第15話  理想の主治医

文字数 2,707文字

 父を見張りに行く、とともに宣言した翌日の午後、初は思いを胸に実家に向かった。
 リビングでは倅三が、いつものようにソファでゴルフ番組を眺めている。人の気配に振り向くと、目を細めた。
「初か、どうした? よく来たな」
「今日から弾が出張だから、私もぶらぶらしようと思って。元気そうだね、お父さん。気候もいいし」
 自慢できる腕前ではないが、倅三は仲間としばしばゴルフに行く。以前、運よくホールインワンを出した経験もある。
 入院でコンペを一つ逃したから早くコースに戻りたい、と退院祝いの会食でも楽しみにしていた。減った体重は戻せていないようだが、顔色は悪くない。
「お母さんは? 上にいるの? ちょっとは部屋の片付けをしてもらわないとね。どこもかしこもぐちゃぐちゃでしょ」
「お母さんはやらないな、片付け。俺も言っているけれど、ちっとも言うことを聞かないよ。
 今日はなにかの会があって、さっき着物で出かけたよ。着物だってあちこちに吊ってあって、わけがわからないな」
「お父さんは今日、どうしていたの? 外の空気、吸った? ずっとテレビではないでしょ?」
「歩いたよ、一時間ぐらい。いい汗かいたよ」
 初が子供のころ、倅三は夕方、ジョギングをしてから仕事に出かけていた。ダンベルや腹筋台を使った筋トレも熱心で、健康への気遣いがあった。
「初、アメリカじゃ太っていると出世しないらしいぞ。自分の体重が管理できないやつが、部下を管理できるはずないって」
 聞きかじった話をしばしば披露し、肥満は悪とばかりに嫌っていたものだ。
 それがいつのまにか体を動かさなくなり、腹が出た。服を買い替えた、そのころには、太った自分も気にならないようだった。
 倅三は半世紀以上、ヘルシーとは程遠い食生活を送っていた。
 昼はブラックコーヒー一杯で、夕方四時ごろ、軽く最初の食事を家でとる。二回目は仕事に出たあと夜十時ごろ、こってりしたもので小腹を満たした。
 さらに夜中の二時過ぎに帰宅すると、朝方まで晩酌だ。
 ラーメンと焼肉が大好きで、仕事中の腹ごしらえはラーメン屋で済ますことも多かった。車の止めやすいファミリーレストランやコンビニも早くから利用し、「おでんが結構うまいよ」と、うれしそうだった。
 タクシー運転手という職業柄、意識して運動しなければ、歩くことはあまりない。
 そうした長年の不健康な食生活と運動不足の蓄積が、三年前の狭心症につながった。その際の検査でわかった軽い腎臓病と糖尿、今回のすい臓がん疑惑も、不摂生の結果だと初はにらんでいる。
 倅三の運動不足を心配し、乃津麻は以前から、家の周りを散歩するよう勧めていた。
「忙しくて暇がない」と倅三は散々面倒がった。しかしがんかもしれないと知らされ退院してからは、ほぼ毎日、なぜかウォーキングに精を出している。
「お父さんね、好き嫌いがあんなに激しかったのに、野菜を食べるようになったのよ。変われば変わるものね」
 と、珍しく乃津麻の機嫌はよかった。

 聞こえの悪い倅三は、リモコンでテレビのスイッチを消すと、改まった。
「断っておくけれど、手術はしないよ。お母さんもそれでいいと言っているし、それに……」
 連絡せずに初が訪れた目的は悟られていた。
「その話はひとまず置いておこうよ。まずは検査をして、外科の先生の話を聞いてから決めたら? 手術できると決まったわけでもないのに断ることを考えても意味ないよ。
 まずは、がんでした、手術できるから取りましょう、って言われるかどうか。言われたら、どういうつもりで手術を勧めるのか、それを聞かないと」
「しかしなぁ、痛い思いをして一年ぐらいしか生きられないようじゃなぁ……」
「そこだよね、問題は。三年、五年は元気ですよ、ってことならやったほうがいいけれど……。とにかく外科の先生の話を聞こう、ね?」
 初は布バッグから書類をもったいぶって取り出した。
「ほらこの人、お父さんがもらってきた紙に名前があった外科の城市(じょうし)先生。この人から話を聞くなら、この人が切るはずだよ。
 城市さんはこの科のトップだからね。『日本外科学会認定医・専門医・指導医で日本胆膵外科学会高度技能指導医』だって。
 難しい手術のやり方を他の医者に教える立場の人だから。腕に間違いはないと思うよ」
 将加医師は倅三にメモを持たせていた。そこには、「外科の先生から手術のお話を聞いてほしいです、城市先生がお話しします」とあった。
 初は病院のホームページを調べ、担当医一覧の顔写真とプロフィールを印刷していた。城市医師の紹介欄を丸で囲んだ書類を渡すと、ほう、と倅三は感心した。
「そうだな、腕は問題なさそうだな」
 子供のころから手を動かして物を作るのが、初は好きだった。デザイン事務所で働いていたときの縁で、捨てられた不用品を用いた造形作家になったが、もう一つ得意なのはリサーチだ。
 学生時代、最初に選んだバイト先は法律事務所だった。リサーチャーとして裁判の証拠固めに必要な調べ物をした。
 以前から気になることは徹底的に調べる癖があったが、このバイトでリサーチの腕に磨きがかかったことは間違いない。
 今回の問題が起きてからは、膵臓がんについてはもとより、かかっている大学病院の症例数や評判、主治医の学歴、経歴、専門から学会発表、論文といった業績まで、徹底的に調べ上げている。人柄まではわからなくても、医師の実力を把握したかったのだ。
 初が医者に求めるものは、真面目さと最新の医学を追い続ける探究心だ。特に外科医には手先の器用さと鍛錬、なにが起きても動揺しない豪胆さが必要だと思う。
 友だちつき合いするわけではない。友人として物足りない性格でもかまわないが、最低限慎重であってほしい。
 すべてを満たす医者が一体どれくらいいるか知らないが、父の主治医へ求める理想は高かった。
 もし手術となれば、執刀医と目される城市医師は旧帝大に属する国立大学出身だ。しかるべき経歴がある上に競争の激しい大学病院で医長にまで出世し、高度技能指導医でもある。大事な父の命を託すには不足がないと、この点で不満はない。
「お父さん、外科医の説明が納得いくようなら、手術がいいと思うよ。もし再発しても、周りも本人もやるだけのことはやったと感じられるでしょ? 
 でもやらなかったら必ずあとで後悔するって。しかも手遅れになってからね。やっぱりあのとき手術しておけばよかったって、絶対思うから」
 信頼する娘の話を最後まで聞くと、倅三は口を開いた。

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