09)荒神(あらがみ)を荒神(こうじん)に変えた偉人

文字数 1,151文字

 (かまど)荒神(こうじん)、「火」と「水」と「土」の概念は、やがて伝来した

の布教に採り入れられ「(ぶつ)」「(ほう)」「(そう)」の説話と目を引く神像とともに三宝荒神(さんぼうこうじん)の信仰に変容してゆきました。
 (写真は朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)(奈良県生駒郡。信貴山真言宗総本山)の三方荒神像)


 難しい法話はなく、見た目のインパクトで目を引き、わかりやすい台所の神様が「ぶっ・ぽう・そう」のリズム感で(とりこ)にします。(朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)、三宝荒神堂前の立看板)


 真言宗の開祖、弘法大師(空海)は平安時代初期の人で、唐の長安に留学し、わずか数ケ月で密教の奥義(おうぎ)を極めた天才ですが、日本に持ち帰った真言密教(しんごんみっきょう)は、インドの神道(しんとう)ともいえるヒンズー教と仏教が習合したもので、時代を経てより洗練されたものでした。飛鳥時代や奈良時代の仏教よりもさらに高度化した、単なる宗教というよりも当時としては最新の哲学であり総合科学だったはずです。同時期に唐に留学した最澄(さいちょう)さん(伝教大師(でんきょうだいし))がライバルと言うべき空海さんに師事したのも、頭を下げてでも、その先進性を自らの天台密教(てんだいみっきょう)に採り入れたかったのだと思います。天台密教は、当時としてはやや古い時代の仏教と中国天台山(てんだいざん)道教(どうきょう)が習合したもので、先進性という点に弱みを感じていたのでしょう。

 真言密教の何が先進的だったのでしょうか。私が想うに「無=空」の概念と曼荼羅(まんだら)に描かれるような宇宙的な世界観です。例をあげますのでイメージしてください。空海さんが非常に重要視した般若心経(はんにゃしんぎょう)は、インドのサンスクリット語の経が、玄奘三蔵法師の漢訳を経て日本にやって来たと言われますが、「無」が21回、関連して「不」が9回、「空」が7回も出てきます。


 整数(ぜろ)を発見した古代インドならでは、無の世界を描き出し、そこから事物が生成する大宇宙、曼荼羅世界に発想を連動させる観想は、現代人にとってもインパクトがあります。


 空海さんが、きわめて短期間で密教の神髄に至ることができたのは、それを理解する思索の素地があったからで、それがクニウミと命の誕生の原理『アラ』だったとすると。

 火と水と土という元素的なものからモノが生み出される想念は、日本人が

から共有してきたイメージです。
 空海さんは自身が身に付けた智慧を、より多くの人々に広めるため、難しい話はさておき、誰もが慣れ親しんでいた『(かまど)の原理』から入るのがわかりやすいと考えたことは想像に難くありません。日本の仏教は空海さんを基点に、国家鎮護の大乗仏教から衆生救済(しゅじょうきゅうさい)の小乗仏教に転換してゆきますが、その契機になったのが(かまど)荒神(こうじん)信仰でした。

 では、空海さんが深く理解した日本人が古くから共有してきた火と水と土の原理は、いったいいつ生まれ、共有されてきたのでしょうか。

『アラ』を手掛かりにして、アラハバキ信仰の

の考察を続けます。
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