悪夢を招く者 3
文字数 3,325文字
朝だ――と思った。
祥太郎 はゆっくりと目を開ける。カーテン越しに明るい光が部屋へと差し込み、顔の上でゆらゆらと揺れていた。
枕元に置いたスマホを手に取ってみると、『7:00』と表示されている。アラームが鳴る前に目が覚めるのは珍しいことだった。その代わりという訳ではないが、どこからか音楽が聞こえてくる。知っている曲ではなかったが、優しく、心地よい曲だ。
もしかしたら寝覚めがいいのは、この音楽のせいもあるのかもしれない。
そんなことを思いながら、顔を洗い、服を着替えて外へと出る。
「おはよう、祥太郎君。今日は早いんだね」
「ああキリさん、おはようございます。僕だって、たまには早起きしますよ」
「それは失礼」
キリはくすりと笑ってから、思い出したように軽く手をたたく。
「そうだ。もう聞いてると思うけど、今日は大規模なメンテナンスがあるんだ。管理棟 の方には近づかないこと」
「仕事は?」
「今のところは特に。『ゲート』の状態も問題ない。何かあったら連絡するから、自由にしてくれてていいよ」
「了解です。……じゃあ、外でもぶらぶらしてこようかな」
「天気もいいしね。でも暑くなってきたから気をつけて。メンテナンスの都合上、管轄区内 でよろしく」
「それも了解です」
手をひらひらとさせながら去っていくキリに軽く応え、祥太郎はひとまず食堂へと向かうことにした。すれ違う人の数がいつもより多いのも、メンテナンスとやらに関係しているのだろう。
「祥太郎さん、おはようございます!」
「おーっす」
「おはよう。今日は早いのね」
食堂に入ってすぐ、近くのテーブルから声がかかった。いつものメンバーだ。
「皆おはよう。いつも僕が寝坊してるみたいな言い方はやめてくれよ、マリー」
「別にそんなこと言ってないじゃない。わたしより早く起きてくるのを見かけないだけよ」
そう言われると反論できない。かわりに別の言葉を返すことにした。
「皆がそろってるのって珍しくないか?」
「今日は自然と目が覚めちまって。ここ来たら二人がいてさ」
才 が肩をすくめ、カップに入ったスープをちびちびと飲む。特に定められた出勤時間がある訳ではないので、食事の時間もバラバラになることの方が普段は多い。
「あたしは大体この時間ですかね。軽くトレーニングしてから朝食とるのが日課なんです」
「リサってそういうところストイックなのに、部屋にはお菓子がたくさん積まれてるのよね」
「えへへ、お菓子は別腹って言うでしょ?」
「それは少し違うような……?」
「そういえば、遠子 さんは?」
注文すると即出てきたカレーを席へと運びながら、祥太郎が尋ねる。三人は顔を見合わせ、首を傾げた。
「あたしは会ってないですね」
「俺も見てないな」
「わたしも、見てないと思うけど……」
マリーはそう言うと、少し考え込む。
「マリーちゃん、どうかした?」
「いえ、なにか引っかかった感じがしたんだけど……気のせいみたい」
「疲れてるのかもね? ほら、ここのところ、お仕事大変だったし」
「そうそう、大変だったよなー……イロイロとさ」
「確かにね、色々あったから」
祥太郎も同意し、カレーを口へと運んだ。いつもながらほっとする味だ。
「そういえばさ、今日メンテナンスとかで、仕事ないらしいじゃん? せっかくなら皆でどっか行かない?」
「おー、今日は中々の積極太郎じゃーん?」
「何だよそれ! ……今まで忙しかったのもあってさ、あんまり『アパート』の管轄区内も知らないし、いい機会かと思って」
「確かに、よく行く場所って限られちゃいますもんね。そういうのって楽しいかも」
「わたしも、特に異存はないわ」
「――おはよう。楽しそうね。何かの相談?」
横から入ってきた声に、皆が顔を向ける。そこにはレーナが立っていた。
「おー、レーナさん今日も美人だな! みんなで外に行く相談してるトコ。レーナさんもどう?」
「お誘いとお褒めの言葉までいただいて光栄だわ。でも生憎 だけど、私もメンテナンスの担当だから。――ところで、今日は遠子ちゃんはいないの?」
「あー、さっきもそういう話ししてたんだけど、まだ誰も会ってなくて。用あるなら俺が連絡取ろっか?」
「ううん、用ってほどじゃないの。みんなと一緒にいることが多いから、珍しいなって」
「遠子さんっていつも神出鬼没 だからなぁ」
祥太郎のつぶやきを聞いて笑ったレーナの目が、ふとマリーへと向かった。
「マリーちゃん、なにか悩み事?」
「えっ? あ、別に。悩み事って訳じゃないんだけれど……何か引っかかるの。大事なことを忘れてる気がして」
「ああ……そういうことってあるわよね」
レーナは再び表情をゆるめてうなずく。
「早く思い出せるといいわね。――それじゃ、私は仕事があるから。また会いましょう」
「ありがとう。またね」
「レーナさん、今度デートしようぜ!」
才の言葉に笑顔で手を振り、レーナは食堂を後にする。
「よしっ」
小さくガッツポーズをする才を生ぬるい目で見守りつつ、食器を片づけて食堂から出た。廊下ですれ違う見知った姿と 時折 あいさつを交わしながら、祥太郎は疑問を口にする。
「メンテナンスって何をするのかな?」
「さぁ? 俺はなんも聞いてねーなぁ」
「才も知らないのか」
「俺も『アパート』の仕組みの全部に関わってる訳じゃねーしな」
「こういう仕事だから、そういうものなのよ」
どこか得意気に言葉を挟み込むマリーの背後で、理沙が笑みを浮かべる。祥太郎も「そんなもんか」と言って話を終わりにした。確かにいちいち気にしていたら、この仕事を続けていくのは難しいかもしれない。
足早に行き来する人々。その多くは管理棟の方へと向かっていた。先ほど釘を刺されたが、どちみち用がない限りはあまり向かう機会もない。
やがて、エントランスが見えてきた。潜り抜けて外へと出ると、まだ午前中だが日差しはすでに強く、あたりには熱気が漂っている。
「……もう歩く気が失せてきたわ」
「マリーちゃん早いよ!? お天気よくて気持ちいいじゃない!」
「俺もめんどくさくなってきた」
「才さんまで!? 祥太郎さん――って祥太郎さんもすっごくやる気ない顔してるし!」
「理沙 ちゃんは元気だなぁ……そうだ、じゃあこうしよう。オススメの場所教えてよ。僕が飛ばすから」
その提案を受け、皆の顔に一瞬にして生気が戻る。理沙も渋々といったふうにうなずいた。
「じゃあとりあえず、『つるみや』で涼もうぜ。そろそろカキ氷始まるし」
「それならあたしも、水まんじゅう食べたいです!」
「賛成。夏はシトラスのゼリーが美味しいの」
「みんな『つるみや』推しかよ! 僕も行ったことある場所だよ!」
そう言いながら祥太郎は、静かな店の片隅に置いてある縁台を思い出す。確かに何度か行ったことはあるが、店内で食べるというのは未経験だ。考えている間にも、太陽はじりじりと熱さを増していく。
「まあとりあえずいいや。決定で」
そうして意識を集中すれば景色はぐにゃりと歪み、瞬きする間に、目の前には古びた店の入口がたたずむ。ささくれが目立つ引き戸のガラスには、カキ氷のポスターや菓子の宣伝、手書きのお知らせなどが張られ、暗い店内をより見えにくくしていた。
「ここっていつも、やってるのかやってないのか分かりづらいよなぁ」
そんなことをぼやきながら、祥太郎は引き戸に手をかける。がたがたと抵抗があったが、しばらくすると諦めたかのように扉は開く。
「こんにちはー」
理沙の良く通る声が店内に響いた。すると店の奥で音がし、少ししてから人影が現れる。
「いらっしゃい」
その姿に一瞬、皆の動きが止まる。
「ふふ、驚いた? 店番してるの」
そこには、いつものようにおっとりと微笑む、遠子がいた。
枕元に置いたスマホを手に取ってみると、『7:00』と表示されている。アラームが鳴る前に目が覚めるのは珍しいことだった。その代わりという訳ではないが、どこからか音楽が聞こえてくる。知っている曲ではなかったが、優しく、心地よい曲だ。
もしかしたら寝覚めがいいのは、この音楽のせいもあるのかもしれない。
そんなことを思いながら、顔を洗い、服を着替えて外へと出る。
「おはよう、祥太郎君。今日は早いんだね」
「ああキリさん、おはようございます。僕だって、たまには早起きしますよ」
「それは失礼」
キリはくすりと笑ってから、思い出したように軽く手をたたく。
「そうだ。もう聞いてると思うけど、今日は大規模なメンテナンスがあるんだ。
「仕事は?」
「今のところは特に。『ゲート』の状態も問題ない。何かあったら連絡するから、自由にしてくれてていいよ」
「了解です。……じゃあ、外でもぶらぶらしてこようかな」
「天気もいいしね。でも暑くなってきたから気をつけて。メンテナンスの都合上、
「それも了解です」
手をひらひらとさせながら去っていくキリに軽く応え、祥太郎はひとまず食堂へと向かうことにした。すれ違う人の数がいつもより多いのも、メンテナンスとやらに関係しているのだろう。
「祥太郎さん、おはようございます!」
「おーっす」
「おはよう。今日は早いのね」
食堂に入ってすぐ、近くのテーブルから声がかかった。いつものメンバーだ。
「皆おはよう。いつも僕が寝坊してるみたいな言い方はやめてくれよ、マリー」
「別にそんなこと言ってないじゃない。わたしより早く起きてくるのを見かけないだけよ」
そう言われると反論できない。かわりに別の言葉を返すことにした。
「皆がそろってるのって珍しくないか?」
「今日は自然と目が覚めちまって。ここ来たら二人がいてさ」
「あたしは大体この時間ですかね。軽くトレーニングしてから朝食とるのが日課なんです」
「リサってそういうところストイックなのに、部屋にはお菓子がたくさん積まれてるのよね」
「えへへ、お菓子は別腹って言うでしょ?」
「それは少し違うような……?」
「そういえば、
注文すると即出てきたカレーを席へと運びながら、祥太郎が尋ねる。三人は顔を見合わせ、首を傾げた。
「あたしは会ってないですね」
「俺も見てないな」
「わたしも、見てないと思うけど……」
マリーはそう言うと、少し考え込む。
「マリーちゃん、どうかした?」
「いえ、なにか引っかかった感じがしたんだけど……気のせいみたい」
「疲れてるのかもね? ほら、ここのところ、お仕事大変だったし」
「そうそう、大変だったよなー……イロイロとさ」
「確かにね、色々あったから」
祥太郎も同意し、カレーを口へと運んだ。いつもながらほっとする味だ。
「そういえばさ、今日メンテナンスとかで、仕事ないらしいじゃん? せっかくなら皆でどっか行かない?」
「おー、今日は中々の積極太郎じゃーん?」
「何だよそれ! ……今まで忙しかったのもあってさ、あんまり『アパート』の管轄区内も知らないし、いい機会かと思って」
「確かに、よく行く場所って限られちゃいますもんね。そういうのって楽しいかも」
「わたしも、特に異存はないわ」
「――おはよう。楽しそうね。何かの相談?」
横から入ってきた声に、皆が顔を向ける。そこにはレーナが立っていた。
「おー、レーナさん今日も美人だな! みんなで外に行く相談してるトコ。レーナさんもどう?」
「お誘いとお褒めの言葉までいただいて光栄だわ。でも
「あー、さっきもそういう話ししてたんだけど、まだ誰も会ってなくて。用あるなら俺が連絡取ろっか?」
「ううん、用ってほどじゃないの。みんなと一緒にいることが多いから、珍しいなって」
「遠子さんっていつも
祥太郎のつぶやきを聞いて笑ったレーナの目が、ふとマリーへと向かった。
「マリーちゃん、なにか悩み事?」
「えっ? あ、別に。悩み事って訳じゃないんだけれど……何か引っかかるの。大事なことを忘れてる気がして」
「ああ……そういうことってあるわよね」
レーナは再び表情をゆるめてうなずく。
「早く思い出せるといいわね。――それじゃ、私は仕事があるから。また会いましょう」
「ありがとう。またね」
「レーナさん、今度デートしようぜ!」
才の言葉に笑顔で手を振り、レーナは食堂を後にする。
「よしっ」
小さくガッツポーズをする才を生ぬるい目で見守りつつ、食器を片づけて食堂から出た。廊下ですれ違う見知った姿と
「メンテナンスって何をするのかな?」
「さぁ? 俺はなんも聞いてねーなぁ」
「才も知らないのか」
「俺も『アパート』の仕組みの全部に関わってる訳じゃねーしな」
「こういう仕事だから、そういうものなのよ」
どこか得意気に言葉を挟み込むマリーの背後で、理沙が笑みを浮かべる。祥太郎も「そんなもんか」と言って話を終わりにした。確かにいちいち気にしていたら、この仕事を続けていくのは難しいかもしれない。
足早に行き来する人々。その多くは管理棟の方へと向かっていた。先ほど釘を刺されたが、どちみち用がない限りはあまり向かう機会もない。
やがて、エントランスが見えてきた。潜り抜けて外へと出ると、まだ午前中だが日差しはすでに強く、あたりには熱気が漂っている。
「……もう歩く気が失せてきたわ」
「マリーちゃん早いよ!? お天気よくて気持ちいいじゃない!」
「俺もめんどくさくなってきた」
「才さんまで!? 祥太郎さん――って祥太郎さんもすっごくやる気ない顔してるし!」
「
その提案を受け、皆の顔に一瞬にして生気が戻る。理沙も渋々といったふうにうなずいた。
「じゃあとりあえず、『つるみや』で涼もうぜ。そろそろカキ氷始まるし」
「それならあたしも、水まんじゅう食べたいです!」
「賛成。夏はシトラスのゼリーが美味しいの」
「みんな『つるみや』推しかよ! 僕も行ったことある場所だよ!」
そう言いながら祥太郎は、静かな店の片隅に置いてある縁台を思い出す。確かに何度か行ったことはあるが、店内で食べるというのは未経験だ。考えている間にも、太陽はじりじりと熱さを増していく。
「まあとりあえずいいや。決定で」
そうして意識を集中すれば景色はぐにゃりと歪み、瞬きする間に、目の前には古びた店の入口がたたずむ。ささくれが目立つ引き戸のガラスには、カキ氷のポスターや菓子の宣伝、手書きのお知らせなどが張られ、暗い店内をより見えにくくしていた。
「ここっていつも、やってるのかやってないのか分かりづらいよなぁ」
そんなことをぼやきながら、祥太郎は引き戸に手をかける。がたがたと抵抗があったが、しばらくすると諦めたかのように扉は開く。
「こんにちはー」
理沙の良く通る声が店内に響いた。すると店の奥で音がし、少ししてから人影が現れる。
「いらっしゃい」
その姿に一瞬、皆の動きが止まる。
「ふふ、驚いた? 店番してるの」
そこには、いつものようにおっとりと微笑む、遠子がいた。