第11話  覚悟

文字数 2,182文字

 立ち寄ったデパ地下には、一足早く端午の節句が訪れていた。
 柏餅に、菖蒲や兜、若鮎をかたどった練り切り。季節の和菓子が店頭で競い合っている。少し迷ってから初は、結局日持ちのする焼き菓子を無難に求める。品物を受け取ると、足早に改札口に向かった。
 大磯の家から片道二時間半、往復五時間の日帰り帰省はひと仕事だ。
 しかしこの日は東京にホテルが押さえてあった。
 というのも、地格野医院を訪れたあと、弾も交えて倅三の退院祝いをする予定だ。気分よく飲んだ夜、弾は電車で帰ることを嫌がる。都内のビジネスホテルに宿を取るのはそういうわけだ。
 親との会食なのだから実家に泊まればよさそうだが、ことは簡単ではない。結婚の挨拶にと初たちが寿司屋に招待したときしか、乃津麻は弾に会っていない。音人の嫁とも似たり寄ったりだ。
 かといって婿や嫁を嫌っているわけでもなかった。ただ単に、よく知らない人と話をするのが煩わしいらしい。
 そんなわけで協調性とは無縁の振る舞いを、大人げなく通している。今日の快気祝いも、「私は行かない」と予想通りの返事だった。
 なぜ婿や嫁を家に上げさえしないのか。お茶ぐらいいいではないか。と初の前で倅三が聞いたことがあった。
「家が汚いから。よその人なんか家に上げられないわ」
「じゃ片付ければいいじゃないか。そんなに広い家ではないよ。すぐ終わるだろう」
「片付けたくない」
 乃津麻の答えはこんな調子で、初は実家との交流に乃津麻を含めるのをあきらめた。今では人当たりのいい倅三と三人で食事に行っている。
 こうしたいきさつから、初一人なら実家に泊まれても、弾が一緒だとダメなのだった。

 デパートの包を膝に置き、電車に揺られて初は思う。倅三と地格野医院や別之クリニックを訪れることを、乃津麻がよく思わないのではないか。
 ほんとうは乃津麻にも来てほしかった。しかし偏屈な母は医者巡りにつき合わないだろう。そのため乃津麻には、午後の行動を直接伝えていない。
 かかりつけ医に意見を求める、と倅三が説明している可能性はある。しかしよくよく考えるうち、初からも一言伝えたほうがよさそうに思えてきた。
 とそのときだった。
「急停止します、おつかまりください」
 車内にアナウンスが流れ、電車が止まった。若い女性がとっさにつり革を掴み、よろけた。
「ただいま安全確認をしております、しばらくお待ちください」
 普段の感じから、こうなるとすぐには運転再開しない。隣のスーツの男が鞄から電話を取り出す。それに続き、初も父に連絡する。
 最寄りの駅に着いたとたん、初は一目散に駆け出した。小さな公園の角を曲がれば、数軒先の家から倅三が出てくるところだった。
「走らなくていいよ。お前から電話をもらって、先に行こうと思ったんだ。ちょうどよかった」
 乃津麻に断りを入れるつもりが機を逃した。
 気の早い倅三と出かけると、地格野医院はがらがら。すぐに呼び入れられた。
「あれからどうなりましたか、観社さん」
 倅三に椅子を勧めると、地格野医師はさっそくたずねる。三年前、心臓の不調を見つけたのも、今回、大学病院に送ったのもこの医師だ。
「すぐに行けって先生が紹介状くださったでしょ。その足で出かけたら、即入院ですよ。二、三日前に帰って来たところです。えらい目に会いました」
「やっぱり大動脈解離だった?」
「それが……」
「今日うかがったのはその件です。実は膵臓がんじゃないかと言われまして。詳しい検査を勧められています。
 私は娘の初です、父がいつもお世話になりまして」
 デパートの紙袋ごと菓子折りを差し出す。
「どうぞお気遣いなく」
 医師は一旦辞退したが、再度勧められるとついに収めた。
 大まかな経緯を初が話し、手術についてのご意見と自宅療養の可能性についてうかがいたい、と伝えた。
「自宅での介護は大変ですよ。家から笑いが消えますからね。うちは膵臓がんの家系です。ここを開業した父も、父方の祖母も膵臓がんでした。
 父のときは、母と、近所に嫁いだ私の妹二人、マンパワーが計三人ありました。私はまだ勤務医でしたが診療後には手伝っていましたからね。
 それでも介護はきつかった。いつも誰かが家にいないといけない、夜中でも起こされる。
 二十四時間、三六五日病人を抱えるのは、実際しんどいですよ」
 ちやほやしてもらえないからか、乃津麻はこの医師を毛嫌いしている。乃津麻の説明から、高圧的で嫌味な医者を想像していたが、実際は気取らず率直な人だ。
「父が亡くなって最初の正月に、家族で映画に行きました。どうということのない作品ですが、みんなでゲラゲラ笑ってね。久しぶりに笑ったねぇ、って言い合ったぐらいです」
「そんなにきつかったのですね。うちでも在宅看護となると母が大変だと思います。私もときどき手伝いに来るつもりですが」
「お母様お一人では無理ですよ。あなたが同居して、お二人でも難しいでしょうね。人生奪われますから」
 初はギクリとした。がんで療養するなら、父には住み慣れた家で最期を迎えさせたい。
 しかしそのために、自分の人生を投げ出せるか? 夫を顧みず父のためにすべてを捧げられるのか? 
 そう問われれば、もちろん、と言い切れる覚悟はなかった。
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