騎士と姫君 3
文字数 3,592文字
荒い息が二つ、流れる曲の合間に混じる。
「はぁっ、はぁっ……こっち!」
少年が指差した方向に、少女は黙って従った。
少年とて道を知っているわけではない。少女に比べて幼く、背も小さかったが、それでも見知らぬ町で彼女を導こうと必死だった。
彼の丈に合わない黒い服も、その手に引かれる淡い水色のドレスもあちこちが汚れ、破けている。二人とも町の様相 を不気味に思う余裕はなく、ただ逃げなければという思いのみに突き動かされていた。
「あっ」
少女の疲れた足が段差に引っかかる。そのまま硬い地面へと転び、手と膝を打った。
「姫様!」
戻ってきた少年に、うなだれたままの頭が振られる。その表情は長い栗色の髪にさえぎられて見えない。
「もういいのです、ガルデ」
「なにがいいんだよ!」
ガルデと呼ばれた少年は、急いで彼女を助け起こした。
「貴方がわたくしと逃げる理由など、何もないでしょう?」
「そんなことないって、何回も言ってるじゃないか!」
「……もう疲れましたの。わたくしを置いて貴方だけお逃げなさい」
「そんなことできない! そもそもおいらたちのせいで、姫様がこんな目にあってるんだから!」
姫と呼ばれた少女は、もう一度ゆっくりと首を横に振る。
「貴方たちのせいではありません。それに貴方は、こうしてわたくしを守ろうとしてくれた。――もういいの。お逃げ」
「姫様!」
「ありがたいお言葉、素直に受ければ良いのではないか?」
二人だけだった空間。 唐突 に、低い声が割り込んできた。
あわてて振り向けば、そこにはいつの間に現れたのか、黒服の男がいた。
「我らは姫さえお迎えできればそれで良い。裏切り者の小僧 など要りはせぬ」
男はフードに半分隠された顔に笑みを浮かべ、ゆっくりこちらへと向かってくる。
「姫様、早く!」
ガルデは姫の腕を強く引く。彼女もされるがまま立ち上がり、よろけながらも走り出した。
「無駄なことを」
男は小さく言って笑い、フードをさらに深く被る。
その姿は虚空 へと溶けるようにして消えた。
◇
コントロールルーム。
そこでは、壁一面に張りめぐらされたモニターに無人の街が映しだされていた。
「カメラはどうだ!?」
「今頑張ってフル稼働させてます!」
「3丁目2番地で奇声が聞こえたとの報告!」
「そこならザラさんたちでしょ? 他にないの?」
「今のところは……」
数名のスタッフが 忙 しなく動いている中、ドアが開く音がする。新たに入ってきた二人を見て、マスターが微笑んだ。
「もう動いて大丈夫なのかね?」
「ええ、無理をしなければ。エフィーゼさん、ここに座って」
遠子 は女――エフィーゼを近くにあった椅子へと誘導していく。
鎧を外し、ふわりとしたワンピースを着ていると体格のよさが 際立 つが、細い腕に支えられて歩く足取りはまだ覚束 ない。
彼女は周囲の光景へぼんやりと視線を向けたまま、ゆっくりと腰を下ろした。
「これは……」
「町の様子を映し出したものね」
「町……の」
驚きを隠せない様子の彼女に、マスターは優しく声をかけた。
「エフィーゼさんと言ったね。まだ体調が戻らないところすまないが、貴女に何が起こったのか、覚えている範囲で教えてはくれないだろうか」
エフィーゼは何度かまばたきを繰り返した後、我に返ったように言った。
「……ああ、申し訳ない。先ほど遠子殿から、こちらが我々の住む世界とは全く違う場所なのだということを聞きました」
それから自分の中でも確かめるように何度か視線を彷徨 わせた後、再び口を開く。
「本日――ではないのかもしれない。ともかく我が国オウンガイアの姫君、リドレーフェ様のご生誕十六年のパーティーが行なわれた日のことです。近隣諸国からも多くの来賓 が訪れ、城内だけではなく、街も大変な賑わいとなりました。……しかし、そもそもの懸念 があったのです」
「懸念とは?」
「オウンガイアでは、王位継承者が齢 十六となった時に、『神器 』という聖なる印 が神殿より下されます。それはまだ形なき盾であり矛。主が真に信頼する者と出会え、聖なる騎士と認めた時、神器は騎士専用の武具となります」
「つまり、騎士になる人に渡る前だと、悪用されちゃう可能性もあるってことかしら?」
遠子の言葉にエフィーゼは首を振る。
「姫様が儀を行なわなければ神器が発動することはありません。しかし、イディスという国にはきな臭い噂が流れており……我々も警戒し、パーティーを内々で行なうことも検討されたのですが、伝統のある催しであったために、結局従来どおりとなりました」
しばらくは和やかにパーティーが進んだと、彼女は語る。
「イディスからの祝いでは、子供たちが登場しました。少年少女が花束や菓子を持ち、顔を輝かせながら祝辞 を述べる姿に姫様も心を動かされていたようであったし、我々も何かあったとてすぐに取り押さえられると思っていました。――油断していたとしか言いようがない!」
祝辞の最中、突然一人の少女が抱えていた 花篭 の中から煙が噴き出した。それを機に、あちらこちらから煙が発生し、視界は真っ白に閉ざされた。
エフィーゼはすぐに姫のもとへと走り、抱え込むようにしてその場を離れたのだが、混乱に陥った城内を移動するのは容易 いことではなかった。
「あと少しで脱出が出来るというところで、姫様とはぐれてしまったのです。急いで戻りましたが、銃撃を受けて意識が途切れてしまい」
彼女はそこで 喉 をつまらせる。
「私がこちらへと来たのなら、姫様もこちらへと来ているはずです。――いや、必ずいらしている」
最後の言葉は、確証があるというよりも、まるで自分に言い聞かせてるかのようだった。
「私も、その可能性は十分にあると思う」
マスターの言葉に、エフィーゼははっと顔を上げる。
「貴女が通ってきた『ゲート』――こちらとあちらの世界をつなぐ扉のようなものだね、その規模から考えると、貴女一人だけが来たとは考えづらい」
その表情が明るくなっていくのを見て、マスターは頭を振った。
「だが安心は出来ない。貴女たちの敵もこちらへとやって来ている可能性は高い」
「マスター、不審な人物を補足!」
その時、映像をチェックしていたスタッフの一人が声を上げた。
「――が、消えました!」
慌ててモニターに近づくと、そこには白い塀しか映ってはいない。
「録画したものを出してくれ」
「はい」
映像を少し戻すと、そこには黒服の男が一瞬だけ映し出されていた。目深 に被ったフードでさらに顔を覆うようにすると、その姿が 掻 き消える。
「どうだね?」
エフィーゼはしばらく画面をにらみつけ、唇を噛んだ。
「……イディスの者と思われます」
「恐らく、あの服で姿を消し、混乱に乗じたのだろうね」
「何やら怪しげな武具を作っているとの噂でしたが、あのような代物まで――!」
「けれど、これでお姫様もこっちに来てる可能性は高まったかもね。――でも、助けに行くのはなしよ。ここがどこだかすらわかってないでしょう?」
いても立ってもいられず動こうとしたエフィーゼの腕を、遠子がしっかりと掴む。それを振り解こうにも力が出ない。体の痛みはほとんどなくなったが、戦いなど出来る状態ではないのは、本人が一番よくわかっていた。
ぎりぎりと歯を噛み締 める彼女に、マスターは穏やかに言う。
「貴女の気持ちは理解するが、今はどうか、私たちを信頼して欲しい。――才 君、『ゲート』の解析はどうかね?」
『コンダクター』に語りかけると、少しの間をおいて返事が返ってくる。
『大体オーケー。後はマサさんにお任せでも』
「では、こちらを手伝って欲しい」
『へーい』
それから隣の部屋でがちゃがちゃと音がし、扉を開けて才が現れた。
「あっ、おねーさん、元気になって何より。その服、遠子さんの? 似合うじゃん!」
その顔のほぼ半分を覆っている黒いゴーグルを見てエフィーゼはぎょっとし、自らの服装に改めて気づいて顔を赤らめる。上手く状況についていけないのは、体だけではなかった。
マスターは遠子の手を借り、再び椅子に座る彼女を見てから、コントロールルームにいるスタッフへと視線を向ける。
「では、そろそろ作戦開始といこうか」
「はぁっ、はぁっ……こっち!」
少年が指差した方向に、少女は黙って従った。
少年とて道を知っているわけではない。少女に比べて幼く、背も小さかったが、それでも見知らぬ町で彼女を導こうと必死だった。
彼の丈に合わない黒い服も、その手に引かれる淡い水色のドレスもあちこちが汚れ、破けている。二人とも町の
「あっ」
少女の疲れた足が段差に引っかかる。そのまま硬い地面へと転び、手と膝を打った。
「姫様!」
戻ってきた少年に、うなだれたままの頭が振られる。その表情は長い栗色の髪にさえぎられて見えない。
「もういいのです、ガルデ」
「なにがいいんだよ!」
ガルデと呼ばれた少年は、急いで彼女を助け起こした。
「貴方がわたくしと逃げる理由など、何もないでしょう?」
「そんなことないって、何回も言ってるじゃないか!」
「……もう疲れましたの。わたくしを置いて貴方だけお逃げなさい」
「そんなことできない! そもそもおいらたちのせいで、姫様がこんな目にあってるんだから!」
姫と呼ばれた少女は、もう一度ゆっくりと首を横に振る。
「貴方たちのせいではありません。それに貴方は、こうしてわたくしを守ろうとしてくれた。――もういいの。お逃げ」
「姫様!」
「ありがたいお言葉、素直に受ければ良いのではないか?」
二人だけだった空間。
あわてて振り向けば、そこにはいつの間に現れたのか、黒服の男がいた。
「我らは姫さえお迎えできればそれで良い。裏切り者の
男はフードに半分隠された顔に笑みを浮かべ、ゆっくりこちらへと向かってくる。
「姫様、早く!」
ガルデは姫の腕を強く引く。彼女もされるがまま立ち上がり、よろけながらも走り出した。
「無駄なことを」
男は小さく言って笑い、フードをさらに深く被る。
その姿は
◇
コントロールルーム。
そこでは、壁一面に張りめぐらされたモニターに無人の街が映しだされていた。
「カメラはどうだ!?」
「今頑張ってフル稼働させてます!」
「3丁目2番地で奇声が聞こえたとの報告!」
「そこならザラさんたちでしょ? 他にないの?」
「今のところは……」
数名のスタッフが
「もう動いて大丈夫なのかね?」
「ええ、無理をしなければ。エフィーゼさん、ここに座って」
鎧を外し、ふわりとしたワンピースを着ていると体格のよさが
彼女は周囲の光景へぼんやりと視線を向けたまま、ゆっくりと腰を下ろした。
「これは……」
「町の様子を映し出したものね」
「町……の」
驚きを隠せない様子の彼女に、マスターは優しく声をかけた。
「エフィーゼさんと言ったね。まだ体調が戻らないところすまないが、貴女に何が起こったのか、覚えている範囲で教えてはくれないだろうか」
エフィーゼは何度かまばたきを繰り返した後、我に返ったように言った。
「……ああ、申し訳ない。先ほど遠子殿から、こちらが我々の住む世界とは全く違う場所なのだということを聞きました」
それから自分の中でも確かめるように何度か視線を
「本日――ではないのかもしれない。ともかく我が国オウンガイアの姫君、リドレーフェ様のご生誕十六年のパーティーが行なわれた日のことです。近隣諸国からも多くの
「懸念とは?」
「オウンガイアでは、王位継承者が
「つまり、騎士になる人に渡る前だと、悪用されちゃう可能性もあるってことかしら?」
遠子の言葉にエフィーゼは首を振る。
「姫様が儀を行なわなければ神器が発動することはありません。しかし、イディスという国にはきな臭い噂が流れており……我々も警戒し、パーティーを内々で行なうことも検討されたのですが、伝統のある催しであったために、結局従来どおりとなりました」
しばらくは和やかにパーティーが進んだと、彼女は語る。
「イディスからの祝いでは、子供たちが登場しました。少年少女が花束や菓子を持ち、顔を輝かせながら
祝辞の最中、突然一人の少女が抱えていた
エフィーゼはすぐに姫のもとへと走り、抱え込むようにしてその場を離れたのだが、混乱に陥った城内を移動するのは
「あと少しで脱出が出来るというところで、姫様とはぐれてしまったのです。急いで戻りましたが、銃撃を受けて意識が途切れてしまい」
彼女はそこで
「私がこちらへと来たのなら、姫様もこちらへと来ているはずです。――いや、必ずいらしている」
最後の言葉は、確証があるというよりも、まるで自分に言い聞かせてるかのようだった。
「私も、その可能性は十分にあると思う」
マスターの言葉に、エフィーゼははっと顔を上げる。
「貴女が通ってきた『ゲート』――こちらとあちらの世界をつなぐ扉のようなものだね、その規模から考えると、貴女一人だけが来たとは考えづらい」
その表情が明るくなっていくのを見て、マスターは頭を振った。
「だが安心は出来ない。貴女たちの敵もこちらへとやって来ている可能性は高い」
「マスター、不審な人物を補足!」
その時、映像をチェックしていたスタッフの一人が声を上げた。
「――が、消えました!」
慌ててモニターに近づくと、そこには白い塀しか映ってはいない。
「録画したものを出してくれ」
「はい」
映像を少し戻すと、そこには黒服の男が一瞬だけ映し出されていた。
「どうだね?」
エフィーゼはしばらく画面をにらみつけ、唇を噛んだ。
「……イディスの者と思われます」
「恐らく、あの服で姿を消し、混乱に乗じたのだろうね」
「何やら怪しげな武具を作っているとの噂でしたが、あのような代物まで――!」
「けれど、これでお姫様もこっちに来てる可能性は高まったかもね。――でも、助けに行くのはなしよ。ここがどこだかすらわかってないでしょう?」
いても立ってもいられず動こうとしたエフィーゼの腕を、遠子がしっかりと掴む。それを振り解こうにも力が出ない。体の痛みはほとんどなくなったが、戦いなど出来る状態ではないのは、本人が一番よくわかっていた。
ぎりぎりと歯を噛み
「貴女の気持ちは理解するが、今はどうか、私たちを信頼して欲しい。――
『コンダクター』に語りかけると、少しの間をおいて返事が返ってくる。
『大体オーケー。後はマサさんにお任せでも』
「では、こちらを手伝って欲しい」
『へーい』
それから隣の部屋でがちゃがちゃと音がし、扉を開けて才が現れた。
「あっ、おねーさん、元気になって何より。その服、遠子さんの? 似合うじゃん!」
その顔のほぼ半分を覆っている黒いゴーグルを見てエフィーゼはぎょっとし、自らの服装に改めて気づいて顔を赤らめる。上手く状況についていけないのは、体だけではなかった。
マスターは遠子の手を借り、再び椅子に座る彼女を見てから、コントロールルームにいるスタッフへと視線を向ける。
「では、そろそろ作戦開始といこうか」