも東京で就職したり地元に帰って就職したりとそれぞれの人生を歩み始めている。
瀬名さんの前職である御茶ノ水のビジネスホテルも繁盛を続けているし、山見書店も営業基盤を確立して堅調な業況を維持。
学外ゼミの皆さんも院生となって今は教授となった准教授の下で研究を続ける方や、就職してバリバリのキャリアウーマンとなっている方も。
作田は卒業した後実家へ戻り親父さんのコンビニを一緒に経営し始めた。
なかなかに厳しいらしいけれども、一国一城の主というのもいいぞと元気な連絡があった。
僕が転学した地元の大学は。
明智とシホは今大学院生。
それもこの大学のじゃない。イギリスの姉妹校へ2人揃って留学し、2年後にはまたこの県に戻ってくる予定だ。地元に本社を置く一部上場企業のインターンへ行っていた時から留学支援の制度に応募して2人して合格したのだ。大学院修了後はその企業に就職する前提で。
さて、僕はというと、大学を卒業したこの春、地元で唯一のミニシアターに就職した。
正確に言うと、そのミニシアターは市が運営する施設で、県で唯一のデパートに隣接しており、街中 の賑わい作りに貢献するという使命もある。僕は運営を業務委託されているまちづくり法人に就職したのだ。
映画館の仕事は決して忙しくないわけではなく、それなりにハードだ。
秋の「まちなか文化祭」企画ということで僕が映画のチョイスから配給元との交渉・準備を初めて任せて貰え、忙しく働いた。
僕は、『グラン・ブルー』という美しい映画の上映を企画し、シルバーウィークには見込みを大きく上回る観客動員を記録し大成功を収めた。
ただ、当然ながら土日祝日や春休み・夏休み・冬休みは連日営業。その代わり平日は1日出て1日休みなどのシフトが組めるので、肝炎の症状で疲れ果ててしまう前に体を休ませながら働くことが可能なのだ。
そして今は三交代には入っていないけれども休日のシフトが不規則な瀬名さんのホテルと、うまく休みを合わせることもできるのだ。
今日も2人の『非番』が重なり、僕の働くミニシアターのビルに併設するカフェにコーヒーを飲みに来ている。
この後一緒に観る映画の上映時間待ちなのだ。
「気根くん、『ダンス・ウィズ・ウルブス』楽しみだね」
「はい。でも3時間超の大作ですからね。それでも絶対飽きることはないです」
「うん。父が『学生の頃に観て感動した』って言ってたから」
「お父さんの具合はどうですか?」
「最近は随分と調子がいいみたい・・・あんな女 でもいないよりはマシ、ってことなのかしら」
うつ病のお父さんは瀬名さんの実家の街で就労移行支援を利用して働き始めている。そして既にパートでなんとか自活を始めていたお母さんに瀬名さんが電話でツルの一声を放ったのだ。
『一度は貴女 が愛した男 でしょ!』
復縁はしないけれども瀬名さんのお母さんはお父さんのアパートに通い、食事を作ってあげたり、気分が落ち込んだ時にそっと側にいてあげたりしているそうだ。
「なんだか離婚する前よりも夫婦らしい感じがするわ」
「うーん・・・不思議なものですね」
さて、僕と瀬名さんの会話をここまで聞いてきて、『あれ?』とお思いの方もおられるでしょう。
結納をして婚約してから3年近くになろうというのに、どうして未だに『瀬名さん』『気根くん』なんて呼び合ってるのかと。
『満月 』『麗人 』じゃないのかと。場合によっては『ミッちゃん』『レイくん』なんかでもいいぐらいじゃないかと。
『まさか、婚約破棄したとか!?』
ご安心ください。
瀬名さんはちゃんと僕の婚約者で、僕たちは僕の実家で父親・母親・瀬名さん・僕の4人で同居してます。
単純に僕が新卒のペーペー社会人なので、後少しだけ貯金できたら晴れて挙式・入籍しようという算段なのです。
さて。
更にご関心をお持ちのことがありますよね?
僕と瀬名さんの『スキンシップ』がどこまで進んだのか。
相談した市民病院の先生のご尽力で、ワクチンによる抗体が瀬名さんにでき、僕の肝炎の感染の心配はなくなりました。妊娠・出産も何の問題もないという状態になりました。
結論から言います。
キス、しました。
恥ずかしながら、昨夜のことです。
父親・母親への遠慮もあって結婚前の僕らは寝室は別々だけれども、それぞれの自部屋へ行って一緒に音楽を聴いたり漫画を読んだりゲームをしたり、時には瀬名さんの作曲やライブの練習に付き合ったり、ということをやってました。
昨夜、風呂上がりの瀬名さんの部屋に僕がお邪魔するとちょうど彼女はドライヤーで髪を乾かしてたんです。
ドライヤーの風に乗って流れてくるシャンプーの匂いがあまりにもいい香りで、瀬名さんの髪にふざけて鼻を近づけると、ちょうどタイミングよく彼女が振り返りました。
そのままつい見つめ合ってしまって、最初は2人で鼻の頭をお互いに、つん、と触れあわせたんです。
そのままもっと顔を近づけて、唇を触れ合わせ・・・キスしました。
僕と瀬名さんのファーストキスです。
いえ。
ふたりとも互いの人生において、初めて唇を重ねた経験でした。
それからどうしようか、という葛藤があって、それでも頑張って僕は瀬名さんの背中に手を回しました。
一瞬躊躇したようだったけれども、瀬名さんも僕の背中に手を回してくれました。
そのままぎゅーっ、と強く抱き締めるのが普通でしょうけれども、どういうわけか僕らは。
母親が赤ん坊を寝かしつけるときのように、互いの背中を手のひらで、とん・とん、としてそのまま離れました。
『結婚してからね』
おそらくみなさんには訳の分からないであろう暗黙の了解をふたりで感じ合ったんだろうと思います。
けれどもやっぱりこれが僕と瀬名さんなんでしょう。
すみません。ご期待に添えなくて。
あ、それよりもついですます調で喋ってしまったことの方が気恥ずかしい。
「あ。始まりますよ」
「うん。行こ、気根くん」
僕と瀬名さんはミニシアターのスクリーンの前に座った。
そして館内の照明が徐々に落ちて人目が気にならなくなったところで、恋人繋ぎで手をきゅっ、と握り合った。
FIN
・・・・・・・・・・・
気根くんと瀬名さんのお話もこれで本当におしまいです。書いている間、わたし自身が2人やその仲間たちと一緒に過ごしているようで毎日がとても楽しいものでした。また、お読みくださる皆さんからのコメントや応援のお言葉にとても励まされました。
そして皆さんが気根くんと瀬名さんのふたりを、とても大切に思ってくださり見守っていただいたことが何よりも嬉しいです。
改めてこの場で感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!(o^^o)
仲間たち全員で会ったのは僕と瀬名さんの結納の時が最後だった。
そしてなんと結婚一番乗りは僕と瀬名さんではなく、加藤さんだった。
しかもその相手というのが・・・
瀬名:え。あのブルース・ギターの人?
加藤:瀬名ちゃ〜ん、感謝してるよ〜。真夏の夜ラン企画して、『夜のピクニック』リクエストしてくれたからさー
そう。加藤さんは瀬名さんが企画した真夏の夜ランのゴールだった王子の飛鳥山公園でブルースギターを弾いていたあの渋い中年男性と結婚したのだ。彼は瀬名さんのリクエストに応えて
加藤さんはあの後何回も彼の演奏を聴きに行き、密かに付き合い始めたそうだ。
そしてあの男性は赤羽にある小さな旅行会社の社長さんで、加藤さんは卒業後その会社に就職。ついでに奥さんになったというわけだ。
瀬名さんにLINEで報告してきたのも、ツアーコンダクターとしてアジア諸国に赴いた出張先からの報告だった。夫婦揃って仕事へ行った先で、ついでに結婚式を挙げたそうだ。
「見て、気根くん」
瀬名さんがスマホを僕の方に向けると、純白のウエディングドレスを着た加藤さんが満面の笑みでかのブルース・ギタリストと腕を組んでいる写真だった。
他の女子寮メンバーも東京で就職したり地元に帰って就職したりとそれぞれの人生を歩み始めている。
瀬名さんの前職である御茶ノ水のビジネスホテルも繁盛を続けているし、山見書店も営業基盤を確立して堅調な業況を維持。
学外ゼミの皆さんも院生となって今は教授となった准教授の下で研究を続ける方や、就職してバリバリのキャリアウーマンとなっている方も。
作田は卒業した後実家へ戻り親父さんのコンビニを一緒に経営し始めた。
なかなかに厳しいらしいけれども、一国一城の主というのもいいぞと元気な連絡があった。
僕が転学した地元の大学は。
明智とシホは今大学院生。
それもこの大学のじゃない。イギリスの姉妹校へ2人揃って留学し、2年後にはまたこの県に戻ってくる予定だ。地元に本社を置く一部上場企業のインターンへ行っていた時から留学支援の制度に応募して2人して合格したのだ。大学院修了後はその企業に就職する前提で。
さて、僕はというと、大学を卒業したこの春、地元で唯一のミニシアターに就職した。
正確に言うと、そのミニシアターは市が運営する施設で、県で唯一のデパートに隣接しており、
映画館の仕事は決して忙しくないわけではなく、それなりにハードだ。
秋の「まちなか文化祭」企画ということで僕が映画のチョイスから配給元との交渉・準備を初めて任せて貰え、忙しく働いた。
僕は、『グラン・ブルー』という美しい映画の上映を企画し、シルバーウィークには見込みを大きく上回る観客動員を記録し大成功を収めた。
ただ、当然ながら土日祝日や春休み・夏休み・冬休みは連日営業。その代わり平日は1日出て1日休みなどのシフトが組めるので、肝炎の症状で疲れ果ててしまう前に体を休ませながら働くことが可能なのだ。
そして今は三交代には入っていないけれども休日のシフトが不規則な瀬名さんのホテルと、うまく休みを合わせることもできるのだ。
今日も2人の『非番』が重なり、僕の働くミニシアターのビルに併設するカフェにコーヒーを飲みに来ている。
この後一緒に観る映画の上映時間待ちなのだ。
「気根くん、『ダンス・ウィズ・ウルブス』楽しみだね」
「はい。でも3時間超の大作ですからね。それでも絶対飽きることはないです」
「うん。父が『学生の頃に観て感動した』って言ってたから」
「お父さんの具合はどうですか?」
「最近は随分と調子がいいみたい・・・あんな
うつ病のお父さんは瀬名さんの実家の街で就労移行支援を利用して働き始めている。そして既にパートでなんとか自活を始めていたお母さんに瀬名さんが電話でツルの一声を放ったのだ。
『一度は
復縁はしないけれども瀬名さんのお母さんはお父さんのアパートに通い、食事を作ってあげたり、気分が落ち込んだ時にそっと側にいてあげたりしているそうだ。
「なんだか離婚する前よりも夫婦らしい感じがするわ」
「うーん・・・不思議なものですね」
さて、僕と瀬名さんの会話をここまで聞いてきて、『あれ?』とお思いの方もおられるでしょう。
結納をして婚約してから3年近くになろうというのに、どうして未だに『瀬名さん』『気根くん』なんて呼び合ってるのかと。
『
『まさか、婚約破棄したとか!?』
ご安心ください。
瀬名さんはちゃんと僕の婚約者で、僕たちは僕の実家で父親・母親・瀬名さん・僕の4人で同居してます。
単純に僕が新卒のペーペー社会人なので、後少しだけ貯金できたら晴れて挙式・入籍しようという算段なのです。
さて。
更にご関心をお持ちのことがありますよね?
僕と瀬名さんの『スキンシップ』がどこまで進んだのか。
相談した市民病院の先生のご尽力で、ワクチンによる抗体が瀬名さんにでき、僕の肝炎の感染の心配はなくなりました。妊娠・出産も何の問題もないという状態になりました。
結論から言います。
キス、しました。
恥ずかしながら、昨夜のことです。
父親・母親への遠慮もあって結婚前の僕らは寝室は別々だけれども、それぞれの自部屋へ行って一緒に音楽を聴いたり漫画を読んだりゲームをしたり、時には瀬名さんの作曲やライブの練習に付き合ったり、ということをやってました。
昨夜、風呂上がりの瀬名さんの部屋に僕がお邪魔するとちょうど彼女はドライヤーで髪を乾かしてたんです。
ドライヤーの風に乗って流れてくるシャンプーの匂いがあまりにもいい香りで、瀬名さんの髪にふざけて鼻を近づけると、ちょうどタイミングよく彼女が振り返りました。
そのままつい見つめ合ってしまって、最初は2人で鼻の頭をお互いに、つん、と触れあわせたんです。
そのままもっと顔を近づけて、唇を触れ合わせ・・・キスしました。
僕と瀬名さんのファーストキスです。
いえ。
ふたりとも互いの人生において、初めて唇を重ねた経験でした。
それからどうしようか、という葛藤があって、それでも頑張って僕は瀬名さんの背中に手を回しました。
一瞬躊躇したようだったけれども、瀬名さんも僕の背中に手を回してくれました。
そのままぎゅーっ、と強く抱き締めるのが普通でしょうけれども、どういうわけか僕らは。
母親が赤ん坊を寝かしつけるときのように、互いの背中を手のひらで、とん・とん、としてそのまま離れました。
『結婚してからね』
おそらくみなさんには訳の分からないであろう暗黙の了解をふたりで感じ合ったんだろうと思います。
けれどもやっぱりこれが僕と瀬名さんなんでしょう。
すみません。ご期待に添えなくて。
あ、それよりもついですます調で喋ってしまったことの方が気恥ずかしい。
「あ。始まりますよ」
「うん。行こ、気根くん」
僕と瀬名さんはミニシアターのスクリーンの前に座った。
そして館内の照明が徐々に落ちて人目が気にならなくなったところで、恋人繋ぎで手をきゅっ、と握り合った。
FIN
・・・・・・・・・・・
気根くんと瀬名さんのお話もこれで本当におしまいです。書いている間、わたし自身が2人やその仲間たちと一緒に過ごしているようで毎日がとても楽しいものでした。また、お読みくださる皆さんからのコメントや応援のお言葉にとても励まされました。
そして皆さんが気根くんと瀬名さんのふたりを、とても大切に思ってくださり見守っていただいたことが何よりも嬉しいです。
改めてこの場で感謝申し上げます。
本当にありがとうございました!(o^^o)