きみが見た未来 3

文字数 5,327文字

 ――暗いな。
 目を開いた祥太郎(しょうたろう)がまず思ったのは、それだった。自分が知る夜よりも、なおも深い闇。けれども、そこが暗いと理解できたのは、かすかに周囲が光っているからだった。あの黒い『穴』に吸い込まれた時、理沙(りさ)が『気』を結界のように張り、守ってくれたのだ。
 右手の先に手のひらの感触。はっとしてそちらを見る。理沙はつないだ手の先で眠るように横たわっている。――いや、浮いている。二人とも、儀式の際に着替えさせられた白装束を着ていた。ならば、ここはすでに『ムー』ではないどこかのはずだ。

「……理沙ちゃん」

 呼びかけてみるが、彼女は気づく様子がない。

「理沙ちゃん!」

 今度はより大きな声で。手にも何回か力を込めてみる。だが、動かない。背筋がひやりとした。腕を引くと彼女の体が滑るように近づいてくる。呼吸で身体が上下していることを確認し、ひとまずはホッとした。
 もう一度周囲に目を向けてみる。相変わらず暗くてよく見えず、あいている左手を色んな方向へ伸ばしてみても、どこにも触れることはない。身体の感覚からしても、おそらく浮いた状態でどこかを漂っているのだと思われた。
 しかし、前に進んでいるのか後ろに進んでいるのか、それとも止まっているのか――全くわからない。

「少しずつ……少しずつ……」

 集中を切らさぬよう自分に言い聞かせながら、移動を始める。景色は暗いままで時間の感覚もない。しばらく迷ったが、少し離れた場所に視線を向け、そこへの転移を試みてみる。

「成功、したのか……?」

 転移した時の感触はあったのだが、あまりに周囲の様子が変化しないため自信が持てなかった。先ほどよりも目が慣れてきたからか、暗闇の中にも若干の濃淡が見えてくる。明るさや色彩は全く異なるが、以前無垢(むく)の魔女によって閉じ込められた魂櫂石(こんかいせき)の中に似ている気がした。

「もしかして、『隙間』ってとこなのか?」

 友里亜(ゆりあ)が言っていた、どこでもない場所。引きずり込まれたが最後、出られなくなるという。
 けれども彼女はこうも言った。転移能力者である祥太郎ならば何とかなるかもしれないと。いっそのこと慣れ親しんだ自分の部屋を強く思い浮かべて転移してみようかとも思ったが、それは危険だと直感が告げている。

「落ち着こう……落ち着かないと。こういうピンチは前にもあったんだから」

 理沙はまだ目を覚まさない。吸い込まれてからどれほどの時間が経っているのだろう。もしスマホを持っていたとしてもここでは動かなかっただろうか。そんなことを考えながら、身につけたものを手で探ってみるが、使えそうなものは何もなかった。
 そうして考え始めて、ようやく違和感に気づく。理沙とつないだ手の中だった。彼女の腕を再び引いて手首をつかみ直し、自由になった右手を開いてみると、中指に引っ掛けられた紐にぶら下がる小さな巾着袋があった。鼻先に近づけてみると、かすかに良い香りが漂ってくる。まだ生きているのだという実感が気持ちを奮い立たせた。祥太郎は香袋をぎゅっと強く握る。

「誰かーーーーーーーーっっ!!!!」

 思い切り叫んだ。今は儀式の最中でも、夢の中でもない。けれども試せることはやっておきたかった。理沙も諦めることなく、こうして一緒に来てくれたのだから。

「助けてくださーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!」

 耳を澄ましても何も聞こえない。それでももう一度、息を大きく吸った。

「才! マリー! 遠子さん! 先生! マスターーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 何度も、何度も叫ぶ。
 祥太郎の声は、彼方へと吸い込まれていく。

 ◇

「あら? 今、色が変わったような……?」

 画面をじっと見ていたマリーが声を上げる。もう日は暮れはじめ、西日がテント越しに差し込んできていた。そのせいかとも思ったが、光の糸の色が一瞬変化したように見えたのだ。

「マリーちゃんどこ? どこだ?」

 装置の調整をしていた(さい)が、それを聞きつけあわててやってくる。

「このあたりの色が変わったように見えたの」

 マリーが指さしたところをしばらく見つめていたが、やがて小さくため息をついた。

「西日のせいとかじゃねーのか?」
「そう言われると自信がないけれど……」
「マリーちゃんが糸の色が変わったっつってるが、カエル夫妻の見解はどうよ?」

 モニターを見たまま問いかけても返事がない。視線を動かすと、ジュノもレーナも同じ姿勢のままで固まっていた。

「おい、どうしたんだ!?」
「寝とるみたいやで?」

 友里亜(ゆりあ)に指先で何度かつつかれ、カエルたちははっと顔を上げる。

「ふぉめんふぉめん」
「……ええと、『ごめんごめん』って言ってるわ」
「んなこた言われなくてもわかるわ! なんでこんな時にのんびり寝てんだ!」
「だって、この肉体は寒さに弱いんだもの。どうしても眠くなっちゃうのよ」
「ならもっと厚着してこいよ! なんでそんなうっすいドレスで来るんだ!」
「だって、こっちがこんなに寒いとは思ってなかったし、せっかくならオシャレしたいじゃない?」
「今すぐオシャレな厚着を作れ!」
「だって、動きにく――」
「二人とも落ちついて。そういうことは先に言ってくれれば良かったのに。わたしが結界でなんとかするわ」

 マリーがモニターの前を離れると、代わりに才が席に着く。画面を凝視する彼の肩へと、マスターの手が優しく置かれた。

「才くん、録画を見直してみたらどうかな?」
「そうしたいんすけど、そっち見てる間になんか新しい動きがあったらって思うと」
「それなら私たちに振ってくれてもいいから。新たな機材もエレナさんに取ってきてもらおう」
「必要なものを教えてくれればすぐに持ってくるよ。私達はチームなのだから協力して行こうじゃないか」
「じゃあ……」

 才が必要なものを伝えると、エレナはうなずき、姿を消した。

「気負わなくていいんだよ。二人のことが心配なのは皆一緒だ」
「マスターさんの言うとおりなんだっピ! キカイがなくてもボクなら直接見れるっピ! もっとボクのことも頼って欲しいっピ!」
「そういや――でも、お前に任せるのも不安が増すしなぁ」
「ししょー、ヒドイっピー!」
「それに今はジュノの視界を遮らない方がいいと思うわ。エネルギーの感知も一番正確にできるから」
「むむむっ……レーナの言うことも一理あるっピ。じゃあキカイが来たら一緒に見るっピ!」
「才、これあげる」

 それまで静かにしていたゼロが近寄ってくる。差し出したのはグミだった。才が断る間もなく、どこからか何袋も取り出して押し付けてくる。

「なんだよ突然?」
「あれから食べ物も色々試すようになってさ、最近ハマってるんだ。元気が出るんだよ。自分を追い詰めたところで、予知の力が戻ってくるわけじゃないからね?」
「んなこた……わかってるけどさ」

 仕方なく一粒口に放り込む。酸っぱさに顔をしかめがらも、肩の力が少しだけ抜けるような気がした。

「はい。紅茶も淹れてきたからどうぞ」

 遠子(とおこ)からも気を遣われ、少し申し訳なく思っているとエレナが戻ってくる。

「言われたものを持ってきたよ。これでいいかな?」
「エレナさんサンキュ! よし、見直してみっか」

 早速設置して録画を見直すと、マリーが言っていたように、一瞬糸の色が変わっているように見える部分があった。

「マジだ! ちょっと色が黄色っぽくなったぞ。何回か点滅して消えたな」
「これって、さっきわたしたちが起こされた時よね?」
「ああ」

 横から画面を覗き込んでいたレーナは才に確認したあと、ジュノの方を向く。

「その後は点滅した?」

 ジュノは黙って首を振った。

「してないのね。じゃあこの時だけ反応する要素があったのかしら。一瞬だけ近づいたとか」
「あちらで香袋を強く握り、その香りに反応した……とは考えられないだろうか? 元来そうやって使う予定のものだったからね」

 マスターの言葉に、マリーは手を叩く。

「きっとそれよ! わたしたちは何かあった時にそうやって発信しろと言われていたもの。他に出来ることがなければ、二人が試そうと思ったっておかしくないわ」
「握りながら、叫んだかもしれへんな」

 友里亜がぽつりとこぼすと、視線が彼女に集まった。

「香り――魔力的なこともやけど、あんま拡散性はないんよ。握った本人に作用せなあかんから、そういうふうに作っとる。糸に反応があったくらい近づいたなら、香袋が見つかってないのは違和感あるわ」
「ユリア、つまり『叫ぶ』ということに意味があるのね?」
「そうや。あれは簡単に言うと『寝言をちゃんとする』術なんよ。夢の中で叫んだかて、体が寝てたらよう伝わらんこともあるやろ? せやから『言葉』に作用する」
「なら、二人ともあの中にいて……意識があるってことじゃない!」

 マリーが言葉を選びながら言う。軽々しく無事と言えない状況だということは、皆理解していた。

「そうだね。マリーの言うように意識があり、おそらく助けを求めたのだろう。その後のことは不明だが、体力を温存して脱出の機会をうかがっているとも考えられる。レーナ君、この漂う光の糸があれば、転移をしたとしても位置を見失わないと思うのだが、どうだろうか?」

 エレナの問いに彼女はうなずく。

「ええ。でも危険なことに変わりはないけどね」
「それは百も承知だ。今のうちに出立の準備をしておこう。先ほど反応があった場所を特定するのはお任せしても?」
「もちろん。マリーちゃんの結界のおかげで眠らずに過ごせそうだわ。ドレスに直接施すなんて器用ね」
「わたし、得意分野なの」

 マリーは少し胸を張り、それから母の方を向いた。

「……というわけで、わたしもママについていくから。結界師は居た方がきっとお得よ?」
「俺も行く! 足手まといにはならねぇようにするから!」
「却下だ」

 だが、彼女は即答する。

「正直、私一人のほうが動きやすい。窮地に陥った場合の生還率も高いだろう。それは君たちにもわかるはずだ」
「ママ!」
「だけど……!」

 マリーも才も、彼女を説得できるほどの言葉を持たない。しかし、助け舟は意外なところからやってきた。

「二人を連れてった方がいいかもしれないよ? むしろ中のことは才くんじゃないとわからないかもしれないし、マリーちゃんの結界が思わぬ力を発揮する可能性もある」

 咥えていたコードをレーナに渡したジュノは、大きく伸びをする。

「ジュノ君、それはどういう意味なんだい?」
「この『なり損ないゲート』がどうして出来ちゃったのかってことを考えるとさ。話を聞くに、『大干渉(だいかんしょう)』とやらを回避するため夢の中から異世界に干渉、現地まで渡って実体化してから『ゲート』を無理矢理発生させるとかいう無茶苦茶なことをやった結果だろ?」
「……つまり、『なり損ないゲート』の中が特殊な状態になっていると?」
「それは確かだと思うよ。実はこっそり香袋以外のものも飛ばしてたんだけど、そっちは全然反応がない。才くんとマリーちゃんのことはあくまで、ぼくのカンだけどね」
「それならわたしたちも、行くしかないじゃない!」
「頼む、エレナさん!」

 エレナはしばし思案した。マスターを見て、その後ゼロと視線を交わす。それから長く息を吐き出した。

「……わかった。連れて行こう。だがどんな危険があるかはわからない。私の判断ですぐ送り返す可能性もあるからそのつもりで」

 ◇

 それから数時間後。夜の帳の中、白くきらめく光をまとった『ゲート』を眺めながら転移した先は、さらに濃い闇の中だった。
 三人の周囲はマリーの結界により守られていたが、外側から圧をかけられているかのような重苦しさがある。異様な静けさの中、自分たちの息づかいだけが耳元で鳴るかのように大きく聞こえた。
 エレナは周囲を見回してから指先を鳴らす。結界外で一瞬点った光は、すぐに消え失せた。

「どうやらジュノ君のカンは正しかったらしい。私の結界は全くというわけではないが、上手く発動しないようだ。転移能力にはさほどの問題を感じないが、結界の助力が大きいのかもしれない。マリー、頼りにしているよ」
「任せておいて! 二人とも、わたしの術が間に合わない場合は、アイテムを惜しまず使ってね」
「承知した」
「了解だぜ、マリーちゃん」

 それぞれの体に巻き付けたポーチ、服のポケットや首元にまで、マリーの作成したマジックアイテムが忍ばせてある。以前『アパート』が襲われたことを教訓に、マリーが日頃から少しずつ作っておいたものだった。

「『コンダクター』はやはり繋がらないようだな」

 エレナは手首に装着された機器を見ながら言う。ジュノとレーナが導き出した座標を目指して転移してきたものの、周囲には何の気配もなく、ただ暗闇が広がっているだけだ。香袋の軌跡も、画面で見たときよりかなり薄くなってしまっている。

「才君、なにか『視える』だろうか?」
「ああ、ちょっと妙な感じだが『視える』。――このまま糸をたどるんじゃダメだ。エレナさん、俺の言う通りに転移を繰り返してくれ」
「承知した。必ず二人を救い出し、皆で無事に帰ろう」

 エレナは言って右手を差し出す。三人は拳を突き合わせ、決意をこめた表情でうなずき合った。
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