31)稲荷信仰の発展

文字数 1,744文字

 街角や敷地の中の赤い鳥居の小社、千本鳥居が並ぶ神社のスタイルは、それほど古いものではありません。まず、江戸期に伏見稲荷大社からの勧請(かんじょう)で武家や商家の屋敷神、あるいは稲荷神社としてひろがり、さらに、明治期の神仏分離令によって行き場を失った民間信仰のひとつの大きな受け皿として地域の小社などとして普及しました。
 弘法大師・空海と荷田竜頭太(にだりゅうとうた)の説話(東寺の稲荷大明神縁起)が残された平安時代とそれ以降、中世で庶民の間に稲荷信仰が普及した様子は詳しくわかっていませんが、民俗学の報告資料を調べる限り、山の神・田の神・農の神として、蝦夷(えみし)の地に限らない西日本も含む農村・里山で、在地の信仰と小規模で、ゆるやかに習合しながら広がっていったものと考えられます。

 その伝道を担ったのが、平安時代後半以降、日本各地で高野山信仰の勧進とあわせて行商を生業とした遊行の高野聖(こうやひじり)。僧籍としても最下位に位置付けられる聖が相手にするのは主に農民(庶民)で、(かまど)三宝荒神(さんぽうこうじん)の御札や祭具売りで、おそらく彼らが人々の興味を惹くのに竜頭太説話を含む弘法大師の奇譚(きたん)を広め、ゆえに高野山信仰と連動して稲荷信仰も浸透していったものと考えられます。

 朝廷(平安京)の権威を背景に本地垂迹(ほんじすいじゃく)(第29章)で蝦夷の地の荘園化とともに精力的に北進していった慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)の天台宗とは状況が異なります。話は外れますが、織田信長公と天台・比叡山の衝突が、日本史上で類を見ない苛烈な焼き討ちで終わった歴史は、いかに平安以降に蓄積された荘園利権が巨大であったかを物語っています。一方で、高野山には信長公の他、名だたる戦国武将の供養墓が敵味方の区別なく置かれているというまるで相反する事実は、高野山と比叡山との対比において、二つの宗教がいかに中世において、異なる道を歩んでいたのかを考える傍証となります。

 総じて真言密教は身分の低い高野聖の活動-

-を通してヤマトのモノづくり(養蚕(ようさん)・産鉄)と稲作技術(水源の開発、灌漑(かんがい)を含む)という福音(ふくいん)(相当に秦氏(はたうじ)の成分が含まれる)と引き換えに、稲作文化を普及させる中で、古来より各地に根付いた神々の信仰と習合していったものと考えられます。
 狐を眷属(けんぞく)神使(しんし)としたのは、1)春に里に降りてきて、秋に山に帰るという稲作サイクルに適った生態、2)倉の稲や蚕虫(かいこ)を食べたり田畑を荒らすネズミ(モグラも?)を捕食する、3)子だくさんで子孫繁栄をイメージさせる、などが挙げられるでしょうか。

 関西では昭和年代まで、狐のことをケツネと発音するお年寄りが多かったですが、これは古代からの発音らしく、なぜならば、稲荷信仰は根本的にミケツ神(御食津神)を奉斎しますが、三狐神と書く時に狐をケツと読ませることからそのように考えられます。

 (写真:京都伏見稲荷大社楼門)


 三狐神(みけつのかみ)については諸説ありますが、全国に約三万といわれる稲荷社の総本社・伏見稲荷大社、中央座(下座)の宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)(女神)、正面向かって左・北座(中座)の佐田彦大神(さたひこのおおかみ)(男神)、正面向かって右・南座(上座)の大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)(女神)の総称と考えるのが自然でしょう。大社では三狐神(みけつのかみ)の他に、田の神としての田中大神(たなかのおおかみ)(自然神)、四季の神としての四大神(しのおおかみ)(自然神)を配神します。
 全国的に「三」と「狐」が結び付いた例は、私が知る限りでは、津軽・高山稲荷の三五郎稲荷社、広島・金光稲荷の三狐呂(さんころう)稲荷社、京都・折上稲荷の三九郎稲荷社などがあります。それぞれに由緒や御利益が伝わっていますが、いずれもおそらく三狐神に発するもので、全国規模で調べれば、「三」と「狐」の事例は、他に相当数を確認できると考えています。

 (写真、津軽・高山稲荷、千本稲荷)


 また三狐神はサグジと読んで、石神(いしがみ)(男根石像の奉斎に通じる、第14章・飛鳥石神遺跡を参照)をあらわすという説があります。セキジン・シャクジ等からの転訛(てんか)によるとする説です。私はそのことを確認するために、伏見稲荷大社の背後、数キロにわたって千本鳥居が並ぶ御神体山・稲荷山に何度か足を運び、そのこん跡を確認してきました。次章で、稲荷山のアラハバキ解について紹介します。
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