第9話 逡巡
文字数 2,529文字
「ちょっと寒いわね」
たまりかねた乃津麻がカーディガンを羽織る。初は医師にことわりエアコンのスイッチを切った。気づけば初の手からも熱が逃げ、冷え性の倅三も薄いパジャマ一枚で体を冷やしているに違いなかった。
ところが五分もしないうちに乃津麻は、バッグから出した扇子をせわしなく使いはじめた。
「エアコン、止めると蒸すね」
窓のない部屋で、誰にともなく初が漏らす。膵臓がんで大手術という思いがけない話に、頭は興奮、体は冷え、もはや暑いのか寒いのか、わけがわからなかった。
乃津麻は例の癖でキーホルダーのアクセサリーをもてあそび、乾いた鈴の音を微かに響かせていた。
「やっと退院できると思ったのに……。今度はがんだなんて、お父さんもついていないわね」
「お母さん、むしろラッキーだよ、今見つかって。
先生のおっしゃる検査は、お父さんに受けてもらわないとね。心配ないものかどうかわからないから」
乃津麻への慰めだが、倅三の胸にも届けたかった。
倅三は痩せこけた顔を上気させ、おもむろに口を開いた。
「それで、検査はいつ受けられるのですか?」
「検査枠はけっこう先まで埋まっていますが、調べてみましょう。……そうですね、MRIは来週水曜の午後四時か、土曜の午前十一時。できものの一部を採取する生検は、翌日の日曜に入院で、月曜に実施。問題がなければ火曜には退院です」
コンピューターから目を離した医師は、倅三たちに向き直った。選ぶのは水曜の午後か、土曜の午前か。
「お父さん、どっちがいいの?」
倅三は腕組みしたまま、ため息まじりにうめくばかり。乃津麻に迫られても答えられない。
「土曜がいいよね? 電車もすいているし。平日のその時間だと帰るころは通勤ラッシュでもみくちゃにされるよ。どう思う、お母さん」
「そうよねぇ」
「病院も土曜はすいていますよ。あまりお待たせしないはずです」
「じゃ、土曜にしてください。それでいいでしょ、お父さん。決めちゃうよ」
ようやく初が決断し、倅三は退院後一週間で、新たな病気と取り組むことになった。
将加医師はコンピューターで検査の予約を入れると、さっき描いた膵臓の絵を裏返した。なにやら書き込み倅三に渡している。横からのぞくと、「膵頭に25ミリの腫瘍、手術で切り取れる」とある。
駅で両親と別れた途端、初は体から力が抜けるのを感じた。
数日前、膵臓に影があるかもしれないと聞かされたときにはショックはなかった。だがこうやって医師から説明を受け、手術の話まで具体的になると、平常心ではいられない。
医師は「悪いものかもしれない」と表現し、決して「がん」とは言わない。しかし話を聞くほど、医師たちが、検査結果の分析に関わった人までも、がんと確信しているらしかった。
膵臓がんはがんの王様、と知ったことも疲れの原因だろう。
初は膵臓がんについて調べていた。進行するまで症状がなく、見つかったときには手遅れでなす術がない。手術できても多くが再発し亡くなる。非常に厄介な病だった。
病気の性質が恐ろしい以上に初が恐れるのは、倅三が治療を受けない可能性があることだ。というのも、三年前の狭心症のときも裏では一悶着あったらしいのだ。
つまり、当初は純冠医師から冠動脈バイパス術を勧められた。体内から取り出した血管を、細くなった冠動脈に繋ぐ大がかりな手術だ。
ところがその後の検査で、倅三の冠動脈は元から細かったと判明する。バイパス術を受けてもまた詰まるリスクがある。
医師は方針を変更し、体に負担が少ないステント留置術を持ちかけた。ステントと呼ばれるメッシュの管で、細くなった血管を広げる手術だ。部分麻酔で太腿の付け根からステントを送り込むオペは、数時間で終わる。倅三の入院は二回、一回につき二泊三日で済んだ。
もし当初のバイパス術だったら受けなかった、と両親から聞いたのはだいぶ経ってからだ。
「親父やお袋、兄貴だって七十代で死んでいるわけだから。遺伝的に俺もそんなものだよ」
倅三は淡々としていたが、狭心症の手術を断わり、危険な冠動脈を放置するつもりだったのか? 致命的な心臓発作を待ちたかったのか? 初は憂鬱になったものだ。
病気や治療の話には、もう年だからと倅三は逃げ腰になる、大病の経験がないせいか、厳しそうな治療や手術を極端に恐れた。
それが自然、それが寿命、と倅三は思い込んでいるようだが果たしてそうか?
ギリギリ四十代、まだ若いつもりの初には、体の不具合は治療するだけだ。医学は日々進歩している。最先端の医療に身を任せ、攻めの治療を受ければ病は克服できる。
本当の寿命はその先に訪れる穏やかな死に違いない。
倅三にはそんな風に命を全うしてもらいたいと願っていた。
提案されている手術は、いくつもの臓器を切り取るものだ。倅三はことさら嫌がるだろう。
しかしまだがんと決まったわけではない。とにかく検査を受けてもらい結果を聞こう。
でももしがんとわかったら、やっぱり手術から逃げそうだ……。
ぐるぐると同じ疑問が頭を駆け巡る。
医師から話はなかったが、膵臓がんには他にどんな治療法があるのか。
家に戻ると真っ先にパソコンに向かった。
インターネットには安心できる情報はなかった。
膵臓がんについてわかったのは、根治療法は手術。しかし発見されたときには手遅れが多い。手術後2年以内に再発、死亡の可能性も高い……。
手術が可能かどうかはがんの大きさによるようだ。20ミリが一つの基準らしい。医師から渡されたメモには「膵頭に25ミリの腫瘍、手術で取り切れる」とあった。そんなことが思い出された。
手術ができるとなると、問題は再発だ。隣接している臓器にがんが広がっているか? 転移しているか? 現状では腫瘍の状態はわからない。
やはり検査を受け、結果を待つしかなさそうだ。
八時間の手術を受ければ体力が戻るのに時間がかかるだろう。それなのに2年もしないで再発して亡くなるのなら、手術の意味はあるのか?
いくら考えても頭が熱くなるばかりで、答えは出なかった。
たまりかねた乃津麻がカーディガンを羽織る。初は医師にことわりエアコンのスイッチを切った。気づけば初の手からも熱が逃げ、冷え性の倅三も薄いパジャマ一枚で体を冷やしているに違いなかった。
ところが五分もしないうちに乃津麻は、バッグから出した扇子をせわしなく使いはじめた。
「エアコン、止めると蒸すね」
窓のない部屋で、誰にともなく初が漏らす。膵臓がんで大手術という思いがけない話に、頭は興奮、体は冷え、もはや暑いのか寒いのか、わけがわからなかった。
乃津麻は例の癖でキーホルダーのアクセサリーをもてあそび、乾いた鈴の音を微かに響かせていた。
「やっと退院できると思ったのに……。今度はがんだなんて、お父さんもついていないわね」
「お母さん、むしろラッキーだよ、今見つかって。
先生のおっしゃる検査は、お父さんに受けてもらわないとね。心配ないものかどうかわからないから」
乃津麻への慰めだが、倅三の胸にも届けたかった。
倅三は痩せこけた顔を上気させ、おもむろに口を開いた。
「それで、検査はいつ受けられるのですか?」
「検査枠はけっこう先まで埋まっていますが、調べてみましょう。……そうですね、MRIは来週水曜の午後四時か、土曜の午前十一時。できものの一部を採取する生検は、翌日の日曜に入院で、月曜に実施。問題がなければ火曜には退院です」
コンピューターから目を離した医師は、倅三たちに向き直った。選ぶのは水曜の午後か、土曜の午前か。
「お父さん、どっちがいいの?」
倅三は腕組みしたまま、ため息まじりにうめくばかり。乃津麻に迫られても答えられない。
「土曜がいいよね? 電車もすいているし。平日のその時間だと帰るころは通勤ラッシュでもみくちゃにされるよ。どう思う、お母さん」
「そうよねぇ」
「病院も土曜はすいていますよ。あまりお待たせしないはずです」
「じゃ、土曜にしてください。それでいいでしょ、お父さん。決めちゃうよ」
ようやく初が決断し、倅三は退院後一週間で、新たな病気と取り組むことになった。
将加医師はコンピューターで検査の予約を入れると、さっき描いた膵臓の絵を裏返した。なにやら書き込み倅三に渡している。横からのぞくと、「膵頭に25ミリの腫瘍、手術で切り取れる」とある。
駅で両親と別れた途端、初は体から力が抜けるのを感じた。
数日前、膵臓に影があるかもしれないと聞かされたときにはショックはなかった。だがこうやって医師から説明を受け、手術の話まで具体的になると、平常心ではいられない。
医師は「悪いものかもしれない」と表現し、決して「がん」とは言わない。しかし話を聞くほど、医師たちが、検査結果の分析に関わった人までも、がんと確信しているらしかった。
膵臓がんはがんの王様、と知ったことも疲れの原因だろう。
初は膵臓がんについて調べていた。進行するまで症状がなく、見つかったときには手遅れでなす術がない。手術できても多くが再発し亡くなる。非常に厄介な病だった。
病気の性質が恐ろしい以上に初が恐れるのは、倅三が治療を受けない可能性があることだ。というのも、三年前の狭心症のときも裏では一悶着あったらしいのだ。
つまり、当初は純冠医師から冠動脈バイパス術を勧められた。体内から取り出した血管を、細くなった冠動脈に繋ぐ大がかりな手術だ。
ところがその後の検査で、倅三の冠動脈は元から細かったと判明する。バイパス術を受けてもまた詰まるリスクがある。
医師は方針を変更し、体に負担が少ないステント留置術を持ちかけた。ステントと呼ばれるメッシュの管で、細くなった血管を広げる手術だ。部分麻酔で太腿の付け根からステントを送り込むオペは、数時間で終わる。倅三の入院は二回、一回につき二泊三日で済んだ。
もし当初のバイパス術だったら受けなかった、と両親から聞いたのはだいぶ経ってからだ。
「親父やお袋、兄貴だって七十代で死んでいるわけだから。遺伝的に俺もそんなものだよ」
倅三は淡々としていたが、狭心症の手術を断わり、危険な冠動脈を放置するつもりだったのか? 致命的な心臓発作を待ちたかったのか? 初は憂鬱になったものだ。
病気や治療の話には、もう年だからと倅三は逃げ腰になる、大病の経験がないせいか、厳しそうな治療や手術を極端に恐れた。
それが自然、それが寿命、と倅三は思い込んでいるようだが果たしてそうか?
ギリギリ四十代、まだ若いつもりの初には、体の不具合は治療するだけだ。医学は日々進歩している。最先端の医療に身を任せ、攻めの治療を受ければ病は克服できる。
本当の寿命はその先に訪れる穏やかな死に違いない。
倅三にはそんな風に命を全うしてもらいたいと願っていた。
提案されている手術は、いくつもの臓器を切り取るものだ。倅三はことさら嫌がるだろう。
しかしまだがんと決まったわけではない。とにかく検査を受けてもらい結果を聞こう。
でももしがんとわかったら、やっぱり手術から逃げそうだ……。
ぐるぐると同じ疑問が頭を駆け巡る。
医師から話はなかったが、膵臓がんには他にどんな治療法があるのか。
家に戻ると真っ先にパソコンに向かった。
インターネットには安心できる情報はなかった。
膵臓がんについてわかったのは、根治療法は手術。しかし発見されたときには手遅れが多い。手術後2年以内に再発、死亡の可能性も高い……。
手術が可能かどうかはがんの大きさによるようだ。20ミリが一つの基準らしい。医師から渡されたメモには「膵頭に25ミリの腫瘍、手術で取り切れる」とあった。そんなことが思い出された。
手術ができるとなると、問題は再発だ。隣接している臓器にがんが広がっているか? 転移しているか? 現状では腫瘍の状態はわからない。
やはり検査を受け、結果を待つしかなさそうだ。
八時間の手術を受ければ体力が戻るのに時間がかかるだろう。それなのに2年もしないで再発して亡くなるのなら、手術の意味はあるのか?
いくら考えても頭が熱くなるばかりで、答えは出なかった。