第45話  蘇り

文字数 1,706文字

 採血とレントゲンを終えると、初は倅三と待合室に戻った。
 再び永遠にも思われる時間を過ごした末に、倅三はやっと点滴にありついた。
 倅三の腕に管をテープで止めながら、看護師はにこりともせず言った。
「観社さん、点滴が終わるまで待合でお過ごしくださいね」
「どれくらいかかりますか? 父は疲れているので、ベッドで過ごさせてあげたいのですが」
「先生の指示では二時間ですね」
「二時間も! 点滴をぶら下げて、あの硬い椅子に座って待てと?」
「部屋が空いたらお呼びします。今日はなんだか具合の悪い人が多いみたいで……。横になっていただく場所がないのです」
 理不尽な扱いにはたいてい黙っていない初も、これには返す言葉がない。
 やっと空いた処置室に倅三が横たわったのは、午後一時半だった。食欲はなかったが、初は病院内のコンビニに向かった。
 歩きながらスマホの画面をちらっと見る。栄養指導の時間が迫っていた。消化器内科の医師に頼み込み、急遽入れてもらった予約だ。
 ものを食べる時間はなかった。初はペットボトルのお茶だけ買って一気に飲み干す。一息ついた感じがした。

 栄養指導室は手書きの看板のかかる、間に合わせのような部屋だった。栄養士はまず、タウンページのような栄養補助食品の冊子を初の前に置いた。軽くめくると、おいしそうな料理がいっぱいで、昼を抜いた初には目の毒である。
 倅三の症状は珍しくないのか、栄養士は初の説明に驚きもせず口を開いた。
「開腹手術を受けた場合、内臓が回復するのに二、三カ月はかかります。ですから、一回の量を少しにして、食べる回数を増やしてください」
「少しでも食べると、お腹がすかないらしいのですが」
「できる範囲で努力することですね。膵臓への負担が少ないのは、ご飯やパン、それに脂肪の少ない肉か魚という組み合わせです」
 こともなげに言うが、ご飯やパンは問題ないにしても、肉も魚も脂の乗ったものを好む倅三には難しい注文だ。
「それから、体重は手術前に比べて確実に減りますよ。十から十五パーセント減で済めばいいほうです。減った体重は一年、二年かけて少しずつ戻す感じですね」
 結局、食欲がないとうなだれる倅三が喜びそうな、これといった秘策は聞けなかった。
 ただ、消化機能の回復に二、三カ月かかるなら、手術後間もない今、かつてのようにもりもり食べられないのは当然だ。減った体重をすぐに戻そうと強いる乃津麻のやり方は、無理なのだ。
 少量でもバランスよくカロリーが摂れる栄養補助食品は、魔法のようだった。カロリーアップのために使う消化のよいオイル、喉越しよく栄養や水分を補えるドリンクやゼリー……。冊子を眺めながら、好奇心旺盛な初は、自分も試そうと目星をつける。
 倅三には、一度いいと思えば取り入れる柔軟性はある。と同時に、年配者にありがちな、新しいことに手を出しにくい習性も持ち合わせている。
 倅三を説得し、しばらくこうしたものでしのいでもらおう。栄養士の話を聞きながら、カタログの端を折り、初はよさそうな商品に印をつけた。

 倅三の部屋に戻ると、枕元に立つ木香薇医師が目に入った。終わりそうな点滴を調べ、ベッドの横で倅三に話しかけている。初を認めると軽く会釈した。
「観社さんはご飯が食べられないそうですね。脱水ぎみなので、カロリーと水分が摂れる栄養剤を出しましょうか。腸に負担をかけないものですから心配ないですよ。
 それから、調子がよくなっても、念のため、あさって来ていただけませんか?」
「そうだなぁ……」
 倅三は相変わらず歯切れが悪い。
「顔を見せに来たらいいじゃない、お父さん。別に用事はないでしょ?」
「そうしていただけると、こちらも安心できますし」
 畳みかけられてやっと、来院することを約束した。
 点滴を終えた倅三には血色が戻っていた。背筋も伸び、来たときとは別人である。
 会計を済ませ、処方箋の栄養剤を買うため、向かいの院外薬局を訪れる。
 天井から吊り下げられたテレビに映るのは、五時のニュースだった。初はテレビの前に立ち尽くす。
 家を出たのは午前八時四十分だ。丸1日つぶれてしまったらしい。
 どうりで疲れるわけだった。

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