帰還 1

文字数 4,178文字

「あの……色々ご心配おかけしました」

 祥太郎(しょうたろう)が『アパート』へと戻ってきたのは、それから一週間ほど経ってからのことだった。

「祥太郎さん、おかえりなさい!」
「おかえり、ショータロー」
「祥太郎くん、おかえりなさい」
「うぇーい、おかえりー」

 ぺこりとお辞儀をした彼を、拍手の音が包み込む。

「……なんで(さい)はそんなに疲れてんの?」
「ったりめーだろ! あの『大干渉(だいかんしょう)』が起こるってんだぞ!? 解析とか解析とか解析とかあんだよ」
「ごめん、僕はそのこと聞いたばかりで、あんまピンとこなくて……」
「うぇーい。マスターもちょっと忙しいから、あとで挨拶に顔出すってさ」
「そういう祥太郎くんこそ、疲れてるんじゃない?」

 ソファーに寝そべる才を横目に、遠子(とおこ)は言う。

「ああ……まぁ」

 ――ガンッ!!!
 曖昧な笑顔を見せた祥太郎の頭に、天井から落ちて来た物体が直撃した。
 それは床の上に落ち、グワングワンと音を立てながら回転して止まる。

(かな)ダライ……ですよね? なんで天井から祥太郎さんの頭に落ちて来たんでしょう?」

 理沙(りさ)の声に応えるかのように、ミーティングルームの扉がノックされた。

「ごきげんよう、諸君」
「ママ!」

 現れたエレナは愛娘に微笑みかけ、周囲にも会釈をする。それから、頭を抱えてうずくまる祥太郎を見た。

「駄目だよショウタロウ君。私が居ないからといって油断をしては」
「くっそー……さすがにこの場ではナシかなって思ってたのに!」
「何を甘いことを言っているんだね。危機はいつどこからやって来るか分からない。おかえりなさいパーティーだからといって、悠長に待ってはくれないのだよ。――では、そこに置いてあるコーヒー缶で転移素振(てんいすぶ)り100回!」
「え、でも――」
「文句言わずにやる!」
「はい、先生……」
「なんなんだよ転移素振りって。つーか何で金ダライ?」
「良い質問だ、サイ君。日本のテレビ番組を参考にしたんだよ。危機感と集中力を養うのにうってつけだと思ってね」
「なんつー昭和感……いてっ!」

 『転移素振り』で狭い範囲を行き来させられていたコーヒー缶が、勢い余って才の顔面に当たる。

「おいふざけんなノーコン太郎!」
「まぁまぁ、彼も今大変なのだから、少しは大目に見てやってくれ」
「ママ。ショータローはもう大丈夫なの?」

 げんなりとした表情で、黙々と素振りを続ける祥太郎を見てマリーが尋ねると、エレナはにっこりと笑った。

「まだ調整は必要だ。だが私がついているし、『アパート』内であれば、多少のことは問題ないだろう」
「そうね。とにかくひとまず安心したわ。一時はどうなることかと思ったけれど」
「祥太郎のことは良かったが、大問題があとに控えてるんだがなー」
「もう……そういうこと言わないで欲しいわ」
「ほーでふよ才さん、今は喜びまひょうよ」
「リサは食べるかしゃべるかどっちかにして」
「理沙ちゃん、紅茶飲む? エレナさんも」
「ふぁーい!」
「私もいただこう。トオコの淹れる紅茶は美味しいからね。恋しく思っていたんだ」

 久々にのんびりと過ごす午後。そこへ軽やかな音が割り込んだ。
 『コンダクター』――マスターからの招集だった。
 
 ◇

「これを見てくれ」

 コントロールルームに皆が到着すると、すぐにマスターは言う。
 示された一つの小ぶりなモニターには地図が表示されていた。何かのキャラのようにも見える赤いマークがゆっくりと移動している。

「出たんか!」
「才さん、何が出たんですか? あのマークは……オバケ?」
「リサ君、当たらずとも遠からずだね。これは私が各地で集めて来た『悪夢を招く者(ファントム・ブリンガー)』のデータを解析し、反映してもらったものなのだよ」
「ママ、つまりこれって――」
「そう。『悪夢を招く者(ファントム・ブリンガー)』が出現したということになる」
「それって大変じゃない!」
「マスター、この色は?」

 場に動揺が広がる中、エレナは静かに問う。

「赤だからレベル1だね。危険度は低い。エレナさんのデータをもとに、7段階に分類した」
「ありがとう。ならば騒ぐほどのものではないね。周囲に実害もほぼないであろうし、放っておいても消えるレベルだ」
「ほんとだ。もう消えちゃいました!」
「じゃあこの前、僕たちが遭遇したのは?」
「レベル5と定義している」

 ふと疑問に思った祥太郎が尋ねると、マスターはモニターを見たままで答えた。

「あれで5って……」

 その時、モニターが明滅しブザーが鳴る。

「あっ、またマークが出たわ! 今度は……オレンジね?」
「レベル2だ。これも大きな問題とはならない。そうだね? エレナさん」
「ああ。ただ、間を置かずに出現しているのは気になるところだ」
「『悪夢を招く者(ファントム・ブリンガー)』ってこんなに出て来てるものなのね。珍しいって聞いてたけど、今までは分からなかっただけなのかしら」
「トオコの言うことも一理あるだろう。だが、やはり発生頻度が高まっていると思われる。調査してこよう」

 エレナがパン、と軽く手を叩くと、その姿が一瞬にして掻き消えた。

「……あら?」

 呆然とたたずんでいたマリーは、しばらくして我に返る。

「ちょっとママ! 何でわたしを置いていくのよ!」

 部屋の中には祥太郎も、理沙も、才の姿もすでにない。

「まぁ……彼女なりの考えがあるんだろう」
「そうそう、きっとマスターの言う通りよ。マリーちゃん、紅茶でも飲む?」
「さっきも飲んだから、もう結構よ!」

 珍しい彼女の大声に、作業中のスタッフ数人が振り返った。
 マリーはあわてて声をおさえつつ、遠子たちに言い放つ。

「とにかく納得いかないわ! わたしも追いかけます」
「マリー君、あの地図をもう一度よく見てくれるかな?」

 マスターに言われ、マリーは目を凝らしてモニターを見る。
 それから、大きなため息をついた。

 ◇

 目に飛び込んできたのは青い色だった。まぶしい太陽が居座る空の青。首をひねれば、陽光を受けてきらめく青。

「……海だ」
「東京湾上空だよ」
「はぁ?」

 つぶやきに答えた声はエレナのもの。祥太郎が驚いてさらに体をねじると、ビルが建ち並ぶ景色が見えた。同様に驚く理沙や、こちらは落ち着いた様子であたりを眺めている才の姿もある。
 皆の体は祥太郎が飛ばした時のように落ちることはなく、空中で安定した状態を保っていた。

「あれ? 遠子さん――は、こういう時いないことも多いけど、マリーは?」
「姫はお城でお留守番だ」
「マリーちゃんが心配だから、連れてこなかったんですか? マリーちゃんは十分強いですし、何も言わずに置いてきたら怒ると思いますけど」
「リサ君は痛いところを突いてくるな。それもないとはいえない。ショウタロウ君も、まだまだ目が離せない状況ではあるからね」
「俺たちは巻き添えになってもいいってのかよ!」
「ちゃんと君たちのことも守るよ。しかし、私が結界術を使うことで姫の術と干渉を起こすことは避けたいという理由もある」

 エレナの返答はどこか歯切れが悪い。その横顔を眺めていた祥太郎は、ある動きに気づいた。

「なんのっ!」

 空中のどこかにか出現し、高速で落ちてくる金ダライ。
 とっさに転移させると、才の顔面に直撃した。

「へぶっ!」
「へぇ、やるじゃないかショウタロウ君」
「そろそろ来ると思ってたんで。そんなに何度も油断は――」

 ガンッ。

「いてて……先生、後頭部狙うのずるいっすよ! 上から落ちてくるのがお約束でしょうが!」
「ふふ、面白いことを言うね。危機にお約束など通用しないのだよ」
「お前らはこんな時に何を遊んでんだ!」
「巻き込まれたサイ君はお気の毒だが、何も遊びでやってる訳じゃないんだ。ショウタロウ君のエネルギーが暴走するのを防ぐためには、定期的に力の向かう先を手助けしてやらないといけないのでね」
「それはいいんですけど、出現したっていうファントムさんはどこですかねー?」

 理沙はそんな中ひとりで、周囲を観察している。

「あれだな」
「エレナさんどこですか?」
「ほら、あの……じゃあ、こうしよう」

 エレナはコートの内ポケットからペンを取り出し、放り投げる。
 それは瞬時に先まで移動し、矢印のように対象を指し示した。

「え? あれですか? ……すっごく薄くないですか? ほんとにオバケみたいですね! あの男の子の時とは大違いです」
「あの時はマジでそこにいるって感じだったもんな。クソ生意気なガキで、ゲームしててさー」

 才も目を細め、同じ方向を見る。離れているのもあるが、後ろの景色が透けてしまって確かに分かりづらい。

「男……かな?」

 祥太郎が言った途端、その人物がこちらを見た。身なりのよい、中年男性のように見える。

「今こっち見たけど、特に僕の言葉に反応したわけではないっぽい?」
「あの時も反応自体は薄かったが、あとで敵認定されたからな……火はちゃんとあちーし燃えるし、ひでー目にあった。ま、今回はレベル低いから問題ねーとは思うけど」
「書庫の本も燃えちゃって、残念でしたね……あ! あのファントムさん、もしかしてさっきより薄くなってます? もう消えちゃう?」

 理沙の言葉どおり、皆が見ている間にも、男の姿はどんどんと薄くなっていく。それからすぐに、見えるのは雲ばかりになった。

「ああ、消えちゃった。レベル2だから、すぐ消えちゃうんですかね」
「……先生?」

 エレナは考え込むように、じっと同じ場所を見続けている。祥太郎が二度目に呼びかけると、我に返って微笑んだ。

「ああ、何でもない。少し……気になることがあってね。それより、周囲への注意を怠らないように」
「――おい! 6時方向だ!」

 才が突然声をあげる。それからすぐだった。皆の体を、馴染んだ感覚が襲う。

「『ゲート』が開くぞ!」
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