師匠と弟子 1

文字数 4,284文字

 開いた目には、いつも通りの木の天井。
 理沙(りさ)は何度か深呼吸をすると、静かに体を起こし、大きく伸びをした。
 まずはカーテンを開け、顔を洗い、水分補給。いつものルーティーンだった。まだ5時になったばかりだが、夏の空はもう明るい。
 涼しいうちにとせわしなく鳴くセミをあざ笑うかのように、今日も暑くなることを予想させる日差し。青い空には白い雲がぽっかりと浮かび――と、そこで彼女の思考が止まる。

「……?」

 雲が、動いていた。雲が動くのはおかしくはないが、明らかにおかしい動きで揺れている。
 目を()らすと、正体は白い鳥だった。それが、すごい勢いで飛んでいる。――どうやら、こっちに向かって。

「あれって――」

 思わず口に出した時には、その鳥の姿は目前へと迫っていた。

 ◇

「結局、どうなったんだろうなぁ」

 祥太郎(しょうたろう)がぽつりと言うと、本を読んでいたマリーが顔をあげた。

「さぁ……特に騒がれているということはない感じもするけれど。今のところは」
「ま、何かありゃ言ってくるだろ」

 (さい)は、PCのモニターから目を離さないままで言う。先ほどから何か作業をしているようだった。

「昨日の件は、解決したよ。ひとまずは、だけどね」

 ドアを開けて入ってきたのは、マスター。その言葉には、さすがに才も反応を見せる。

「マジで? 犯人も見つかったってことっすか?」
「まあ、そんなところだ。またタイミングを見て話すよ」

 曖昧(あいまい)な返事ではあるが、今は突っ込んで聞かない方が良いということは皆、理解できた。
 アパートの復旧もほぼ終わり、スタッフもそれぞれの持ち場へと戻っている。このミーティングルームの中にも、日常の雰囲気が帰って来ていた。
 本来なら、遠子(とおこ)がお茶を振るまってくれたところだろうが、今は、各自が食堂から持ってきたドリンクが置かれている。
 そして、足りない要素はもう一人。

「そういえば、理沙君はいないのだね」
「そうなんですよ。もう昼近いのに、理沙ちゃんが来ないのって珍しいですよね」

 マスターの視線につられ、祥太郎も何気なく部屋の中を見た。
 普段なら理沙は早朝に起きてトレーニングをし、朝食をとるとまずはミーティングルームに顔を出す。特に仕事がなければ別の場所に行くことはあっても、挨拶(あいさつ)にすら来ないというのは珍しかった。
 マリーはスマホの画面を確認し、小さく首をかしげる。

「送ったメッセージも確認してないみたいだし、わたし、様子を見に行ってこようかしら」
「でもさ、理沙ちゃんだって、そういう時もあんじゃねーの? 昨日も大変だったしさ。急な用事でもあんのかもしんねーし」
「それは、そうだけど……」
「まー、そこらへんゆるいじゃん? この仕事。祥太郎なんて寝坊ばっかだからな」
「おい! 僕だってそんな――まあ、そういう時もそれなりにあるかもしれないけど……」
「おや、(うわさ)をすれば、かな」

 その時、ドアの前で人が立ち止まる気配がした。しかし、何かをためらっているのか、中々入ってこようとはしない。
 マリーが様子を見に行こうと立ち上がりかけた時、ようやくガチャリ、と扉が開く。

「すみません。あのぅ……」

 その隙間(すきま)からは、青ざめた理沙の顔が、ゆっくりと出てきた。

「どうしたのリサ!? 体調でも悪いの?」

 マリーを筆頭(ひっとう)に、皆から心配の目を向けられ、彼女は申し訳なさそうに手を振る。

「ううん、違うよ、そんなんじゃなくて、あたしは全然大丈夫なんだけど……ちょっと、皆さんにご相談したいことが」
「相談か、了解した。このままというのも何だし、とりあえず中に入ったらどうだろう?」

 マスターが(うなが)しても、何故かドアに挟まったような状態のまま、動こうとしない。

「いえ……なるべくなら、このままご相談できたらいいなって思ったりなんかして」
「ちょっとリサ、本当に大丈夫なの?」
「テメエいいかげんにしろよコノヤロウ!」

 そこで聞こえてきた言葉に皆、一瞬耳を疑った。
 だが、もちろん理沙が発したものではない。

「おい、誰だそこにいんの?」
「いえいえ才さん、お気になさらず……」
「いやいや、気になるっつーの!」

 言って才が思い切りドアを引くと、前のめりになった理沙に続き、白い物体が部屋へと入り込んでくる。
 それは、一羽の白い鳥だった。

「サギ?」

 長いくちばしに、すらりとした黒い脚。才の発した言葉に、サギは口をかぱっと開く。

「サギじゃワリィかよ、こちとらシロってナメェがあんだ。チャラ男のクセにケンカ売ってんのか?」

 そこからだみ声で繰り出される悪言(あくげん)に皆、一瞬、思考が停止した。

「シロちゃんちょっと黙ろうか。あたしが皆さんと話すから、ね?」
「ああ? オレにダマレって? リサ、テメェもズイブンとエラクなったもんだよなァ?」

 理沙があわててなだめるが、シロは態度を改めようとはしない。

「何なんだよ、この口の悪いサギは?」
「ウルセェぞチャラ男、そのカミのイロ、カッコいいと思ってんのか!? にあってねーぞバーカ!」
「何だとこの――」
「はっ、しけた部屋だぜ! ったく。ロクなヤツがイネェ。チャラ男と、若作りジジイと、ドレスのマセガキと、ジミ男――」

 しかし禁句を口にしたことにより、祥太郎に問答無用でどこかへと飛ばされる。
 部屋は急に静かになった。

「すみません……シロちゃんが迷惑かけちゃって」

 ペコペコと頭を下げる理沙に、一同は顔を見合わせる。

「リサ、あの鳥は一体何なの?」
「何で出合い頭にジミ――あんなことを言われなきゃいけないんだ」
「本当にごめんなさい! シロちゃん、根は悪い子じゃないんですけど……」
「いや、理沙ちゃんのせいじゃないし、そんなに謝らなくても」
「……俺の髪の色、そんなに似合わねーかな?」
「リサが相談したいって言ってたのは、あの鳥のこと?」
「ううん、シロちゃんのことじゃなくて……」
「俺の髪の色」
「『風変わりな水槽(ストレンジ・アクアリウム)』!」

 マリーの結界により才は静かになったが、理沙はそれでも、何かを言い出しづらそうにしている。

「シロ君は、もしかすると、雨稜(うりょう)さんの?」

 マスターの言葉に、彼女はゆっくりと頷いた。

「はい、師匠の使役獣(しえきじゅう)です。あたしにメッセージを伝えに来てくれて。ご相談したかったのは、師匠のことなんです」

 そこまで話してまた、視線をさまよわせる。皆が黙って続きを待ってくれていることで決心がついたのか、一度呼吸をしてから、はっきりと言葉を発した。

「実は、師匠が、このアパートに来たいって」
「えっ――え?」
「ん?」
「…………」
「ふむ」

 言葉は違えど、微妙な反応を返す一同。

「あ――えっと、来たいっていうのは、住みたいとかじゃなくて、訪問したいってことです。この前アパートに被害が出たことをどこかで知ったみたいで、様子を見に来たいって」
「待ってリサ。それだけ?」
「えっ、うん」

 どうも話がかみ合わない。マスターは少し考え、彼女に(たず)ねてみた。

「私としても一度お会いしてみたかったし、大歓迎だよ。何か、問題でもあるのだろうか」
「問題……というほどのことはないんですけど、あの、いきなりだとビックリしちゃうかなーとか。あたしも久々に会うってこともありますし。それでその、一応皆さんにもお話ししとかなきゃって。――あっ、あたし、シロちゃんを探しに行ってきますね!」

 それからまた、そわそわとし出し、急いで部屋を出て行ってしまう。

「一体、何なのかしら」

 その姿が見えなくなると、マリーがぽつりと言った。

「僕、あんな挙動不審(きょどうふしん)な理沙ちゃん、初めて見たよ」
「絶叫ヨガ以来じゃないだろうか」
「……マスター、意外と根に持つタイプなんですね」

 祥太郎のツッコミは、聞こえないふりをされる。

「マスターも、リサのお師匠とは面識がないのですね」
「ああ、そうなんだよ。理沙君がここへ来た時に、手紙は頂いたのだが。普段は(いおり)からほとんど出ず、外界とのかかわりもあまりないようだと、理沙君も言っていた」
「引きこもりなのかー」
「まあ、高名な能力者にも、そういうタイプはよくいるね。……ところでマリー君、そろそろ才君の結界を解いてあげてくれないか」

 頭の周囲に色鮮やかな泡を飛ばしまくっている才を見かね、マスターはため息をついた。マリーはうなずくと、取り出した扇を一振りする。

「あーっ! ようやく声が出せる! 息が出来る!」
「別に、呼吸は止まってないはずだけれど」
「気分の問題なの! つーか、気軽にポンポン俺に術かけるのやめてくれよ! ――それより、ウリョウだっけ? 理沙ちゃんの師匠、怪しくね? なんか理沙ちゃんもひどい目に()わされたとか、そんなんじゃねーのかな?」

 早口でまくし立てる才に気圧(けお)されつつも、マリーは首をひねった。

「どうかしら。たまーにリサからお師匠の話が出るんだけれど、そんなにひどい人って印象はないのよね」
「手紙も簡潔ではあったが、理沙君を思いやる気持ちは伝わって来たよ。彼女の技術を見ても、丁寧に教えていたことが(うかが)える」
「じゃあ何で、あんな変な態度なんだよ。ぜってーおかしいだろ」
「それは、わたしもそう思うけれど……」

 理沙の様子が変なのは確かだ。才の言葉に強く反論できるほどの根拠もない。
 マリーが助けを求めるように視線を向けると、マスターは腕を組み、口を開いた。

雨稜(うりょう)さんは人付き合いが得意ではないようだし、そういったことを理沙君は心配しているのかもしれないね」
「さっき、いきなりだとビックリしちゃうとか言ってたし、そんなとこなのかなぁ。……でも、理沙ちゃんの師匠って、どんな感じの人なんだろう」
「そりゃ偏屈(へんくつ)じじいだろ、やっぱ。仙人っぽい感じの」
「女の人かも知れないわよ? 意外と若かったりするのかも」

 祥太郎の言葉を皮切りに、今度は理沙の師匠への興味が、皆の中へと(ふく)れ上がっていく。
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