嵐のあとに 1

文字数 2,911文字

 がらんとしたホールには、ちらほらと人の姿が見える。祥太郎(しょうたろう)はまだ眠気の取れない頭を振り、大きく伸びをした。

「あら、おはよう。よく眠れた?」

 すると、近くにいた女性が笑顔で声をかけてくる。何度か挨拶を交わしたくらいしか接点はなかったが、見覚えのあるスタッフだった。

「はい、おかげさまで……」

 窓から差し込む光の色は、明らかに朝のものではない。スマホを確認すると、もう15時を過ぎていた。戦いの後、この多目的ホールに転移したのは覚えている。安全が確保されたことを皆に告げ、少し休憩を勧められ――そのまま力尽きて眠ってしまったらしい。
 昨日のことが急激に思い出され、軽さと重さが交じり合った複雑な気分で酔いそうになる。

「あの……みんなは?」
「アパートの様子を見に行ってる。これから復旧作業もしなきゃいけないからね。祥太郎君はまだ寝ててもいいのよ。頑張ったんだから」

 力強く語られる言葉に全力で甘えたいところだったが、そういう訳にもいかないだろう。自分だけいつまでも寝ていたことが、急に気恥しくなってきた。
 祥太郎はもごもごと礼を言い、自分もひとまずアパートへと向かうことにする。

「あ、すみません」

 アパートの近くへと降り立った途端、人とぶつかりそうになり、慌てて祥太郎は横へと避ける。入口から中を覗けば、皆忙しそうに動き回っていた。
 あれだけのことがあっても気丈に建つアパートの姿には安心感があったが、少し顔を動かせば、崩れた壁や割れた窓、あちこちに散らばる瓦礫が目に入る。今は、最低限の動線のみ確保し、他の作業を優先しているようだった。

「おー、ねぼすけ太郎、起きたか」

 庭の片隅できょろきょろとしていると、背後から声がかかった。誰なのかは振り向かなくても分かる。

「そこは、誰がねぼすけ太郎だよ! ってツッコむトコだろ」
「いや、なんていうか……むしろごめん」

 割と寝坊はよくあることだが、やはり少しばつが悪かった。

「いいんだよ、今朝まで大変だったしな。休みも必要だって」
(さい)……」

 大変だったのは、皆も同じはずだ。それでも先輩としての気づかいを見せる才が、とてもまぶしく見える。

「それに休養して力を蓄えてもらわねーと困るし」
「ん?」
「瓦礫ほとんど手をつけてねーから。お前に除去してもらおうと思って」
「ですよねー」

 感動は即引っ込んだが、仕事があることは、かえってありがたい。
 祥太郎は早速、瓦礫を除去して回ることにした。
 指定された送り先は、テストルーム。イメージもしやすかったし、状況を確認しながら転移させるにも良い場所だ。
 アパートの中は嵐が駆け巡ったかのように荒れてはいたが、やはり場所によっても差はある。目につく大きな障害物はとにかく移動させ、後は気になった部屋を覗いたりしながら、ひたすらウロウロとした。

「ちょっとそこ、すみません」
「はい? ――うわっ、ビックリした」
「すみません……」
「いやいやすげーよ、ありがとう」

 時々、落とし物を拾うかのような気軽さで瓦礫を消し去り、驚かれたりもする。

『祥太郎くんには、他の人が選びたいと思っても選べない道があるってことだから、よく考えたほうがいいわ』

 ふと、ここへ来た頃に言われたことを思い出した。最初は今までに経験したことのない状況に怯んでしまったが、いつの間にかこのアパートでの生活、非日常のような日常にも慣れている。能力もずっと、磨かれているのを自分でも感じていた。

 それは不安の中、何度も背中を押してくれた柔らかな笑顔と、優しくも厳しい言葉があったからこそだと思う。

「あ」

 いつもの習慣か、気がつけば祥太郎は、ミーティングルームの前にたどり着いていた。ドアや床には、掃除した痕跡がある。
 少しためらいがちに扉を開くと、拡がっていく隙間から、床にモップ掛けをする後姿が見えた。

「……理沙ちゃん」
「あっ、祥太郎さん、お疲れ様です! よく眠れました?」
「うん、おかげさまで」
「部屋の中は大丈夫だったんですけど、いつも遠子さん、こうやって掃除してくれてたじゃないですか。遠子さんが帰ってくるまでの間、代わりにやらないとなーって思って!」
「うん。……そうだね」

 いつも明るい彼女だが、それが空回りしてるように感じるのは、気のせいではないだろう。部屋の中に入れば、壁にもたれかかってスマホをいじっている才と、窓際で遠くを見るマリーの姿もある。
 何となく喋りづらい雰囲気の中、祥太郎もソファーへと腰かける。スマホを取り出し、あの日からログインしていないアプリを立ち上げてみた。あれだけ欲しかったユニットにも、特に興味は湧いてこない。

「……全然似てないな」

 小さく呟いたとき、ガチャリ、とドアが開く音がした。


 入ってきたのは、二十代後半くらいだろうか。少し癖のある黒髪を撫でつけた、知的な風貌の男性だった。彼はドアを閉め、迷いなく部屋の奥へと進んで来ると、軽くあたりを見回して言う。

「皆揃っているね。――祥太郎君は、瓦礫の撤去をありがとう。助かったよ」
「え? ……はい。どういたしまして」
「それで――」

 そこで、何かに気づいたかのように口を閉じ、もう一度、皆へと視線を向けた。

「失礼、少しここで待機していて欲しい」

 それから、急いでミーティングルームを出ていく。
 再び閉まるドアをしばらく眺めてから、祥太郎は振り返った。

「今の誰? スタッフの人?」
「は? 俺、知らねーけど。祥太郎の知り合いじゃねーの?」
「何で僕の知り合いがわざわざここに来て、瓦礫の撤去に礼を言うんだよ」
「それもそっか。マリーちゃんは? 知ってる?」
「わたしも見たことない人だったわ。異能省(いのうしょう)の人かしら」
「そうかもなー。こんだけ大ごとになっちまった訳だし」
「でもさー、ここっていつの間にかスタッフ増えてるじゃん」
「増えてないわよ、ショータローが把握してないだけで」
「あの人、どっかで見たことある気がするんだけどなぁ……」

 会話が迷走する中、ぽつりとこぼれた理沙の言葉に注目が集まる。

「リサ、本当? どこで見たの?」
「うーん……どこだったかなぁ。それともあたしの勘違いなのかな。分かるような、分からないような……」
「はっきりしないのねぇ」
「あれじゃね? 芸能人とか。スポーツ選手とか」
「たぶん、そういうのじゃない気がするんですよね。仕事先とか、出かけた時とかなのかも」
「仕事だったら、僕たちも見かけてそうだけどなぁ」

 そうやって皆で頭を悩ませていると突然、外から大きな物音と悲鳴がした。
 何事かと顔を見合わせている間に、扉がガチャンと開く。

「……ああ、大丈夫だから気にしないように」

 外にいた誰かに向かって言いながら部屋へと入ってきたのは、話題の人物だった。
 集まった視線に曖昧な笑みを浮かべる顔は、何故か赤く腫れている。

「すまない。お待たせしたね」
「いえ……何かあったんですか?」

 理沙が尋ねると、彼は「ちょっとね」とだけ言うと、何やら資料らしきものに目を通し始めた。釈然としない空気が流れる中、さらにまたドアが乱暴に開かれる。

「やあ、お揃いだね、諸君」

 続いてやって来たのは、才の祖父――三剣源二(みつるぎげんじ)異種技能大臣だった。
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