第28話 瀬名さん、吉祥寺ですけど
文字数 2,655文字
ソフトボール大会の時の約束通り、よく晴れた日曜の昼下がりに僕と瀬名さんは吉祥寺にやってきた。
「でも、なんで吉祥寺なんですか?」
「え。やっぱりお洒落な街だから」
瀬名さんはやたら『お洒落』を連発する。駅に着いた時もそうだった。
「まずはお洒落なカフェだよね」
僕らは外観がオシャレっぽくてお客さんもそこそこ入っているカフェに入った。
「気根くん」
「はい」
「このお店のオシャレなところを言ってみてくれない?」
「へ? ・・・えーと、まずカップがオシャレですね」
「それから?」
「メニューもオシャレですよね。『アイスコーヒー』じゃなくって、『アイス・カフェ』とか。あと、典型的なナポリタンを炒める時にホールトマトも混ぜて『パスタ・イタリィ』って謳ってみたり」
「気根くん、シニカル」
僕らがかなり違和感のあるやりとりをしていると、隣の席のカップルの会話が聞こえてきた。
「ねえ、知ってる? 井の頭公園の池でボートに乗ったカップルって必ず別れるんだって」
「えー、マジかー」
瀬名さんがカップルに向けていた視線をくるっと僕に戻す。
「気根くん」
「はい」
「ボートだって。乗ってみようか」
「はあ? 嫌ですよー。聞いてたでしょう? 乗ると別れるって」
「まあ、ものは試しに」
嫌がる僕をなだめすかし、瀬名さんに引きずられるようにして井の頭公園に来てしまった。
「大人二枚」
スワン型のボートに二人で乗り込んだ。
「ほら気根くん。楽しいよー、きっと」
「ええまあ」
二人でペダルを漕いで池の中央までとりあえず進む。池は結構な数のボートで混み合っていた。
「瀬名さん、漕ぎにくいですからもうちょっとそっちに行ってください」
「あ、ごめん・・・・あ、ほら、あのボート、競争しようって誘ってるよ」
「え?」
言い終わらないうちに瀬名さんはものすごい勢いで自分のペダルを漕ぎ始めた。
「ちょ・・・相手に迷惑ですよ!」
「完全にわたしたちを挑発してるよ、あれは」
結局一方的にそのボートを追い抜いた後も瀬名さんはスピードを緩めず、そのまま池を一周してボートを降りた。
僕は軽く酔ってしまった。
「ごめんね、気根くん。あそこの木陰で少し休もうか」
芝生の木陰までやっとかっとで歩いた。
「気根くん、はい、膝まくらしてあげる」
「・・・いいですよ、他の人もいっぱいいますから」
「そう? じゃあ、これやらない?」
「え」
瀬名さんは今度はデイパックから何やら丸い皿のようなものを取り出した。
「それって・・・」
「懐かしいでしょ」
フリスビーだった。
流れで10メートルほどの距離を置き、芝生でフリスビーに興じる僕と瀬名さん。
「あ。気根くん、結構うまいねー」
「いえ別に」
「ほら、股抜き!」
「わ! 女の子なんですからそんな投げ方やめてください!」
「『女の子』って言ってくれるんだ。優しいね、気根くんは」
・・・・・・・
井の頭公園でたわいもない遊びをしているうちに夕食どきになった。
「へえ。ジャズバー」
「はい。佐渡さんが山見書店辞める時に連れてってもらいました。野田さんと3人で」
「いいね。オシャレで吉祥寺って感じで」
店に入るとちょうどピアノの若い女性とウッドベースの渋い中年男性、それからやはり中年男性ドラマーのトリオがステージを始めたところだった。
「あの、彼と隣同士に座ってもいいですか?」
瀬名さんがそう聞いた時、ちょっとびっくりした。けれども店員さんが、
「ああ、その位置の方がステージ見やすいですもんね。いいですよ、どうぞ」
ああ、なるほど。
「また瀬名さんがヘンなこと言い出したと思っちゃいました。隣同士に座りたいなんて」
「え。また、ってわたし他にも何かヘンだった?」
「今日ずっとヘンだったじゃないですか」
「そんなことないと思うけど」
ピアノの演奏が結構激しい。
音楽に引き込まれそうになっていると、突然瀬名さんの太腿がやたらと僕の方に密着してきた。
「瀬名さん、狭いですか? もうちょっとこっちに寄りましょうか?」
そう言ってると背中合わせの後ろの席から声が掛かった。
「うるさい! 静かにしろ!」
あ、すみません、と僕は謝ったけれども注意してきた男性はやめなかった。
「ガキはライブハウスでロックでも聴いてろよ」
「すみません、すみません」
「そっちの女の子も謝ってくれよ」
「いやです」
「瀬名さん・・・一言謝れば済みますから・・・」
「何⁈」
うわ、しまった。言い方間違えた。
「すみません、すみません。彼女ちょっと酔ってるんで、僕が代わりに謝りますから」
「酔っていません」
そう言って瀬名さんは立って、腰を折り曲げた。
「すみませんでした」
その時、ガン!、という不協和音が店内に響いた。
「そこの方たち、全員出てって!」
ピアニストが鍵盤を叩きつけて僕らに怒鳴った。
・・・・・・・・・・・
店を出て月夜の吉祥寺を僕と瀬名さんは駅方面に向かってゆっくり歩いた。
「ごめんね、気根くん」
「いいですよ。いいんですけど、今日はどうしたんですか?」
「うん・・・・」
「その、瀬名さんは普通の人じゃないってのは分かってるつもりですけど、今日はちょっとヘン過ぎます」
「・・・ちょっと焦っちゃって」
「焦る?」
「この前泊りに来てくれた時、ドラッグストアで、『そういう箱』買ったでしょう」
「え!」
僕は固まってしまった。
「見てたんですか」
「うん。見えちゃった」
あー。恥ずかしすぎる!
「その・・・気根くんだって男だから当たり前だろうとは思うんだけど、でもやっぱりあの時は怖くって」
「大丈夫ですよ。二段ベッドの時点でそういう意識は消え去りましたから」
「うん・・・でも、『そういうこと』抜きに気根くんにずっとそばにいてもらうのがちょっと図々しいのかな、って」
「それがどうして井の頭公園のボートになるんですか」
「・・・ボートの中だと密着するかと思って。でも気根くんがあんなに嫌がるなんて思わなかった」
「もしかしてフリスビーできわどい投げ方したのも」
「うん」
「ジャズバーで隣に座ったのも」
「うん」
「そもそもなんで吉祥寺?」
「初めてならお洒落な街の方がいいのかな、って」
瀬名さんはデイパックを背中から下ろして胸に抱えるように持ち替えた。
「でも・・・いざとなったら無理だった。照れて隣のボートと競争したりして」
「平気ですよ。別に今は『そういうこと』ができなくても」
「え?」
「結婚したら嫌でもするんですから」
言ってしまってからそのセリフの恥ずかしさに気づいた。
僕も瀬名さんもしばらくの間、アスファルトのガラス粒に反射する月の光を見て歩いた。
「気根くん」
「はい」
「今度は恵比寿がいいかな?」
「でも、なんで吉祥寺なんですか?」
「え。やっぱりお洒落な街だから」
瀬名さんはやたら『お洒落』を連発する。駅に着いた時もそうだった。
「まずはお洒落なカフェだよね」
僕らは外観がオシャレっぽくてお客さんもそこそこ入っているカフェに入った。
「気根くん」
「はい」
「このお店のオシャレなところを言ってみてくれない?」
「へ? ・・・えーと、まずカップがオシャレですね」
「それから?」
「メニューもオシャレですよね。『アイスコーヒー』じゃなくって、『アイス・カフェ』とか。あと、典型的なナポリタンを炒める時にホールトマトも混ぜて『パスタ・イタリィ』って謳ってみたり」
「気根くん、シニカル」
僕らがかなり違和感のあるやりとりをしていると、隣の席のカップルの会話が聞こえてきた。
「ねえ、知ってる? 井の頭公園の池でボートに乗ったカップルって必ず別れるんだって」
「えー、マジかー」
瀬名さんがカップルに向けていた視線をくるっと僕に戻す。
「気根くん」
「はい」
「ボートだって。乗ってみようか」
「はあ? 嫌ですよー。聞いてたでしょう? 乗ると別れるって」
「まあ、ものは試しに」
嫌がる僕をなだめすかし、瀬名さんに引きずられるようにして井の頭公園に来てしまった。
「大人二枚」
スワン型のボートに二人で乗り込んだ。
「ほら気根くん。楽しいよー、きっと」
「ええまあ」
二人でペダルを漕いで池の中央までとりあえず進む。池は結構な数のボートで混み合っていた。
「瀬名さん、漕ぎにくいですからもうちょっとそっちに行ってください」
「あ、ごめん・・・・あ、ほら、あのボート、競争しようって誘ってるよ」
「え?」
言い終わらないうちに瀬名さんはものすごい勢いで自分のペダルを漕ぎ始めた。
「ちょ・・・相手に迷惑ですよ!」
「完全にわたしたちを挑発してるよ、あれは」
結局一方的にそのボートを追い抜いた後も瀬名さんはスピードを緩めず、そのまま池を一周してボートを降りた。
僕は軽く酔ってしまった。
「ごめんね、気根くん。あそこの木陰で少し休もうか」
芝生の木陰までやっとかっとで歩いた。
「気根くん、はい、膝まくらしてあげる」
「・・・いいですよ、他の人もいっぱいいますから」
「そう? じゃあ、これやらない?」
「え」
瀬名さんは今度はデイパックから何やら丸い皿のようなものを取り出した。
「それって・・・」
「懐かしいでしょ」
フリスビーだった。
流れで10メートルほどの距離を置き、芝生でフリスビーに興じる僕と瀬名さん。
「あ。気根くん、結構うまいねー」
「いえ別に」
「ほら、股抜き!」
「わ! 女の子なんですからそんな投げ方やめてください!」
「『女の子』って言ってくれるんだ。優しいね、気根くんは」
・・・・・・・
井の頭公園でたわいもない遊びをしているうちに夕食どきになった。
「へえ。ジャズバー」
「はい。佐渡さんが山見書店辞める時に連れてってもらいました。野田さんと3人で」
「いいね。オシャレで吉祥寺って感じで」
店に入るとちょうどピアノの若い女性とウッドベースの渋い中年男性、それからやはり中年男性ドラマーのトリオがステージを始めたところだった。
「あの、彼と隣同士に座ってもいいですか?」
瀬名さんがそう聞いた時、ちょっとびっくりした。けれども店員さんが、
「ああ、その位置の方がステージ見やすいですもんね。いいですよ、どうぞ」
ああ、なるほど。
「また瀬名さんがヘンなこと言い出したと思っちゃいました。隣同士に座りたいなんて」
「え。また、ってわたし他にも何かヘンだった?」
「今日ずっとヘンだったじゃないですか」
「そんなことないと思うけど」
ピアノの演奏が結構激しい。
音楽に引き込まれそうになっていると、突然瀬名さんの太腿がやたらと僕の方に密着してきた。
「瀬名さん、狭いですか? もうちょっとこっちに寄りましょうか?」
そう言ってると背中合わせの後ろの席から声が掛かった。
「うるさい! 静かにしろ!」
あ、すみません、と僕は謝ったけれども注意してきた男性はやめなかった。
「ガキはライブハウスでロックでも聴いてろよ」
「すみません、すみません」
「そっちの女の子も謝ってくれよ」
「いやです」
「瀬名さん・・・一言謝れば済みますから・・・」
「何⁈」
うわ、しまった。言い方間違えた。
「すみません、すみません。彼女ちょっと酔ってるんで、僕が代わりに謝りますから」
「酔っていません」
そう言って瀬名さんは立って、腰を折り曲げた。
「すみませんでした」
その時、ガン!、という不協和音が店内に響いた。
「そこの方たち、全員出てって!」
ピアニストが鍵盤を叩きつけて僕らに怒鳴った。
・・・・・・・・・・・
店を出て月夜の吉祥寺を僕と瀬名さんは駅方面に向かってゆっくり歩いた。
「ごめんね、気根くん」
「いいですよ。いいんですけど、今日はどうしたんですか?」
「うん・・・・」
「その、瀬名さんは普通の人じゃないってのは分かってるつもりですけど、今日はちょっとヘン過ぎます」
「・・・ちょっと焦っちゃって」
「焦る?」
「この前泊りに来てくれた時、ドラッグストアで、『そういう箱』買ったでしょう」
「え!」
僕は固まってしまった。
「見てたんですか」
「うん。見えちゃった」
あー。恥ずかしすぎる!
「その・・・気根くんだって男だから当たり前だろうとは思うんだけど、でもやっぱりあの時は怖くって」
「大丈夫ですよ。二段ベッドの時点でそういう意識は消え去りましたから」
「うん・・・でも、『そういうこと』抜きに気根くんにずっとそばにいてもらうのがちょっと図々しいのかな、って」
「それがどうして井の頭公園のボートになるんですか」
「・・・ボートの中だと密着するかと思って。でも気根くんがあんなに嫌がるなんて思わなかった」
「もしかしてフリスビーできわどい投げ方したのも」
「うん」
「ジャズバーで隣に座ったのも」
「うん」
「そもそもなんで吉祥寺?」
「初めてならお洒落な街の方がいいのかな、って」
瀬名さんはデイパックを背中から下ろして胸に抱えるように持ち替えた。
「でも・・・いざとなったら無理だった。照れて隣のボートと競争したりして」
「平気ですよ。別に今は『そういうこと』ができなくても」
「え?」
「結婚したら嫌でもするんですから」
言ってしまってからそのセリフの恥ずかしさに気づいた。
僕も瀬名さんもしばらくの間、アスファルトのガラス粒に反射する月の光を見て歩いた。
「気根くん」
「はい」
「今度は恵比寿がいいかな?」