第33話  待っているのは……

文字数 1,672文字

 手術の終わりを待つ家族の待合室に戻ると、景色はすっかり変わっていた。
 静かな部屋で、テレビが大音量で鳴っている。
 その中で目についたのが、三十代らしき男女だった。兄妹なのか夫婦なのか、向かい合いコンビニ弁当を突いている。太った男の腹は異様にせり出し、弁当がまるでミニチュアだ。女はスマホでしきりにメールを打ち、合間に箸を動かす。二人に会話はない。
 隣のテーブルに陣取る男の胸元には、ごつい金のネックレスが光る。右の小指にかまぼこ型の指輪が収まり、なぜかその指だけ爪が長かった。意図的に先を鋭く尖らせているあたり、まさに凶器だ。左右にはべる若い衆は、なにも考えていない顔でスマホをにらむ。
 ネックレスはどこかに電話をかけると、ふんぞりかえった。
「舎弟の嫁がくも膜下出血で、今手術受けているところなんす。朝から大変だったんすよ。舎弟が今日、都合がつかなくて、俺が出てきたんすけど」
 手術の多い時間帯なのか、ひっきりなしに人が来た。初は朝とは別の場所に席を取った。
 横は一族で集まったらしいグループだった。車椅子の品のよさそうなご婦人から、よちよち歩きの幼児まで、顔を寄せてはひそひそと、なにやら話している。時折かかってくる電話に、慌てて廊下に出ることもある。
 そこにやって来たのは大学生風の、地味目な女子だった。室内にチラッと目を走らせると、カバンから文庫本を取り出した。
「よかったらどうぞ。座れますよ」
 席をつめ、初が勧める。女子は笑顔で腰掛けた。
 だれも見ていないテレビだけが無意味に騒がしかった。しかし無音よりマシかもしれない。家族の心の重さとテレビの軽さが、絶妙なバランスなのだと初は気づいた。
「納安久(のあく)さん……納安久さんのご家族の方、いらっしゃいますか」
 ブルーの手術着の医師が、紙袋を手に現れた。立ち上がった家族とカウンセリング室へ向かう。
 医師との面談を終えた家族から漏れ聞こえる話では、手術室の一つは脳関係専用のようだ。医師が手にする茶色の紙袋からは、コーヒーでも出てきそうだが、実際は摘出した検体、つまり脳の一部が入っているという。
「どんな感じ?」
 振り返ると乃津麻が、疲れた様子もなく立っていた。
「六時でいいって言ったのに。もう来たの?」
「そうだけど、家にいても落ち着かないから」
 初は心の中で舌打ちし、雑誌を閉じると乃津麻に席を譲る。
 待合室の様子は刻々と変わっていた。あっという間に弁当を終えた男女はテレビに見入っている。ネックレスの男は、まだ話し中だ。大家族はくたびれた顔で、もう囁き合いもせず、読書女子は静かにページをめくる。
 ついにネックレスが電話を切った。
「まだ時間がかかりそうだな」
 それを合図に両脇の男と席を立つ。男たちの姿が見えなくなると平和が訪れた。
 入れ違いにやって来たのは、小ぶりなブーケを持った女二人組だ。花束が造花なのは、生花が禁止されているからだろう。
 書類を片手に、看護師が顔を出した。
「堂奈(どうな)さんのご面会の方はどちらですか」
「はい」
 スーツを着た二人連れの男が手を挙げる。
「点野(てんの)さんのご面会の方は?」
 テーブルを挟み、スーツ組の向かいに座ったブーケの女が無言で掌を見せた。
「堂奈さんと点野さんは同一の方ですか」
「そうです」
 四人は声をそろえたが、顔見知りではないようだ。二つの顔を持つ人物が手術室にいるのだろう。
 多国籍の繁華街が近いせいか、この病院では患者も待合室も、一味違っていた。
「初、隣が空いたわよ」
 部屋の隅にもたれていた初を、乃津麻が呼びに来た。
「ねぇ、まだかしらね。お腹空いたわ」
 耳元で、乃津麻はいかにも不機嫌な声を出す。
 スマホを取り出せば、まもなく五時。いつもなら夕飯を始める時間だ。
 来なくてよかったのに、と文句の一つも言いたいところをぐっとこらえる。
「もうちょっとだよ、お母さん。あと一時間ぐらいかな」
「もう帰ろうよ。お腹空いた」
 本気なのだろうか? 大手術を受ける夫を置き去りにするのか。
 あまりに子供じみた乃津麻は、不気味な生き物だった。
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