36)平安京を守り皇室の繁栄を守護する決意の印

文字数 1,467文字

 京都御所の東に荒神(こうじん)の名のつく一帯があります(荒神町、鴨川に架かる荒神橋と荒神の飛び石、荒神口交差点)。地元では清荒神さんといわれる

護浄院(ごじょういん) 常施無畏寺(じょうせむいじ)が地名の由来。
 関西では

清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)(兵庫県宝塚市)がよく知られていますが、京都市内で荒神さんと言えばこちらになります。(写真:京都の清荒神さん絵馬。牛に乗る三面六臂三本足の姿)

 第9章で紹介した三面六臂の真言宗の荒神の姿と比べて、牛に乗り三本足(計六本足?)である点が違います。
 牛に乗るのは、比叡山延暦寺の守護神として最澄が崇敬した山王権現(大山咋神)が、日吉大社の御神体山の牛尾山に降臨したという由緒によります。絵馬に描かれているのは、牛尾の山に御荒(みあ)れ(=御生(みあ)れ)した山王権現(さんのうごんげん)であると考えられます。牛尾(うしお)山は、八王子山とも称され、日吉大社の奥宮で磐座(いわくら)金大巌(こがねのおおいわ)のある所です。
 三本足は『荒』の字の

が三本であることによるもので、八咫烏(やたからす)にも通じるイメージであると考えられます。(荒は神の誕生・降臨の意。第3章)

 護浄院は御所の至近(しきん)、境内には天台の福禄寿(ふくろくじゅ)信仰(京洛七福神の一)、光格天皇(こうかくてんのう)胞衣塚(えなづか)のほか、男女和合の道祖神像も見られることから、皇室の安産・子孫繁栄を加持祈祷する私的な寺院であったと考えられます。
 (写真:光格天皇(第119代、江戸期)の胞衣塚、道祖神像)

 境内に掲げられた木札には『

』とあることから、天台宗の荒神には皇子(みこ)皇女(みこ)の出産(御生(みあ)れ)を守護する、つまり、安産と子孫繁栄が加味されていることがうかがえます。
 (写真:山門と境内に置かれた方位除(ほうよ)けの留蓋瓦(とめぶたがわら)(くく)りの桃は男女和合の意、右)十六花弁の菊花は出産と子孫繁栄・末広がりの意)


 赤山禅院(せきざんぜんいん)の御本尊、福禄寿(泰山府君(たいざんふくん))の信仰で見られるように、平安時代の天台宗は、日本古来の鼻高の猿田彦・塞の神と、道教の陰陽道卜占(おんみょうどう ぼくせん)-方位と星神信仰-を複雑に習合させて、皇室守護の祈祷全般を担おうとしました。
 飛鳥・奈良時代を通じて皇室には仏教が浸透したものの、自分たちが住まう平安京の守護や子孫繁栄の祈願における神道の役割は大きく、それが皇室のニーズである限り、天台宗も対応せざるを得ず、その過程において当時の知的エリートたちはさぞかし知恵を絞ったことでしょう。

 

三諦章(さんたいしょう)は天台宗の宗紋ですが、その意匠(デザイン)には、天台宗が皇室とその繁栄を守護するという決意、その存在意義が顕されています。

 三ツ星はオリオン座の三つ星をイメージしますが違います。

 左は陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明(あべのせいめい)から繋がる暦の土御門家(つちみかどけ)に伝わった中世の格子月進図(こうしげっしんず)、右は現在の天体図。
 中世において、上台(じょうたい)中台(ちゅうたい)下台(かたい)三台星(さんたいせい)が重視されましたが、それぞれ二つ一組の星で、天台宗の三諦章の三ツ星はこの三台星を表しています。現在の星図では、おおぐま座の足ともう一組の二つ星に対応します。
 三台星は北極星あたりを中心に天空を回転し、その動きがすなわち、天帝(てんてい)を象徴する紫微星(しびせい)(北極点あたり)を支えるものと考えられました。
 この三台の姿は、第34章で紹介した猿が辻(幸乃神社)-赤山禅院-日吉大社の、御所に対する神猿(まさる)の結界ラインと同じ形、位置をしています。
 つまり天台宗は御所を紫微星と見立て、天空の三台の星を平安京に投影したのです。
 そして皇室の子孫繁栄を象徴する十六花弁の菊花紋に三台の星を置きました。
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