第20話  告知

文字数 1,744文字

 診察室から名前が呼ばれたのは、城市先生を待ちたい、と受付に伝えた直後だった。
 初は思考を巡らせた。
 希望がかなったとは考えにくい。思いがけず手が空いた? そんなはずはないだろう。
 となると、待っているのは桐鯛医師か。
 桐鯛医師に、あなたではなく城市先生から話を聞きたい、と伝えるのは角が立つだろうか? あるいは桐鯛医師の説明中、父の顔が曇るようなら、城市先生に代わってもらうとか?
 素性の知れない桐鯛医師はどんな人だろう。横柄だったり、口下手だったりしたßら台なしだ。
 座って考えていてもラチはあかなかった。
 誰であれ、とにかく会おう。
 そう決めて立ち上がる。
 診察室にいたのは、今しがた見つけた写真の人物、桐鯛医師だった。
「どこまで聞きましたか。わからないことはありますか? 遠慮なく質問してください」
 どことなく試されている気がした。医師に落胆が伝わり、気を悪くしたのかもしれなかった。
 初は観念してメモを読み上げた。
「ステージ三ぐらいのすい臓がん、完治が見込める治療は手術。手術については外科の先生から話を聞くように。ほかには、抗がん剤、なにもしないという選択肢もある」
「ステージは手術をしないとわかりません。現段階ではステージ不明です」
 と桐鯛氏は引き取った。
 説明の内容は将加医師の話と大差なかった。通常二ミリぐらいの膵管が、倅三の場合、二十ミリに肥大していた。
「観社さんは普通のすい臓がんとは少し違います。ご病気はIPMNと呼ばれる種類です。最初は良性で、モノによっては悪性化します。
 今回の場合は、膵管の中にできる主膵管型IPMNです。これは悪性の可能性が極めて高いです。
 現段階では非浸潤がんでステージ不明。たとえ浸潤があっても、飛ぶリンパは決まっていますが」
 桐鯛医師はテキパキ話すと、手にしたボールペンで、紙にたらこのような形の膵臓を描く。そして膵頭と呼ばれる部分をグリグリと幾重にも囲い、「主膵管型」と下に添えた。
 IPMNの日本語訳は「膵管内乳頭粘液性腫瘍」である。膵管内のポリープからどろっとした粘液が作られ、膵管が拡張する病気だ。
 すい臓の背骨のような主膵管にできるタイプと、枝分かれした分岐膵管にできる種類がある。主膵管型はがん、分岐膵管型はその一歩手前の状態が多いらしい。
「観社さんのようなIPMNは、がん化していてもたいてい膵管の中に留まっています。今回も非浸潤がんの予想です。ポリープを残さないように切除すれば、ほぼ完治します。
 手術はまず、十二指腸、胆管、腸の一部を切り取り、膵臓を真ん中ぐらいで切断する。それから腸を引き上げて膵臓と胆管、胃袋をつなぐ、といった感じです。
 正式名称は、亜全胃温存膵頭十二指腸切除術になります」
「時間はどれくらい、かかりますか」
 知っているはずのことを、倅三がおずおずとたずねる。
「八時間ぐらいです。お腹を開けて、中のものを切り取るのに四、五時間。さらにつなぐのに三時間です」
「難しい手術だと聞いています。先生は年間どれくらいこの手術を手がけていらっしゃいますか」
 初が気にしているのは、桐鯛医師らの技術が十分かどうかだ。技量の判断には扱う症例数が一つの目安になると、どこかで読んだ記憶があった。
「膵頭の手術に限れば年間に二十例ほどです」
「同じチームで、ですか」
「はい」
「何人ぐらいの」
「四、五人ですね」
「父は大きな手術を負担に感じているようです。手術以外の、たとえば抗がん剤での治療はどうでしょう?」
「観社さんの場合は腎臓があまりよくなくいので、抗がん剤の解毒が十分にできません。必要量を使えないので効果を見込めないですね」
 医師は改めて倅三に向き直った。
「生きたいと思ったら、手術を受けるのが最善です」
 桐鯛医師の説明は不思議に心地よかった。
 強気な姿勢と自信、多少のアクシデントには動じそうにない落ち着き。白い歯や、軽くウエーブのかかったヘアスタイル、品のいい革のドクターシューズから、ボールペンを挟んだ長く綺麗な指まで、初には好ましく思えた。
 つまりはすぐに、この人なら倅三や乃津麻を不安にさせないと確信したのだった。
 ふと静寂が訪れた。
 もうだれもなにも、聞くことはない。
 ただじっと、倅三の発言を待った。
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