第5話 やって来たのは大荷物と……?
文字数 1,869文字
ともの好物の豆菓子を携え、初は家を訪ねた。庭の菜の花がひときわ美しい午後だった。
昭和の雰囲気を残す玄関は初のお気に入りだ。そこには、先だって見かけた引越しの名残か、段ボールが山積みになっていた。
「すごいね、この荷物。どこから来たの? お取り寄せ? わかった、檀と復縁したとか」
「まさか。これはあのひとのしわざ。全部お洋服みたいよ。さ、上がって。初は細いから通れるよね」
「あのひとって、お母さん?芽 さんお元気?」
壁と段ボールの隙間をすり抜け、庭に面したリビングのいつもの席に着く。
「また話し中だわ」
とともが電話をいらだたしげに切った。
「いきなりあのひとが送りつけた段ボール、いくつあると思う? 十三よ、十三箱。電話しても話中か留守電か、電波の届かないところにいるらしいわ。ふざけているわよね」
「またなにかやらかしたの? なんだろうね、今度は」
怒った勢いでともは席を立った。お茶の用意でもするのだろう、鉄瓶で湯をわかし始めた。
ともは中学生のころから、母・芽を「あの人」と呼んでいる。はじめ義母かと思ったが、血の繋がった実母だ。
父は商社マンで、二つ下の妹・とこが一歳になったころ、一家はウィーンに移り、かの地で七年過ごした。
芽が新興宗教に走り出奔したのは、帰国後、ともが中学一年の秋だ。家の切り盛り一切がこの長女に降りかかり、人生が変わった。ウィーン時代が一番幸せだったと、ともは今でも懐かしむ。
芽が家を出たときの記憶は初にもあった。
ある日、料理を始めたのだ、とともが開けた弁用箱には、ご飯にゆで卵、ハンバーグ、ほうれん草とくし切りのトマトが色よく並んでいた。
初は目を見開いた。
「すごいね、これ自分で作ったの? 早起きして? もしかして料理にハマっている?」
「ご飯を炊いて、卵はゆでた。ハンバーグとほうれん草は冷凍だし、案外簡単だよ。初の分も作ってあげようか」
と平然としていたが、聞けば、母親がいなくなったと白状した。土日は洗濯と掃除が待っているし、スーパーの特売にも並ばなくてはと、それまでよく一緒に出かけていた原宿もご無沙汰なわけだ。
父親は仕事でほとんど家にいないらしかった。お金の心配はなさそうだ。しかしたわいのない話で騒ぐ級友になじめない様子で、顔つきも急に大人びた。
不幸は続くものだ。
三年後、父親が愛人宅で倒れ、搬送先の病院で死亡した。同じ学校に入学したとこは、まだ中二だ。姉妹は今後を相談し、母を呼び戻すことにした。
芽はかつて芦屋のお嬢様だった。敷地に川が流れる豪邸で、何人ものお手伝いさんにかしずかれて育ったという。そのせいか、家事は自分以外の誰かの仕事という考えだ。ウィーン時代は移民のお手伝いさんがいたが、帰国後はともの父が家事を担った。
専業主婦の芽はおしゃれして、よくふらりと出かけた。行き先はわからない。初めはすぐに戻ったが、だんだん帰りが遅くなり、ついに家出となった。
夫の死後、三年ぶりに戻ったが、時代遅れのお嬢様奥様は相変わらずだった。
「しょうがないから家事は妹と分担してやっているよ。呼び戻さなくてもよかったけれど、未成年だけだと不便でしょ。銀行とか、学校の保証人とかさ。
家長となる成人の肉親は確保しておきたい。でも勝手に教団に寄進されないようお金の管理は自分たちでやる。お飾りよ、あのひとは。幸い父がお金を残してくれたから、あのひとを養うぐらいは大丈夫」
と大人顔負けの高校一年生だった。
ともがお茶を入れる手元を眺めながら、初は当時を思い出していた。
数年前からともはハーブに凝っている。庭で育てたレモングラスやミント、バジル、フェンネルなどを、料理やお茶に使う。ハーブはドライではダメらしい。やはり生が一番と、そこはとものこだわりだ。
ガラスポットで色よく出してから、薄口のカップに注ぐ。穏やかなカモミールの香りが心地よい。そこに蜂蜜を垂らし、お茶受けの豆菓子を木の器に載せた。
「とも、私、昨日、父の病院に行ったのよ。そうしたら……」
「ちょっと待って。今、ピンポンが鳴ったよね。玄関に誰か来たのかな」
「また段ボールだよ、きっと。それか、タンスとベッドとソファとダイニングテーブルかもしれない」
初の言葉にニヤッとしたともが、よそ行きの声でインターフォンに応えた。
「私よ、私、開けてちょうだい」
親しげというより馴れ馴れしい声が響く。そのまま玄関に走ったともは、勢いよくドアを開けた。
昭和の雰囲気を残す玄関は初のお気に入りだ。そこには、先だって見かけた引越しの名残か、段ボールが山積みになっていた。
「すごいね、この荷物。どこから来たの? お取り寄せ? わかった、檀と復縁したとか」
「まさか。これはあのひとのしわざ。全部お洋服みたいよ。さ、上がって。初は細いから通れるよね」
「あのひとって、お母さん?
壁と段ボールの隙間をすり抜け、庭に面したリビングのいつもの席に着く。
「また話し中だわ」
とともが電話をいらだたしげに切った。
「いきなりあのひとが送りつけた段ボール、いくつあると思う? 十三よ、十三箱。電話しても話中か留守電か、電波の届かないところにいるらしいわ。ふざけているわよね」
「またなにかやらかしたの? なんだろうね、今度は」
怒った勢いでともは席を立った。お茶の用意でもするのだろう、鉄瓶で湯をわかし始めた。
ともは中学生のころから、母・芽を「あの人」と呼んでいる。はじめ義母かと思ったが、血の繋がった実母だ。
父は商社マンで、二つ下の妹・とこが一歳になったころ、一家はウィーンに移り、かの地で七年過ごした。
芽が新興宗教に走り出奔したのは、帰国後、ともが中学一年の秋だ。家の切り盛り一切がこの長女に降りかかり、人生が変わった。ウィーン時代が一番幸せだったと、ともは今でも懐かしむ。
芽が家を出たときの記憶は初にもあった。
ある日、料理を始めたのだ、とともが開けた弁用箱には、ご飯にゆで卵、ハンバーグ、ほうれん草とくし切りのトマトが色よく並んでいた。
初は目を見開いた。
「すごいね、これ自分で作ったの? 早起きして? もしかして料理にハマっている?」
「ご飯を炊いて、卵はゆでた。ハンバーグとほうれん草は冷凍だし、案外簡単だよ。初の分も作ってあげようか」
と平然としていたが、聞けば、母親がいなくなったと白状した。土日は洗濯と掃除が待っているし、スーパーの特売にも並ばなくてはと、それまでよく一緒に出かけていた原宿もご無沙汰なわけだ。
父親は仕事でほとんど家にいないらしかった。お金の心配はなさそうだ。しかしたわいのない話で騒ぐ級友になじめない様子で、顔つきも急に大人びた。
不幸は続くものだ。
三年後、父親が愛人宅で倒れ、搬送先の病院で死亡した。同じ学校に入学したとこは、まだ中二だ。姉妹は今後を相談し、母を呼び戻すことにした。
芽はかつて芦屋のお嬢様だった。敷地に川が流れる豪邸で、何人ものお手伝いさんにかしずかれて育ったという。そのせいか、家事は自分以外の誰かの仕事という考えだ。ウィーン時代は移民のお手伝いさんがいたが、帰国後はともの父が家事を担った。
専業主婦の芽はおしゃれして、よくふらりと出かけた。行き先はわからない。初めはすぐに戻ったが、だんだん帰りが遅くなり、ついに家出となった。
夫の死後、三年ぶりに戻ったが、時代遅れのお嬢様奥様は相変わらずだった。
「しょうがないから家事は妹と分担してやっているよ。呼び戻さなくてもよかったけれど、未成年だけだと不便でしょ。銀行とか、学校の保証人とかさ。
家長となる成人の肉親は確保しておきたい。でも勝手に教団に寄進されないようお金の管理は自分たちでやる。お飾りよ、あのひとは。幸い父がお金を残してくれたから、あのひとを養うぐらいは大丈夫」
と大人顔負けの高校一年生だった。
ともがお茶を入れる手元を眺めながら、初は当時を思い出していた。
数年前からともはハーブに凝っている。庭で育てたレモングラスやミント、バジル、フェンネルなどを、料理やお茶に使う。ハーブはドライではダメらしい。やはり生が一番と、そこはとものこだわりだ。
ガラスポットで色よく出してから、薄口のカップに注ぐ。穏やかなカモミールの香りが心地よい。そこに蜂蜜を垂らし、お茶受けの豆菓子を木の器に載せた。
「とも、私、昨日、父の病院に行ったのよ。そうしたら……」
「ちょっと待って。今、ピンポンが鳴ったよね。玄関に誰か来たのかな」
「また段ボールだよ、きっと。それか、タンスとベッドとソファとダイニングテーブルかもしれない」
初の言葉にニヤッとしたともが、よそ行きの声でインターフォンに応えた。
「私よ、私、開けてちょうだい」
親しげというより馴れ馴れしい声が響く。そのまま玄関に走ったともは、勢いよくドアを開けた。