きみが見た未来 1
文字数 5,452文字
「はぁ……」
がらんとしたミーティングルームで、才 はひとり、ため息をつく。
『ショウタロウくんと、リサくんが消えた』
あの日、儀式から目覚めてすぐ目にしたのは、空になった二つのマットだった。エレナによれば才たちが目覚める直前、二人の身体は忽然と消えたのだという。悪夢の中から這いずり出てきたような気分の中、マリーと二人で『ムー』での体験を報告し――気がついた時は医務室のベッドに寝かされていた。能力の使いすぎで限界が訪れ、意識を失ってしまったのだ。
それから遠子 の薬で体力はなんとか戻ったものの予知能力の調子は戻らず、祥太郎 たちのことはおろか、身近なことですら上手く『視え』ずにいる。
「なんだこれ? 数が合わねぇ。またやり直しかー」
マスターからはしばらく休むことも提案されたが、少しでも仕事をしていたほうが気が紛れるからと職場には来たものの、集中力が続かず雑務でさえままならない。才はPCを脇に押しやり、テーブルの上に突っ伏すようにして窓の外を見る。そこにはまばゆいほどの青空が広がっていた。
――『それ』が『視え』はじめたのは、果たしていつからだっただろう。
今回はゼロの予知をもとにしたプロジェクトだったから、才は積極的に大局を『視よう』とはしていなかった。ただ、現場に出ればこちらの仕事だ。特に美世 の夢を介して『ムー』へと行ってからは、自らが判断していくほかなかった。
予知を映し出す、才の中のたくさんの『スクリーン』。その一端に黒く映った禍々しい未来を一瞬『視た』だけで、絶対にたどってはいけないルートだということを理解した。だから避けるために、あらゆるルートを検討した。
祥太郎に告げる道も、才が阻止する道も、仲間の助けを借りて回避する道も――シミュレーションを繰り返し、『スクリーン』の範囲を拡げても拡げても、次々と同じ結末に塗りつぶされていく。唯一残されたのは、曖昧にする道。その中で精一杯、意思を示そうとあがいた結果がこれだ。
「はぁ……」
何度ついたかわからないため息。それに被さるようにドアをノックする音がした。
「どうぞ」
入ってきたのはマリーだ。手にはトレイを抱えている。
「お疲れ様。紅茶でもいかが?」
「ああ、サンキュ。ちょうど喉乾いてたんだ」
「わたしが用意したから、味の保証はできないけれど」
「遠子さんも忙しいのか? そういや、今日は見かけてないな」
「わたしも会ってないの。食堂でもらってきても良かったんだけど、たまには自分で淹れたら……少しは、気晴らしになるかなって」
思わずマリーを見ると、彼女は悲しげに微笑んだ。才も自虐的に笑う。辛いのが自分だけであるはずがない。
「やっぱり、トーコみたいに上手に淹れられないわ」
「そうか? 十分ウマいと思うけどな」
それからしばらく無言の時が流れる。時折、ドアの外を通り過ぎる話し声が聞こえた。
「……それで、親父さんたちとは、ちゃんと話せたのか?」
「まだ、あれ以来会うことが出来てないの。ママもだと思う。『ゲート』が不安定な状態が続いてて」
「ああそっか。そうだよな」
『大干渉 』は回避出来たものの、無理矢理にこじ開ける形となった『ゲート』は中々定着せず、マスターを始めとした能力者が張り付いた状態で調整を繰り返していた。周辺のエネルギーも突然荒れることもあるため、マリーも結界でのサポートを行っている。
「情けないけれど、あまり集中できなくて。休憩してきなさいってママにこっちまで飛ばされちゃった」
「まー、俺も似たようなもんだしな」
「今、どこにいるのかしら。あの二人なら、きっと大丈夫だと思うの。……才、何か『視え』たりしてない?」
「……ごめん。なんも『視え』ねぇんだ。それに二人が異世界に行きっぱなしなら、俺の力の範囲外だしな」
「サイが謝ることじゃないわ。こちらに帰ってくる予兆がなければ、引っかからないってことよね……」
「ああ」
あとから聞いた氷雨 の見解は、ムーで『ほんとう』になった祥太郎と理沙 が、『ほんとうの、ほんもの』になってしまった――儀式で行われたこととは逆に、体のほうが魂に吸い寄せられるようにして一体化してしまったのではないか、とのことだった。
あれから数日。二人の捜索は進められているものの、いまだ手がかりすらつかめずにいる。地球でもムーでもない場所であったとしても、人の暮らせるような異世界に飛ばされたならばまだ救いがあるが、それすらも全くわからないのだ。
「俺なりに、祥太郎の危機を何とか避けようと思ったんだ。けど、理沙ちゃんまで巻き込んじまうなんて……」
「ちょっと待って」
重い沈黙に耐えきれず、こぼれた才の言葉をマリーがさえぎった。
「サイが、わかっていたのはショータローのことだけなの? リサのことは予想外だったってこと?」
才がうなずくと、マリーは首を傾げる。
「それなら、少し未来が変わったってことでしょう?」
「そりゃそうかもしんねーけど、俺が余計なことしたせいで、被害が広がっちまったんだと思うし……」
「本当にそうかしら? リサはきっと、サイの様子が変だったことに気づいたんだわ。だから、リサの思う手を打った。考えてもみて。ショータローは才能を一気に開花させて、さらにママという先生から手ほどきまで受けた転移能力者なのよ? そしてリサは、『気』のスペシャリストなの。一人のときよりも、よっぽど状況を切り開く力は強くなると思わない?」
「そう言われりゃ、そうだが……」
「サイは言ってたでしょ? これは『運命』との駆け引きみたいなものだって。今の状況はより悪くなったんじゃなく、『運命』の裏をかけた結果だとしたら?」
そう言われると、説得力がある。あれだけ繰り返し祥太郎が吸い込まれるイメージは『視え』たのに、理沙が全く出てこなかったのも不自然だ。今のところゼロや他の予知能力者たちも、二人の行く先を補足できてはいない。それは『未来が確定していない』ということでもある。
「そうか――そうだな。きっとまだ、道はあるよな!」
才はテーブルをどん、と力強く叩く。
「ありがとな! マリーちゃん。よっしゃ、元気出てきた! まずは俺も、もう一度『ゲート』のとこまで行ってみねぇと」
「わたしも行くわ」
二人は早速部屋を出て、モニタールーム方面へと歩き出す。マスターを始め、主要なメンバーが後処理に駆り出されているため、アパート内はいつもよりもあわただしい雰囲気だ。見慣れないスタッフの姿もちらほらあった。
「えっと……どっちだっけか?」
「こっちよ」
廊下が分かれたところで立ち止まった才をマリーは追い越し、そのまま進む。『ゲート』がある神社までは距離があるため、転移能力者がいなくとも行き来できるよう、『モニタールーム』近くの空き部屋に、転送用の装置が設置されていた。
「きゃっ」
急いで角を曲がったところで、人にぶつかってしまう。少しよろけたマリーを、大きな手が支える。
「失礼」
「いえ、こちらこそ不注意でごめんなさい」
その思いがけない相手に、マリーは目を丸くした。
「三剣 大臣! どうなさったんですか? ――まさか『ゲート』で何か問題でも?」
「いや、心配には及ばない。少し様子を見に来ただけだ」
彼はそう言って、ぼんやりと立っている孫に目を向ける。
「もう体調は良いのか」
「ああ、まあ……」
「そうか」
曖昧な返事をし、身構えた彼の横を源二 は足早に通り過ぎていく。
「あまり無理はするな」
去り際にぼそっとつぶやかれた言葉。小言の一つくらい覚悟していた才は、呆然とその後姿を見送った。
「……何なんだよ急に」
「きっと、サイが心配で様子を見に来たのよ」
「は? あのジジイに限ってそんなわけ――」
「わたしもね、ママにすごく心配されたの」
再び歩き出したマリーの後を、才も追う。
「そりゃ、マリーちゃんたちは仲いいからさぁ」
「そうね。でも、壁はあったのだと思う。それに気づいたのは、もう二度と会えないかもしれないって思ったときだった。今回だって、今までの仕事と同じように夢中でこなしただけだけれど、やっぱりとんでもないことだったんだなって、帰ってきてようやく実感したわ」
「まぁ、そうだな……」
「わたし、リサとショータローが帰ってきたら、もっと仲良くなれるんじゃないかって思うの。――ううん、そうなりたい」
マリーは少し声を震わせながらも、前を見たままで喋り続ける。目元を拭うような仕草に気づいたが、才はそれに触れず、努めて明るい声を出す。
「ああ、だから、あいつらのことも絶対助け出さなきゃな!」
「ええ。絶対」
やがて、目的の部屋へとたどり着いた。スタッフからセキュリティチェックを受け、ドアの形をした転送装置をくぐり抜けると、神社の近くへと転移する。階段をのぼった先にある結界の中は、以前ほどではないものの時折荒れ狂うような風が吹き、状況が落ち着いていないことを示していた。
マリーの張った小さな結界に守られながら進むと、やがて不思議な光が目に飛び込んでくる。輝く荘厳な扉。――『ゲート』だった。それは中庭の小屋の前に出現しており、近くに設営されたテントの中で、マスターやエレナがモニターを前に話し合いをしている。
「マリーちゃん、お早いおかえりやね。才ちゃんも、もう調子戻ったん?」
テントから少し離れた場所にパイプ椅子を置き、座ってお茶を飲んでいた友里亜 が声をかけてくる。
「まだ予知は難しいけど、まぁ気持ち的には前向けたんで」
「わたしも、気を引き締めて頑張るわ」
「それは何より、やね。うちは『ゲート』に関しては専門外やけど、調整に難航しとるようやから助かる、思うわ。……そういや、さっき源ちゃんが来てな。すぐ帰りはったけど、こっち来るとき会わへんかった?」
「ああ……見かけたような、見かけないような」
とぼける才に、彼女はくすりと笑う。
「どうやら会えたみたいやね。二人とも、もうちょっと素直になったほうがええと思うよ」
「は? な、何の話だか」
「ユリアは、大臣と一緒に行かなくていいの?」
「こっちの件をもう少し手伝っとけ、て。ひーちゃんも別の仕事で帰ってもうたし、うちにできることはないかもしれへんけど」
それから二人は、テントの方まで歩く。こちらに気づいたエレナが、微笑みを浮かべた。流石に疲れは隠せない表情だ。
「おや、マリー。もう休憩はいいのかな?」
「ユリアにも『お早いおかえりやね』って言われたわ。サイと少し話しをして、決意を新たにしたから大丈夫」
「それは実に頼もしい。サイ君も大丈夫そうだね」
「そう言われると自信ねーけど……予知以外でなんとか頑張ろうかと」
「ならば才くん、私が『ゲート』の調整をしている最中、モニターをチェックしてくれないかな?」
「了解っす、マスター」
「わたしは結界の方を手伝います」
マリーはマスターとともに『ゲート』の近くへと向かう。才はモニターの前に置かれた椅子へと腰掛けた。画面の中には『ゲート』が3D化された映像が映し出されている。
「サイ君、ここを見てくれるかい?」
エレナが画面上の一点を指差す。大半は実際の『ゲート』と同じような見た目となっているが、そこだけ裂け目のように細長く、黒色になっていた。
「なるほど、ここが定着してないっつーところか」
「その通り。何度も調整を行うんだが、剥がれるかのように、またこういった状態になってしまうんだ」
「向こう側は? ――でもこれだと危なっかしくて『ゲート』は使えねーか」
「そうだね。ただ世界同士がつながったお陰で、直接の転移は可能となった。私が少し確認してきた限りでは、あちらの方が状況としては落ち着いているね。ひとまず『ゲート』は隠匿済みだ」
「じゃあ、こっち側だけが上手くくっついてねーみたいな感じなんかな? いや、でも待てよ――?」
「才くん、もう体調は大丈夫なの?」
突然背後から名を呼ばれる。振り返ると、遠子が立っていた。隣には棒人間 もいる。
「ああ、遠子さん。おかげさまで、なんとか」
「ししょー! なんとか元気だっピ? 良かったっピ!」
「おう、お前もサンキュな」
「ししょーがスナオだっピー! やっぱ元気じゃないっピー!?」
「うるせーよ!」
「いたっ! ししょーはすぐ暴力にうったえるっピ! ――でも元気になったっピ! 良かったッピ!」
小躍りする棒人間をしばらく眺めていた才の視線が、ふと遠子の肩に行く。先ほどから目には入っていたのだが、聞くタイミングをすっかり逃していた。
「ところで遠子さん、その変なカエルは何だ? またぬいぐるみか?」
彼女の両肩にはそれぞれ一匹ずつ、カエルが腰掛けている。片方は胸元が大きくあいたタイトな黒のドレスを身にまとっていて、もう一方はストライプのジャケットにスラックス、ハットという出で立ちだ。
「誰が変なカエルよ! 失礼しちゃうわ」
遠子が答えるよりも早く、ドレスを着た方のカエルがやけに長いまつげをばさばさと揺らしながら怒り出す。するともう一方のカエルがうんうんとうなずいた。
「ほんとにね。この美しさが理解できないなんて。才くんにはがっかりだよ」
「は? お前みてーなカエルに、がっかり才くんなんて言われる筋合いは――」
それ以上の言葉が出なくなる。助けを求めるように遠子へと目を向けると、彼女は微笑んでうなずいた。
「気づいたみたいね。レーナさんと、ジュノさんよ」
紹介された二匹は、遠子の肩の上に腰をかけたまま、優雅にお辞儀をしてみせた。
がらんとしたミーティングルームで、
『ショウタロウくんと、リサくんが消えた』
あの日、儀式から目覚めてすぐ目にしたのは、空になった二つのマットだった。エレナによれば才たちが目覚める直前、二人の身体は忽然と消えたのだという。悪夢の中から這いずり出てきたような気分の中、マリーと二人で『ムー』での体験を報告し――気がついた時は医務室のベッドに寝かされていた。能力の使いすぎで限界が訪れ、意識を失ってしまったのだ。
それから
「なんだこれ? 数が合わねぇ。またやり直しかー」
マスターからはしばらく休むことも提案されたが、少しでも仕事をしていたほうが気が紛れるからと職場には来たものの、集中力が続かず雑務でさえままならない。才はPCを脇に押しやり、テーブルの上に突っ伏すようにして窓の外を見る。そこにはまばゆいほどの青空が広がっていた。
――『それ』が『視え』はじめたのは、果たしていつからだっただろう。
今回はゼロの予知をもとにしたプロジェクトだったから、才は積極的に大局を『視よう』とはしていなかった。ただ、現場に出ればこちらの仕事だ。特に
予知を映し出す、才の中のたくさんの『スクリーン』。その一端に黒く映った禍々しい未来を一瞬『視た』だけで、絶対にたどってはいけないルートだということを理解した。だから避けるために、あらゆるルートを検討した。
祥太郎に告げる道も、才が阻止する道も、仲間の助けを借りて回避する道も――シミュレーションを繰り返し、『スクリーン』の範囲を拡げても拡げても、次々と同じ結末に塗りつぶされていく。唯一残されたのは、曖昧にする道。その中で精一杯、意思を示そうとあがいた結果がこれだ。
「はぁ……」
何度ついたかわからないため息。それに被さるようにドアをノックする音がした。
「どうぞ」
入ってきたのはマリーだ。手にはトレイを抱えている。
「お疲れ様。紅茶でもいかが?」
「ああ、サンキュ。ちょうど喉乾いてたんだ」
「わたしが用意したから、味の保証はできないけれど」
「遠子さんも忙しいのか? そういや、今日は見かけてないな」
「わたしも会ってないの。食堂でもらってきても良かったんだけど、たまには自分で淹れたら……少しは、気晴らしになるかなって」
思わずマリーを見ると、彼女は悲しげに微笑んだ。才も自虐的に笑う。辛いのが自分だけであるはずがない。
「やっぱり、トーコみたいに上手に淹れられないわ」
「そうか? 十分ウマいと思うけどな」
それからしばらく無言の時が流れる。時折、ドアの外を通り過ぎる話し声が聞こえた。
「……それで、親父さんたちとは、ちゃんと話せたのか?」
「まだ、あれ以来会うことが出来てないの。ママもだと思う。『ゲート』が不安定な状態が続いてて」
「ああそっか。そうだよな」
『
「情けないけれど、あまり集中できなくて。休憩してきなさいってママにこっちまで飛ばされちゃった」
「まー、俺も似たようなもんだしな」
「今、どこにいるのかしら。あの二人なら、きっと大丈夫だと思うの。……才、何か『視え』たりしてない?」
「……ごめん。なんも『視え』ねぇんだ。それに二人が異世界に行きっぱなしなら、俺の力の範囲外だしな」
「サイが謝ることじゃないわ。こちらに帰ってくる予兆がなければ、引っかからないってことよね……」
「ああ」
あとから聞いた
あれから数日。二人の捜索は進められているものの、いまだ手がかりすらつかめずにいる。地球でもムーでもない場所であったとしても、人の暮らせるような異世界に飛ばされたならばまだ救いがあるが、それすらも全くわからないのだ。
「俺なりに、祥太郎の危機を何とか避けようと思ったんだ。けど、理沙ちゃんまで巻き込んじまうなんて……」
「ちょっと待って」
重い沈黙に耐えきれず、こぼれた才の言葉をマリーがさえぎった。
「サイが、わかっていたのはショータローのことだけなの? リサのことは予想外だったってこと?」
才がうなずくと、マリーは首を傾げる。
「それなら、少し未来が変わったってことでしょう?」
「そりゃそうかもしんねーけど、俺が余計なことしたせいで、被害が広がっちまったんだと思うし……」
「本当にそうかしら? リサはきっと、サイの様子が変だったことに気づいたんだわ。だから、リサの思う手を打った。考えてもみて。ショータローは才能を一気に開花させて、さらにママという先生から手ほどきまで受けた転移能力者なのよ? そしてリサは、『気』のスペシャリストなの。一人のときよりも、よっぽど状況を切り開く力は強くなると思わない?」
「そう言われりゃ、そうだが……」
「サイは言ってたでしょ? これは『運命』との駆け引きみたいなものだって。今の状況はより悪くなったんじゃなく、『運命』の裏をかけた結果だとしたら?」
そう言われると、説得力がある。あれだけ繰り返し祥太郎が吸い込まれるイメージは『視え』たのに、理沙が全く出てこなかったのも不自然だ。今のところゼロや他の予知能力者たちも、二人の行く先を補足できてはいない。それは『未来が確定していない』ということでもある。
「そうか――そうだな。きっとまだ、道はあるよな!」
才はテーブルをどん、と力強く叩く。
「ありがとな! マリーちゃん。よっしゃ、元気出てきた! まずは俺も、もう一度『ゲート』のとこまで行ってみねぇと」
「わたしも行くわ」
二人は早速部屋を出て、モニタールーム方面へと歩き出す。マスターを始め、主要なメンバーが後処理に駆り出されているため、アパート内はいつもよりもあわただしい雰囲気だ。見慣れないスタッフの姿もちらほらあった。
「えっと……どっちだっけか?」
「こっちよ」
廊下が分かれたところで立ち止まった才をマリーは追い越し、そのまま進む。『ゲート』がある神社までは距離があるため、転移能力者がいなくとも行き来できるよう、『モニタールーム』近くの空き部屋に、転送用の装置が設置されていた。
「きゃっ」
急いで角を曲がったところで、人にぶつかってしまう。少しよろけたマリーを、大きな手が支える。
「失礼」
「いえ、こちらこそ不注意でごめんなさい」
その思いがけない相手に、マリーは目を丸くした。
「
「いや、心配には及ばない。少し様子を見に来ただけだ」
彼はそう言って、ぼんやりと立っている孫に目を向ける。
「もう体調は良いのか」
「ああ、まあ……」
「そうか」
曖昧な返事をし、身構えた彼の横を
「あまり無理はするな」
去り際にぼそっとつぶやかれた言葉。小言の一つくらい覚悟していた才は、呆然とその後姿を見送った。
「……何なんだよ急に」
「きっと、サイが心配で様子を見に来たのよ」
「は? あのジジイに限ってそんなわけ――」
「わたしもね、ママにすごく心配されたの」
再び歩き出したマリーの後を、才も追う。
「そりゃ、マリーちゃんたちは仲いいからさぁ」
「そうね。でも、壁はあったのだと思う。それに気づいたのは、もう二度と会えないかもしれないって思ったときだった。今回だって、今までの仕事と同じように夢中でこなしただけだけれど、やっぱりとんでもないことだったんだなって、帰ってきてようやく実感したわ」
「まぁ、そうだな……」
「わたし、リサとショータローが帰ってきたら、もっと仲良くなれるんじゃないかって思うの。――ううん、そうなりたい」
マリーは少し声を震わせながらも、前を見たままで喋り続ける。目元を拭うような仕草に気づいたが、才はそれに触れず、努めて明るい声を出す。
「ああ、だから、あいつらのことも絶対助け出さなきゃな!」
「ええ。絶対」
やがて、目的の部屋へとたどり着いた。スタッフからセキュリティチェックを受け、ドアの形をした転送装置をくぐり抜けると、神社の近くへと転移する。階段をのぼった先にある結界の中は、以前ほどではないものの時折荒れ狂うような風が吹き、状況が落ち着いていないことを示していた。
マリーの張った小さな結界に守られながら進むと、やがて不思議な光が目に飛び込んでくる。輝く荘厳な扉。――『ゲート』だった。それは中庭の小屋の前に出現しており、近くに設営されたテントの中で、マスターやエレナがモニターを前に話し合いをしている。
「マリーちゃん、お早いおかえりやね。才ちゃんも、もう調子戻ったん?」
テントから少し離れた場所にパイプ椅子を置き、座ってお茶を飲んでいた
「まだ予知は難しいけど、まぁ気持ち的には前向けたんで」
「わたしも、気を引き締めて頑張るわ」
「それは何より、やね。うちは『ゲート』に関しては専門外やけど、調整に難航しとるようやから助かる、思うわ。……そういや、さっき源ちゃんが来てな。すぐ帰りはったけど、こっち来るとき会わへんかった?」
「ああ……見かけたような、見かけないような」
とぼける才に、彼女はくすりと笑う。
「どうやら会えたみたいやね。二人とも、もうちょっと素直になったほうがええと思うよ」
「は? な、何の話だか」
「ユリアは、大臣と一緒に行かなくていいの?」
「こっちの件をもう少し手伝っとけ、て。ひーちゃんも別の仕事で帰ってもうたし、うちにできることはないかもしれへんけど」
それから二人は、テントの方まで歩く。こちらに気づいたエレナが、微笑みを浮かべた。流石に疲れは隠せない表情だ。
「おや、マリー。もう休憩はいいのかな?」
「ユリアにも『お早いおかえりやね』って言われたわ。サイと少し話しをして、決意を新たにしたから大丈夫」
「それは実に頼もしい。サイ君も大丈夫そうだね」
「そう言われると自信ねーけど……予知以外でなんとか頑張ろうかと」
「ならば才くん、私が『ゲート』の調整をしている最中、モニターをチェックしてくれないかな?」
「了解っす、マスター」
「わたしは結界の方を手伝います」
マリーはマスターとともに『ゲート』の近くへと向かう。才はモニターの前に置かれた椅子へと腰掛けた。画面の中には『ゲート』が3D化された映像が映し出されている。
「サイ君、ここを見てくれるかい?」
エレナが画面上の一点を指差す。大半は実際の『ゲート』と同じような見た目となっているが、そこだけ裂け目のように細長く、黒色になっていた。
「なるほど、ここが定着してないっつーところか」
「その通り。何度も調整を行うんだが、剥がれるかのように、またこういった状態になってしまうんだ」
「向こう側は? ――でもこれだと危なっかしくて『ゲート』は使えねーか」
「そうだね。ただ世界同士がつながったお陰で、直接の転移は可能となった。私が少し確認してきた限りでは、あちらの方が状況としては落ち着いているね。ひとまず『ゲート』は隠匿済みだ」
「じゃあ、こっち側だけが上手くくっついてねーみたいな感じなんかな? いや、でも待てよ――?」
「才くん、もう体調は大丈夫なの?」
突然背後から名を呼ばれる。振り返ると、遠子が立っていた。隣には
「ああ、遠子さん。おかげさまで、なんとか」
「ししょー! なんとか元気だっピ? 良かったっピ!」
「おう、お前もサンキュな」
「ししょーがスナオだっピー! やっぱ元気じゃないっピー!?」
「うるせーよ!」
「いたっ! ししょーはすぐ暴力にうったえるっピ! ――でも元気になったっピ! 良かったッピ!」
小躍りする棒人間をしばらく眺めていた才の視線が、ふと遠子の肩に行く。先ほどから目には入っていたのだが、聞くタイミングをすっかり逃していた。
「ところで遠子さん、その変なカエルは何だ? またぬいぐるみか?」
彼女の両肩にはそれぞれ一匹ずつ、カエルが腰掛けている。片方は胸元が大きくあいたタイトな黒のドレスを身にまとっていて、もう一方はストライプのジャケットにスラックス、ハットという出で立ちだ。
「誰が変なカエルよ! 失礼しちゃうわ」
遠子が答えるよりも早く、ドレスを着た方のカエルがやけに長いまつげをばさばさと揺らしながら怒り出す。するともう一方のカエルがうんうんとうなずいた。
「ほんとにね。この美しさが理解できないなんて。才くんにはがっかりだよ」
「は? お前みてーなカエルに、がっかり才くんなんて言われる筋合いは――」
それ以上の言葉が出なくなる。助けを求めるように遠子へと目を向けると、彼女は微笑んでうなずいた。
「気づいたみたいね。レーナさんと、ジュノさんよ」
紹介された二匹は、遠子の肩の上に腰をかけたまま、優雅にお辞儀をしてみせた。