11)縄文「動く土器」「黒と赤」の精神世界

文字数 1,639文字

 縄文史跡公園に行くと、復元された竪穴住居が建てられているところが多いです。ぜひ一度、中に

縄文の人たちの生活を想像してみてください。壁・屋根・木組みなどの上部構造は想像で建てられていますが、地層(地面)に残された炉や木柱跡からかなり正確に復元されています。(写真は真脇遺跡の復元竪穴住居。石川県能登町)


 夏は涼しく、冬を暖かく暮らすため、出入口は茶室の躙り口(にじりぐち)のような小サイズ。頭を打たないように気をつけてください。
 昼間は写真のように明るいですが、夜には暗く、内は囲炉裏の赤い炎を中心に影がゆらめく明と暗、赤と黒の小世界になります。
 囲炉裏の土器の中では命を繋ぐ暖かい食べ物がぐつぐつと煮えています。大人たちは自家製の果実酒でも飲みながらホロ酔い気分でその日あったことをあれこれ話していたことでしょう。縄文の人たちは甘い味の果実などを水と漬けこんでおくと

の中から酒ができることを知っていました。

 絶やすことのない火は炉を囲む皆の顔を照らし、しかし背に影絵をつくり、その壁の向こうには底知れぬ闇夜の世界が広がっています。
 火と水と土、太陽と月、昼と夜、男と女。現実世界がどのようにしてできあがっているのか、前頭葉の発達した生き物は何千年もの間、考え想像し続けてきたことでしょう。
 人は自分が考えたことをまわりの人と共有したくなります。できれば多くの人の共感を得ようとします。

 岡本太郎が上野の国立博物館で出逢い、衝撃を受けた縄文土器は、そんな日々の生活の、人々の表現物として

に生まれました。
 燃え上がるような、水が流れるような、生きているような。
 現代でも芸術的に高く評価される縄文土器は、太郎さんが惹きつけられた、地の底から湧き上がるような、止まることのない、うねるような「動」を表現しています。(写真左:馬高遺跡の火焔土器、右:曽利遺跡の水紋土器)

 (写真下:加能里遺跡のヘビの紋様土器。見る角度を変えながら動を表現)


 例えば、何度も繰り返し描かれる縄文渦巻、焼成の黒(※1)と赤色顔料(※2)でまじりあう表現も「動」。(写真は金沢市埋蔵文化財センター企画「縄文の黒と赤の世界」展示の漆塗りの土器)



 動は生命(いのち)あるいはその源。生まれ来る「アラ」の観想(かんそう)はこのようにして()られたと考えられます。

 縄文時代の墓からは水銀朱やベンガラで着色した副葬品がよく出土します。
 古墳時代の王墓の石室は水銀朱(丹)で赤に着色されました。これらは縄文以来のアカ=明るい=生まれる=アラ=貴人の死後の生活あるいは再生を意味するものと解釈できます。(写真は水銀朱で塗装された古墳の石室二例)


 弥生時代から古墳時代の間のどこかで、日本に神道の概念が芽生えた頃に「アラ」は「荒御魂」の概念として確実に存在していたはず。なぜならそれが根源だからです。
「・・・荒御魂とは神の特別な働きをする状態、または神が現れた状態といわれています」という伊勢神宮(内宮、荒祭宮)の説明は、自然から生きてゆく上で必要な万物が生みだされる『縄文の万物の法則=アラの法則』を継承したものと考えるのが自然です。

 虚無・極小の一点(無)から無限・超巨大な宇宙(有)があらわれるというビッグバン理論は現代物理学の標準になっていますが、そもそも、なぜそうなのか?は未知。そしてその『まるで神の意思であるかのような根源的なもの』を思索する姿は、やり方が違うだけで、現代も縄文時代も変わりありません。もちろん、縄文も含めた時代や人種を越えた人類共通の

であり、探求心・好奇心です。

 ※1.焼成した後、粘土中の酸化鉄の作用で肌色に発色している土器を、再度、蒸し焼きにして炭素コーティングすると黒の発色になります(炭化焼成)

 ※2.縄文土器の赤色顔料。「水銀朱(すいぎんしゅ)、(辰砂(しんしゃ))、丹、HgS」、「ベンガラ、赤色酸化鉄(せきしょくさんかてつ)、Fe2O3」「鉛丹(えんたん)、Pb3O4、四三化酸鉛(しさんかさんなまり)」。発色性の良さで水銀朱、大量に産する点でベンガラがよく使われました
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