10)火と水と土の時代

文字数 1,027文字

 (かまど)三宝荒神(さんぼうこうじん)信仰は、平安時代の総合科学を担おうとした複雑で難解な真言密教の「初級編」であったように思います。
 真言密教が描く曼荼羅世界、ゼロから万物が生まれゆく原理・法則を説くときの、はじまりの話として、当時の日本人がふるくから共有していた『火と水と土の作用と原理=アラ』の概念を、空海さん(弘法大師)を始め、後の導師たち、そして布教を生業(なりわい)とした高野聖(こうやひじり)たちは大いに活用したと考えられます。

 では『火と水と土の作用と原理=アラ』の考え方は、いつごろ生まれたのでしょうか。

 縄文時代は、草創期の16,000年前から晩期の3,000年前(新画期)まで、約13,000年間も続いた、世界最長の持続性文化ですが、考古学的にその前の新石器時代と画期するのが縄文土器です。

 縄文土器は粘土を水でこねて野焼きして造ります。(写真は富山県立埋蔵文化財センター)

 土器は、食べ物の煮炊きや水や食糧の保存に使われました。つまり多量の土器の存在は縄文の「定住生活」を裏付けます。縄文の人々が狩猟採集(漁ろう)の生活をしながら、ひとつところで長期定住していた痕跡だからです。一例ではありますが、能登半島北端の真脇(まわき)遺跡(石川県能登町)では7,000年前から2,800年前ごろまで約4000年にわたって人々が継続して生活していました。(写真は真脇遺跡公園入口の土偶モニュメント)

 定住生活で、人々は竪穴住居(たてあなじゅうきょ)囲炉裏(いろり)をつくり、集落全体で火を絶やさないようにしていたと考えられています。一戸で火を消してしまってもお互いに種火を提供しあう共棲関係です。(写真は真脇遺跡の復元住居)

 縄文中期(約5000年前)ぐらいになると、樹を伐採して木材として使っても、森林が回復する約20年サイクルで住居が建て替えられていたことがわかっています。住居は古くなると萱葺(かやぶき)が草屋根になり、やがて土に還ります。(写真はじょーもぴあ宮畑の復元住居、福島県福島市)


 生活のすべてが、火と水と土が自然循環するサイクルの上に成り立っており、結果として、人類史上でもギネス級かつ異例ともいえる長期の

を可能にしました。(

が世界の標準的な考え方であるのに対して異例という意味です)

 アラの概念(想念)は、そのような縄文の生活から自然発生的に生まれ、集落を通してすべての人々に共有され、はるか後、空海さんの時代にまで継承されていったと考えられます。
 次回は縄文のアラの誕生と信仰としての継承について。
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