39)ヒスイのものづくり史(3)見えてくる弥生稲作・太陽祭祀の東遷

文字数 1,795文字

 

というスタイル、弥生期の定型的な勾玉(まがたま)製品(弥生勾玉)を考え合わせると、糸魚川(いといがわ)硬玉(こうぎょく)ヒスイの玉作(たまつくり)集団は、紀元前5世紀ごろの弥生中期以降(BC400年代)に、新潟県妙高・上越市(斐太(ひだ)遺跡群。第38章)、石川県小松市(八日市地方(ようかいちじかた)遺跡)、島根県松江市(花仙山(かせんさん)玉造(たまつくり))、そして福岡県糸島市(潤地頭給(うるうじとうきゅう)遺跡)の日本海沿岸に分散して行ったものと考えられます。
 いずれも弥生のモノづくりの最先端地域で、例えば、八日市地方遺跡では(え・つか)付き鉄製ヤリガンナ、潤地頭給遺跡では井戸と準構造船(じゅんこうぞうせん)(すずり)なども出土しています。

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 八日市地方(ようかいちじかた)の鉄製ヤリガンナは今のところ大陸由来との解釈が定説のようですが、

弥生時代製鉄の証拠となり、日本列島における鉄生産の開始時期が定説よりも700年以上早まる可能性が出てきます。
 (写真:(え・つか)付き鉄製ヤリガンナ、BC300~BC150)


 潤地頭給(うるうじとうきゅう)(すずり)製品は、最近行われた過去遺物の再評価の中で見い出されたものですが、こちらは日本での文字の使用が定説よりも300年以上早まることになりそうです。
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 潤地頭給遺跡では、碧玉(へきぎょく)・メノウ・水晶・鉄石英(てつせきえい)蛇紋岩(じゃもんがん)の5種の原石の玉が確認されていますが、このうち碧玉・メノウは出雲の花仙山から運ばれ、加工されていた可能性が高いとされています。またあわせて北陸系や山陰系の土器が多く出土することからも、

の姿が浮かび上がってきます。

 潤地頭給遺跡は三世紀(弥生から古墳時代への移行期)の魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に『世々王有(よよおうあ)るも(みな)

統属(とうぞく)す』と記された伊都国(いとこく)要衝(ようしょう)にあり、遅くとも弥生中期(BC150)ごろには、海路で日本海交易ネットワークと繋がっていたと考えられます。
 ※国土地理院の色別標高地図に4遺跡をプロット。弥生期には青色は海。海側がシマ地域、陸側がイト地域。イト・シマ(現在の糸島市)は東西の入り江に挟まれた自然の細い陸橋で繋がっていました。


 弥生後期(紀元後)の三雲南小路(みくもみなみしょうじ)‎井原鑓溝(いわらやりみぞ)・‎平原(ひらばる)の遺跡からは王墓クラスと考えられる副葬品類が出土しており、うち弥生勾玉は最も古い三雲南小路から(糸魚川の)硬玉(こうぎょく)ヒスイ製、平原からガラス製が見つかっています(井原鑓溝は盗掘がひどく元々あったと考えられるが発見されていない)
 なかでも平原は、ガラス勾玉を含む多数のアクセサリーの他、八咫鏡(やたのかがみ)と同サイズと考えられる大鏡(おおかがみ)5枚(青胴)、素環頭太刀(そかんとうのたち)(鉄)の、いわゆる三種の神器(さんじゅのじんぎ)がセットで出土した日本最古の土盛り型の墳墓(方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ))で、その状況から魏志倭人伝に伝えられる女王墓であったと考えられています。糸島出身で発掘責任者の原田大六(はらだだいろく)は、弥生時代と古墳時代を画期する重要な遺構と位置づけ

と命名しました。
 (写真:平原弥生古墳、伊都国歴史博物館の大鏡レプリカ)


 平原遺跡のさらに興味深い点は、鳥居状の二本の柱穴(はしらあな)太柱(ふとばしら)の中心のラインが墓域中心を通り、東の日向峠(ひなたとうげ)に向かっている点で、大鏡と合わせて、

のこん跡が見られることです。


 これをひとつのモデルと考えると、伊都国・平原遺跡で確立された様式は、ほぼ時をおかず、次に大和平野(古代大和湖畔)の唐古・鍵(からこ・かぎ)(弥生後期、BC200~AD200)の後半の紀元後によく似たスタイルがあらわれることになります。(第37章。ただし唐古・鍵は墳墓ではない祭祀場)

 *****(参考)
 弥生勾玉(硬玉ヒスイ)の出土数・例の分析【京都府埋蔵文化財情報、第46号、近畿地方の弥生勾玉、小山雅人より】から吉備(岡山県沿岸部)、河内も大きな消費地で、紀元後の瀬戸内海には、日本海(伊都-出雲-北陸)並みの交易ルートが確立されていたと考えることができます。
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 そして唐古・鍵の文化は、纏向(まきむく)(弥生晩期~古墳中期、AD200~400)に継承され、纏向はヤマト王権のシンボル・神奈備(かんなび)三輪山(みわやま)三諸山(みもろやま))の麓に位置し、姫巫女・太陽祭祀と関連付けて考えることができます。
(写真:三輪山と纏向・箸墓古墳の日の出。2021年2月下旬。弥生時代と古墳時代のワンショット)


 この流れを整理すると、いわゆる姫巫女(ひめみこ)・太陽祭祀の東遷(とうせん)という史実を想定することができます。(なお東遷イコール東征ではないと考えています)
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