第10話  なにもわからない

文字数 2,700文字

 手術以外の有効な治療法はないかと、初はさらにキーを叩いた。
 放射線は手術後に残った微細ながんを叩くために用いる。手術できない場合もこれに頼るようだ。
 放射線単体では根治が望みにくいので、できる場合はとにかく手術、が基本らしかった。
 ここまで調べてひらめいた。
 手術しても二年以内に再発し亡くなる? それは大袈裟ではないか。
 どこかにきっと救いはあるはずだ。
 手術して長らえている患者を探すが、膵臓がんの闘病ブログ自ほとんどない。やっと見つけても、「ステージ二と言われ手術を受けたらステージ四だった」などとある。闘病記が赤裸々に綴られているのが切ない。
 最後の投稿に「父は○月×日に旅立ちました。ご愛読ありがとうございました」と挨拶があり、見なきゃよかったと苦い気分になった。
 とそこにメールの着信音がした。ともからだ。
「お父さんの調子はどうですか? 
 先日はありがとう。
 あの人はすっかり居ついてしまいました。
 不用品を取りに来て。
 都合のいい日を教えてね。
 裁判の件はどうしたものか思案中。 とも」
 芽の居場所を作るため、檀の部屋を片付けるようだ。使えそうなものはもらって、と言われている。
 そういえばともの離婚した夫は医者だ。なんで思い出さなかったのか。
 倅三の膵臓がん疑惑と手術についてどう思うか、個人的な考えでいいから聞いてもらえないか。そう急いで返信したところ、日付が変わるころに知らせが来た。
「連絡が取れたので転送するね。
 でもやつは耳鼻科だから怪しいぞ。
 近々飲もう!  とも

↓以下転送
『初さん、お久しぶりです。お父様の件、ご心配でしょう。
 八十歳で合併症あり、なら術後の回復を考えると、自分の親なら手術はさせません。
 がんが小さければ年齢的に進行が遅いのではないでしょうか。
 とはいえがんなので、最後は緩和療法です。
 見守るご家族は辛いと思います。
 保険適応外ですが免疫療法も、あるにはあります。
 ただ、どこまで有効かは不明です。
 ところでどちらの病院におかかりですか?
 術後の回復次第では入院が長引く可能性があります。
 八十歳の患者様に大手術を勧めるのは、相当な自信とお見受けします。
 取り急ぎ。  檀』」

 自分の親なら手術を受けさせないのは、うまく行っても体力の回復が想像以上に大変なのだろう。がんとの戦いは、不具合は治療すればいい、と簡単に片付けられるものではなさそうだ。
 初は過酷な闘病を覚悟したが、「緩和療法」が気になった。
 つい数日前、末期がん患者を追ったテレビ番組を見た。家族が静かに見送る患者の最期に、積極的治療はない。痩せ細り、痛みと闘う患者、家族の姿は痛々しく、涙を誘った。
 手術をしてもしなくても、最後はああなるとしたら……。想像だけで苦しくなる。
 初には1日1日が長く感じられた。すぐに検査をしてすぐに結果が知りたい。がんだったらどう治療するのか? 方針が立てば気持ちを支えられるだろう。しかし現状は、なにもわからず宙ぶらりんで、一日中不安と闘っていた。

 乃津麻から電話があったのは、将加医師の説明から三日後の朝だ。
「あんたのお父さん、検査は受けないって。これから病院に断りに行くってよ。今、お父さんに代わるから。ちょっと、お父さーん」
 受話器を遠ざけ倅三を呼ぶ声が耳に響く。
「はいはい、初か。元気か?」
「どうしたの、お父さん。検査を受けないの? 気が変わった?」
「うん、もういいだろう、検査は。手術もしないし」
「手術しないならそれはそれでいけれど。検査だけは受けたほうがよくない? だってがんじゃないかもしれないよ。はっきりしないから調べましょう、ってことだから」
「いやー、検査を受けたらそのままの流れで手術になるだろう。検査だけってわけにはいかないよ」
「そんなことないって。検査の結果が出たら、そのとき考えて返事をするの。もしがんじゃなかったら安心できるでしょ? 検査ぐらい受けたら?」
 もしがんだったら……は口にできなかった。
 検査すると手術になる、と言い張る倅三。検査と手術は別の話、と粘り強く繰り返す初。
「じゃあ検査だけは受けるか」
 と倅三がやっと容れると、初は持ちかけた。
「明日ね、食事の前に地格野医院に行こうよ。先生に話を聞いてみたら? こう言われたのですがどう思いますか、って。
 それから明後日は別之クリニックね。二軒行けば違う意見を聞けるかもしれないよ。そうしない?」
 検査結果を聞くときまでに、結論は出しておくべきだ。
 がんだった場合に手術を受けるのか、それとも別の道を選ぶのか。
 後日返事をして、そこから手術日を押さえるのでは、手遅れだろう。
 とはいえ先日の主治医の話だけでは圧倒的に情報不足だった。検査日すら決められない倅三のことだ。主治医を捕まえ、突っ込んだ話を聞けるはずがない。
 初は病気や治療のイメージをネットでつかんだつもりだ。デジタルに疎い倅三には、身近な医者の声を聞かせてやりたい。
 人生の一大事をどう考えたらいいか。それがわかれば、少しは安心するだろう。
 かかりつけ医への訪問には、そうした意図があった。
 別之クリニックは乃津麻のかかりつけだ。
 息子に院長を譲った八十過ぎの大先生は、患者のおしゃべりに嫌な顔をせずつき合うらしい。週一回の診療日には、「婆さんの行列」ができるとかで、乃津麻もその一人だと倅三は笑う。
 乃津麻は自分を美人でかわいいと思っている。別之医師はそれを見抜いて調子を合わせる。乃津麻は本気で容姿を褒められていると疑わない。母のそうした女であろうとする部分が、初には気持ちが悪かった。
 あの親切な別之先生なら、父のことも親身になってくれるのではないか。そんな勘が働いた。
 一番望ましいのは手術して根治を目指すことだ。しかしまず検査結果や医者の意見を集めるのが先だ。その結果、手術をしないと決めるのなら、決断を尊重する。
 問題はそうした場合、倅三がどのように衰弱するのか。初には想像できない。多くのがん患者のように、痛みと闘いげっそり痩せ細るのか。家族はどう見守るのか。ほかに道はないのか。
 在宅での看取りの様子をテレビは追っていた。倅三の家の近くでは、どんなサービスを頼めるのだろう。
 かかりつけ医に話を聞くのは、その取りかかりでもあった。
 相槌を打ちながら聞いていた倅三が、大きく息を吸った。
「そうだな、じゃ、そうするか」
 初の誘いは受け入れられた。
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