05)フィールドワーク(葛木倭文座天羽雷命神社)

文字数 1,073文字

 かつらき・しとりにいます・あめのはいかづちのみこと・じんじゃ(27字!)
 奈良県葛城市(かつらぎし)、大和二上山(にじょうざん)・雄岳の(ふもと)に鎮座する式内社(しきないしゃ)で、地元では「加守(かもり)神社」と呼ばれています。
 ※以下「加守神社」と書きます


 少し寄り道します。大和二上山(にじょうざん)は、奈良県と大阪府の県境に位置する雄岳(おだけ)(517m)と雌岳(めだけ)(474m)から成る死火山で、縄文時代から石器用のサヌカイト(カンカン石※)、古墳時代から石棺などに使用された凝灰岩(ぎょうかいがん)が採石されていました。大和の磐余(いわれ)の地から眺める連峰のシルエットは美しく、霊山(れいざん)として(あが)められるとともに、万葉集などでも多く()まれています。
 ※叩くと鋭利な面をもった剥片に分かれます。金属音がすることからカンカン石。四国の讃岐(さぬき)地方でもよく採れることからサヌカイトの名がつきました。石器~縄文時代の近畿以西で利用されたサヌカイトは、おおむね大和二上山(にじょうざん)産。
(写真は磐余(いわれ)吉備池(きびいけ)から)


 加守の交差点からお山の方に上がってゆくと、麓の濃い緑の中に、加守神社は鎮座しています。
 参詣道入口の碑に「加守神社(かもりじんじゃ)」「倭文神社(しとりじんじゃ)」「二上神社(ふたかみじんじゃ)」と刻まれ、三社が祀られていることがわかります。


 御由緒には、各社のことが書かれていました。以下各要約。
 1)加守神社(かもりじんじゃ)。御祭神は産育の祖・天忍人命(あまおしおのみこと)。初代神武天皇(じんむてんのう)のお父上・鵜草葺不合尊(うがやふきえあずのみこと)出生の時、(ほうき)をつくり(かに)胎盤(たいばん)のこと)を(はら)ったことから、これを蟹守(かにもり)として掃部(かもん)の職制ができ、いわゆる『助産』を担った蟹守(かにもり)加守(かもり)一族の氏神




 2)倭文神社(しとりじんじゃ)天照大神(あまてらすおおかみ)荒衣和衣(あらたえにぎたえ) をつづった天羽雷命(めのはいかづちのみこと)が御祭神。機綴(はたつづり)の神様で、伊勢・駿河(するが)・伊豆・甲斐・近江(おうみ)・上野・丹後・但馬(たじま)因幡(いなば)伯耆(ほうき)などの国々に祀られている。倭文(しずり)は《あやぬの》、日本古来の織物のことで、子孫を倭文(しとり)(しずり、とも)氏とし、諸国に『機綴(はたつづり)と裁縫』の術を伝えた。

 3)二上神社(ふたかみじんじゃ)。力くらべの角力(かくりき)()建御雷神(たけみかづちのかみ)富国(ふこく)尽力(じんりょく)した温和な(ぶん)大國御魂神(おおくにみたまのかみ)、の男神が御祭神。『文武の神』『縁結びの神』として(あが)められている。

 いろいろな要素が含まれていて複雑に思えますが、『縁結びは二上(ふたかみ)』『出産(助産)は加守(かもり)』『産育は倭文(しとり)』『文武教育は二上(ふたかみ)』という、男女の出会い、出産から育児まで、トータルで子孫繁栄の流れに沿った祭祀・信仰であることが理解できます。連峰の大和二上山(にじょうざん)のイメージを、縁結び(男女)・文武両道(教育)で二重に神格化している点が特徴でしょうか。

 ひとまずフィールドワークを終えて、次に多賀城(たがじょう)荒脛巾(あらはばき)神社と、葛城(かつらぎ)加守(かもり)神社を比較してみましょう。宮城県と奈良県の遠く離れた神社の間に、興味深い共通点が見えてきます。
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