ふたり 2

文字数 4,072文字

「……え、どういうこと?」

 マリーは視線と指先をあわただしく動かし、それから母を改めて見上げた。

「つまり、わたしの、パパ……は、異世界から来た人ってこと? それで行方不明になったと思ったら、いつの間にか元の世界に戻っていたっていうの?」
「恐らくは、としか言えないのが心苦しいが」
「ちょ、ちょっと待ってね。ええと……ママがそう思うに至ったのは、なぜなの?」
「すまない。こんなことを言い出しておいて申し訳ないのだが、私自身まだ混乱している。――そうだ、紅茶を飲むかい?」
「紅茶?」

 首をかしげる彼女に、エレナは小ぶりの水筒を見せた。

「ここに来る前にトオコに会ってね。もらったんだ」
「……なんなのあの人。全部お見通しみたいなところは腹が立つけれど、紅茶は飲みたいからいただくわ」

 それから二人は少しの間、黙って喉をうるおす。馴染みの味と香りが、たかぶった感情と体温を落ち着かせてくれた。

「実家に帰ってから私は、ハロルドのことを追うのはやめていた。しかしこの仕事に就くと過去の異界関連事件の資料を見る機会が多くあり、当時のことも合間に調べたりするようになったんだ。結局、何も発見できなかったがね」
「やっぱり、異世界関連を疑ってはいたのね」
「本人の意思ではないとしたら、その線が一番濃厚だと思ったからね。ハロルドについては分からなかったが、様々な資料を見ているうちに、些細な違和感とでもいうのかな。少し気になることが出て来た。それを意識するきっかけとなったのは――ヴォルガ・ゼーリッヒだ」
「ヴォルガって――『五賢者』の?」

 世界の再建に大きく貢献した『再世(さいせい)五賢者(ごけんじゃ)』の一人。まだ渾沌とし危険も多かった時代、巨大な(つち)を目にもとまらぬ速さで操り、襲い来る敵をねじ伏せたという。

「そう。彼は世界の混乱が落ち着きを見せ始めた頃、突如として姿を消している。元々落ち着いたら旅に出たいと語っていたようだし、それ自体は不思議なことではないのだろう。だが、世間にはあまり知られていない情報がある。彼は、ある時以前の記憶をなくしていたらしいんだ」
「記憶……」
「いわゆる『神隠し』と呼ばれるような現象は世界各地で見られる。その原因は人の手によるものや事故、『ゲート』の出現や『狭間』から訪れる怪異など様々だが、姿を消した人々の中には、出自が不明で過去の記憶がないというケースもあった。そこで私は一つの仮説を立てた。『ゲート』の助けなしで異世界に渡るのは、人の身には荷が重く、記憶に大きく影響を及ぼすのではないかと」
「つまり……パパも、そういう人の一人だったと?」

 エレナは静かにうなずいた。

「ショウタロウくんたちと東京湾へと調査に行ったあの日、うっすらとだが『ファントム』が現れていた。それを見て驚いたよ。私の知っている姿とは少し変わっていたが――ハロルドだと思った」
「えっ!? でもママは、あっちの世界にも行ってきたわけでしょう?」
「ああ。別の世界で開いた『ゲート』をくぐってね。しかし閉じるまでの時間は一日もなかった。急いで飛び回って、『大干渉(だいかんしょう)』の兆候を確認するので精一杯だったんだ。実際、他人の空似や、私の見間違いである可能性もある。しかし、あのゼロくんの言葉を聞いて、あちらとこちらの世界は、私たちが知るずっと以前から深いつながりを持っていたのかもしれないという気がしてならなくなった」

 彼女は長い息を吐く。マリーの目からは一筋、涙がこぼれた。

「マリー、すまない。こんな話をして困らせてしまって。ゼロくんの言葉だって一つの可能性に過ぎない。きっと――」
「違うわ」

 だがマリーはきっぱりと言い放ち、何度も首を振る。

「確かに驚いたし、頭の中がぐちゃぐちゃよ。でも、ママがこうやってちゃんと話してくれたことが、嬉しいの。……本当に、嬉しい」

 エレナは愛しい娘を思わず抱き寄せる。その温もりが腕を伝い、胸の奥へと火をともしたかのように熱くした。ずっと抑えてきた感情が、ふいにあふれ出てくる。
 けれどもそれは、とても心地よいものだった。
 
 ◇

「早苗さん、カルボナーラ追加でお願いします!」
「ぼくも同じのを!」

 食堂に元気な声が響く。注文した品は、すぐに出て来た。

「すごいね理沙、もう出て来たよ」
「すごいですよねー!」
「あの人も予知能力者なのかな?」
「さぁ……? そういえば早苗さんってどういう人なんですかね?」

 理沙が助けを求めるように仲間を見るが、誰からもはっきりとした答えは返ってこない。

「どういう人か分からない人が料理作ってるの?」
「遠子さんなら知ってるかもしれないですけど。たまにお手伝いしてるみたいなので」
「僕なんか知らないスタッフさんもいっぱいいるし、業界の謎みたいなのによくぶち当たるから、気にしたら負けだと思う」
「そっか、気にしたら負けなのか」

 祥太郎の言葉に説得力を感じたのか、ゼロは一応納得したようだった。
 意識を失ってから一晩。彼はすっかり元気を取り戻していたが、念のため人の少ない時間帯を見計らって食堂へとやって来ていた。

「カルボナーラだっけ? これも美味しいね。どっかで食べたことある気がする」
「お前、食に興味なさすぎだろ……」
「ここの料理は速いだけじゃなく美味しいですよね! ゼロさんのお家の台所見させてもらったら、飲み物はお水しかなかったですけど、食材は色々ありましたよ」
「こいつその食材、適当に鍋に放り込んで食うだけだからな」
「ゼロさんお鍋好きなんですね! 冬とかあったかくて美味しいですよね! あたしも好きです!」
「俺が前に世話になった時もさ、鍋が出て来たんだよ。いわゆる水炊きってヤツな」
「美味しそうじゃない」
「まーそれなりにウマいけど? その時も夏だったんだよ。そんで朝、昼、晩、朝、昼、晩、朝、昼、晩――ずーっと具がちょっと違うだけの鍋が出てくんの! あと他にあるのは携帯食な。マリーちゃん、それどうよ?」
「それはちょっと……」
「俺もそう思ったわけ。で、三日目くらいに我慢の限界がきて、俺が作る! って宣言したんだけどさ、俺もガキだったし料理もほとんどやったことねーからどうしていいか分かんなくて」
「あれは酷かったなぁ。可食部がほとんどなかったもん。危うく火事になりかけたし」

 ゼロが口をもぐもぐとさせながら言葉を挟む。

「それはごめんて。……で、また食事が鍋に戻ってな。ゼロはどうせ今でも一年中鍋なんだろ?」
「そうだよ」
「ええ!? ゼロさん、何か美味しいもの作ろうとか思わないんですか?」
「でも鍋、美味しいよ。きみもさっきそう言ってたじゃないか」
「それはそうですけどー!」
「簡単だし、栄養もとれるし、美味しいし、別に問題ないじゃないか」
「それもそうですけどー!」

 上手く言い返せない理沙に笑って、ゼロはグラスの水を飲みほした。

「だけど、ここの料理はすごく美味しいと思ったから、今後はもうちょっと食事について考えてみようかな」
「そうですそうです、あたしもそれがいいと思います!」
「ま、とにかく元気になって、それだけモリモリ食えるようになって良かったな」
「おかげさまでね。甲冑着たドクターにも診てもらったけど、遠子の薬はすごいね! 頼んだら分けてもらえたんだ。何かあった時に安心だからさ」

 ポケットから取り出された見覚えある紙包みに、皆の笑顔が引きつる。

「どうしたの? 結構もらえたから、みんなにもあげようか?」
「ごちそうさまでした! あたしはトレーニングがあるので、また!」
「わたしもちょっと用事を思い出したわ。じゃあサイ、あとはよろしくね」
「僕も……えっと、ログボをチェックしないとなので」

 あっという間に食堂を出ていく三人を眺め、ゼロは目をぱちぱちとさせた。

「あれれ? そんなに遠慮しなくてもいいのに。才は?」
「あー……俺も大丈夫だ。ほら、俺ら遠子さんと住むとこも職場も一緒なわけで。いつでももらえるからな」
「それもそうか」
「つーかゼロ。遠子さんの薬の味とか、覚えてんのか?」
「味? いや、ぼくが意識失ってる間に遠子の薬を使ったって聞いたから。目がさめたらすごく元気になったし、これはいいぞって思って」
「うん……まぁ、元気にはなるっちゃなるんだが」
「いい職場だね、ここ」

 唐突に話題が変わり、もごもご言っていた才は顔を上げる。ゼロは入口の方を見ていた。

「才の周りにいる人も、いい人たちだし」
「……まぁ、な。そこらへんは恵まれてるっつーか」
「でもそれは才が今できることとちゃんと向き合って、選択して来たからなんだ。才は、偉いよ」
「何だよ急に。気持ちわりーな」
「うん。ぼくは未来ばかり気にしてたから、今起きてることが見えてなかったんだなって思っただけ。――それじゃぼくも、もう行くね」

 ゼロは言って、テーブルの下に置いていたトランクを手に取り立ちあがる。

「別に、しばらくここに居たっていいだろ? お前の家だって場所も取らねーんだから。マスターにだって許可もらってる」
「もう仕事は終えたし、食事もおごってもらったからさ」
「みんなに挨拶くらいしてかねーのかよ」
「才からよろしく言っといて」
「ちょっと待てって!」

 その間にも、ゼロは歩きだしている。才もあわてて後を追った。

「またお前、今までみたいな生活に戻るのか? 別に、それが悪いとは言わねーけどさ」
「戻るけど、戻らない」
「は?」
「ぼくも、もうちょっと今に向き合ってみようと思ったんだ。やれることを――そうだ、早速何か料理も作ってみようかな」
「お、おう……」

 面食らう才を見て、ゼロは面白そうに笑う。

「色々やってみて、それで自分でも少しいい感じだって思えたら、また遊びに来るよ。いいかな?」

 その明るい表情を見て、才は胸の中にあった小さな塊のようなものが、すっととけた気がした。十年前の思いがけない出会いと約束。それが果たされた今、お互いの中で確実に何かが変わったのだ。

「おう、もちろんだ。待ってるぜ!」

 才も笑顔を見せる。ぎこちなく合わせた拳がぶつかり、痛いと言って二人でまた大笑いをした。
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