第30話 瀬名さん、何か隠してますね?

文字数 2,633文字

山見書店を退社して故郷の北海道に帰り、後継者がいないお寺の住職となった佐渡さん。

その佐渡さんが宗派の研修ということで東京に泊りがけでやってきた。

「安くていい宿ないかな?」

と社員として残って奮闘している野田さんに訊いてきたそうなので僕は迷わず瀬名さんが働くビジネスホテルを推薦した。『コスパは抜群です』と。

お寺のことはよくわからないけれども佐渡さんが完全なスキンヘッドとなっていることを見ると、そういう習いの宗派なんだろう。
そして、研修が終わって翌日は完全フリーだという佐渡さんからこんな提案があった。

「野田さんと気根くんには初日に夕食ごちそうになったし、ホテルでは瀬名さんによくしてもらったからお礼も兼ねてご招待したいんだけど」

せっかくの東京出張を楽しみたい思いもあるのだろう。瀬名さんも明日は非番のはずだから野田さんと僕はありがたく了承した。佐渡さんはひとつだけ条件をつけた。

「ただ、ちょっと僕の趣味に合わせてもらうけど」

・・・・・・・・・・

翌日の午後、佐渡さん、野田さん、僕、瀬名さん、そして山見書店女性新入社員・黒石さんの5人は、日比谷公園にほど近い超高級老舗ホテルの高層ラウンジにいた。

「わー、素敵ですねー。東京で働くってこういうことなんですねー」

黒石さんは若い女性らしくラウンジからの眺めと重厚だけれどもお洒落な雰囲気に感嘆していた。
彼女は地方国立大大学院の修士を卒業してこの春に入社したばかり。僕や瀬名さんより年上だけれども、今時の若い女性という感じでなんだか爽やかだ。

それに対して瀬名さんは今日は特に静かな雰囲気だ。

「瀬名さん、調子悪いんですか?」
「ううん。大丈夫」
「みなさん、本当にお世話になりました」

ホストである佐渡さんの挨拶が始まった。

「野田さんと気根くんには退社の引き継ぎの際も本当に助けられました。そして黒石さんは僕が亡き後の山見書店の即戦力としてご活躍いただいており、安心しました」

山見書店一同で軽く頭を下げる。

「それから瀬名さん。格安料金なので不安でしたが、接客サービスがとても素晴らしい。僕のような貧乏『ビジネスマン』には最高のホテルでした」

瀬名さんが座ったまま腰を折り曲げて深々と頭を下げる。野田さんが、『住職もビジネスマンですかあ?』とツッコミを入れる。

「えー。僕の独断と偏見でこのお店にさせていただきましたが、戦闘開始といきましょう。制限時間いっぱい、健闘を祈る!」

佐渡さんの開会宣言に合わせて僕らは一斉に席を立ち、しとやかな早足でショーケースに向かった。

佐渡さんの趣味とは、この超高級ホテルのアフタヌーンティーコース。

つまりはケーキバイキングだ。

・・・・・・・・・・

野田さんと佐渡さんが久しぶりの掛け合いをしている。

「佐渡さんって甘党でしたっけ?」
「ええ。ただ、お寺だと和菓子ばっかりで・・・ケーキに飢えてたんですよー」

そんな二人をよそに僕が瀬名さんの異変に気づくのに10分とかからなかった。

「瀬名さんってそんなにコーヒー何杯も飲みましたっけ?」
「ここのコーヒー、おいしいから」
「まあ、わかりますけど・・・」

会話が途切れそうになったところで野田さんが瀬名さんに話しかける。

「いやあ、気根くんの彼女さんがこんな素敵な大人の女性だったとは」
「いえ、そんなこと・・・」

瀬名さんがはにかんで謙遜すると黒石さんが割って入る。

「あー、野田さーん。セクハラですよー」
「落ち着いた雰囲気だってほめてるんだからセクハラじゃないでしょ」
「違いますよー。わたしに対するセクハラだって言ってるんです」
「あ、たしかに。黒石さんの方が年上だもんね」

佐渡さんがそう言うと野田さんが更に踏み込んだセクハラ発言をする。

「黒石さん。佐渡さんって、どう?」
「うーん、そうですねー」

腕を組んでしばし熟考する黒石さん。

「お寺の独立経営っていうのはやっぱり魅力ですね。研究もできそうですし。ただ・・・」
「ただ?」
「一緒に歩くときは帽子被ってくださいね」

なんだそりゃ、と佐渡さんがスキンヘッドを撫でて苦笑していると野田さんが今度は僕と瀬名さんに深く突っ込んでくる。

「気根くんと瀬名さんはいつ頃結婚するつもりなの?」
「う・・・まあ、僕が就職も決まって人生の基盤ができた時、ですかね」
「それはわたしの方からも気根くんにお願いしたんです」
「へえ、瀬名さんが」
「はい。気根くんは自分が長男でご両親や家のことも気にかける必要があるって率直に言ってくれました。将来的には彼のご両親と同居する前提でいます」
「へえ・・・なんか、すごいね。そこまで信頼しあってるんだ。じゃあ、お互い隠し事なんてないでしょ?」
「僕の方は、まあ、ないですね」
「瀬名さんは?」
「え・・・と、わたしも・・・」

そこでホテルのスタッフさんがプレートを片手に、お待たせしました、と僕らのテーブルの傍に立った。佐渡さんがテンションの高い声を上げる。

「おー、これこれ。このザッハ・トルテ! よかったー、追加入って。これ目当てに来てたぐらいなんだから。さ、みんな、ひとつずつどうぞ!」

スタッフさんが重ねた小皿に1ピースずつケーキサーバーで取り分け、配り始める。
瀬名さんの番になった。

あれ? 瀬名さん?
固まってる?

「ごめんなさい!」

ザッハ・トルテを前に瀬名さんが声を上げた。

「わたし、ケーキ、ダメなんです!」

・・・・・・・・・・

「なあんだ、気根くんと瀬名さんの間柄でも隠し事あるんだね。安心したよ、僕と奥さんだっていくつかあるからね」
「野田さんの方だけじゃないんですかあ?」
「でも、申し訳なかったですね、瀬名さん。言ってもらえたら別のお店にしたのに」
「すみませんわたしの方こそ。佐渡さんのご厚意に水を差したらいけないと思ったものですから。それに・・・」

瀬名さんはカットされたメロンをフォークでつっくんと刺して微笑んだ。

「ここのフルーツ、すごくおいしいです!」

・・・・・・・・・・

解散した後、僕は瀬名さんに訊いた。

「瀬名さん、なんでケーキ嫌いなんですか?」
「さあ。わたしにも分らないわ」
「なんか、トラウマみたいなことでもあったんですかね」
「ケーキのトラウマ、って・・・」
「たとえばケーキの食べすぎでウエストが入らなくなった悲しい過去とか」
「ちょっと、気根くん」

セクハラ発言に瀬名さんが僕の背中を、ぱん、と軽く叩いた。

そういえば今までこんな風に背中を叩いてくれたことなんてない。

まあ、ふたりの間は確実に進展してるってことにしておこう。
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