第25話  呪い

文字数 1,796文字

「ありがたいお話です、芽さん。ぜひ母に相談させてください」
 迷惑な気持ちを隠し、初はくっきりほほ笑み頭を下げた。
 乃津麻と芽は容姿から性格まで、一見どこにも接点がない。ただよく考えると、目に見えない力に心を寄せるところは同じだった。
 芽はかつて、二人の娘を家に残し宗教に走った。乃津麻の場合は祈祷師である。
 あれは初の大学受験のときだった。入試を終えた翌日、乃津麻に連れられ、怪しい建物を訪れた。エレベーターのない雑居ビルの五階まで息を切らせて上がると、表札のない扉から老女が迎えた。
「この子が大学に受かるか、聞いていただけないでしょうか」
 その女は祈祷師とのことだった。
 案内された白い部屋で、呪文のような言葉を怪しく唱える。最後に初の頭上で気合を入れると、厳かに口を開いた。
「今、決めている最中だと、神様がおっしゃっている」
 ばかばかしくて笑えない初の横で、乃津麻は大真面目にうなずく。
「それでは、合格するように、神様に頼んでいただけませんか」
 祈祷師は手を振りかざし、再び呪文に戻る。
「神様に頼んでおいた。どうなるかは五分五分とのことだ」
 ありがたそうに白い封筒を渡すと、乃津麻は気が済んだのか、さっぱりした顔を見せた。
 合格発表の日、初の受験番号はなかった。乃津麻は別の祈祷師に行き、うわずった様子で帰った。
「あんた、名前を変えたほうがいいって。名前が悪いから落ちたってよ。そうじゃないかと思ったのよね。この中から選びなさい、ほら、このリストから」
 他の家ではどうなのかと、マックでともに話した。
「初も大変だね。信仰は自由だけどさぁ、家族を振り回さないでほしいよ。勘弁してって感じ」
 ストロベリーシェイクとフライドポテト。ノートと教科書とシャープペン。あのときわかり合えるのはともだけだったと、初は思い出す。
 翌年、初は初のまま、志望校に受かった。改名の件はなかったことにしたのか、乃津麻は騒がなかった。
 
「ママ、私たち話があるから。お部屋でゆっくりしていて」
 お盆に乗せたカップとお茶菓子を、ともが持たせる。
「ごきげんよう」
 芽は素直に軽く会釈し、優雅に出て行った。
「芽さんが祈祷って言うから、受験のときを思い出しちゃった」
「今、決めている最中、ってやつ」
「よく覚えているね」
「くだらないことは忘れない」
「うちの母親は気まぐれだからなぁ。覚えていないよ、きっと。
 でも芽さんの祈祷の話をしたら、お願いして、って言うかもしれない」
「初のお母さんも困った人だよね。ほら、変なお見合いの話もあったでしょ」
 乃津麻は二十代になった初をいつもだれかと比べていた。かつてのママ友に道で遭遇した日は、目を輝かせて報告した。
「すみれちゃん、もう結婚したらしいわよ。はるかちゃんは今度二人目が生まれるんだって」
 それに引き換えあなたは……と必ず続くのだ。
 あるとき乃津麻は上機嫌で帰ってきた。
「あんたにぴったりの人、紹介してもらえるって。会ってみなさいよ。地方の資産家で、奥さんを亡くした六十代の方」
 初を早く追い出したいのは明らかだった。パシリ同然だった娘が、思い通りにならなくなり、目障りなのだ。
 こんなこともあった。プロ野球選手の年棒がニュースになると、乃津麻はこれみよがしにため息をついた。
「あんたと同い年なのに、みんな何億も何十億も稼いでいるのよねぇ。うちとは大違い」
 母親の言葉に意味はない。単なる気まぐれ、思いつき。そうわかっていても、初には受け流せなかった。
 なぜこの人はいつまでも、私の人生に口出しするのか。なぜプロ選手の収入を私に求めるのか。
 腹が立つ一方で、自慢の娘でなく申し訳ないと、思ってしまうのだ。
「祈祷師やら、トンチンカンな見合いやら、初のお母さんも相当だけど、うちのあのひとはふらっと出ていくのが問題。さらに問題なのは戻って来ることだけど」
「寅さんみたいに」
「そんなにカッコよくはない。ただ、戻ったらかわいそうになる。それでついドアを開けちゃうの。ほかに行く所がないからさ。ひどい目にあって、顔も見たくないのにな」
 芽の話をすると、ともは必ず最後にこう締めた。
「でもね、なにをされても忘れちゃうの。私、バカだから」
 ともの気持ちは染みるほどわかる気がした。
 なぜ傷ついてもダメな母親に尽くしてしまうのか。
 それは愛でなく、母にかけられた呪いのせいだと初は知っていた。

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