第116話 ヒルダ
文字数 1,912文字
ミュラーとヒルダ。
相対した二人は立ち上がり、構えを見せる。
一人は細身だが上背180センチほどの巨躯の持ち主、ミュラー。
対照的にヒルダの上背は160センチ程度、四肢も鍛え上げているが、その華奢な身体つきはまだ十代後半の少女であることを物語っている。
ヒルダは左拳を前に突き出し、利き足を後ろに下げて、腰を低く構える。
洗練されて隙が無く、その構えの姿はどこか騎士道を感じさせるような気品さがあり、威風堂々としたものであった。
対するミュラーは体術の経験はない。
だが修羅場は幾度も潜ってきた。
ヒルダに背中を向けるように腰を捻り下ろし、利き足を前に出し、抜刀するような構えを見せた。
対峙する二人の全身から溢れんばかりの気 が立ちこめる。
ヒルダの茜色の瞳からはミュラーの手元が隠れて見えた。
ミュラーの構えを見た時、ヒルダは一目でミュラーが元来は剣を使い、体術に関しては素人だと見抜いた。
しかしヒルダはこの相対する男が素人にしては臆することなく、堂々と構えて見せているのが気がかりだった。
ミュラーの獲物を狙う猛獣を想起させるような構えに、鋭い眼光。
ヒルダは思う。
先手必勝でこの男を倒すのは容易いはず。
しかしその独特の構えと気配が気に掛かる。
まずは相手の出方を伺うか……。
ヒルダがそう思案している時に、ミュラーは仕掛けた。
ヒルダの視界が土埃で遮られる。
ミュラーが稽古場の土を抉り蹴ったのだ。
一瞬だが、ヒルダの視界が奪われる。
ヒルダは奇襲が来ることを警戒し、上下左右に防御する姿勢を瞬時にとった。
不意打ちの一撃を捌き、カウンターで倒す。
土埃の影から自身の右上に攻撃の気配を感じたヒルダはその一撃をいなす。
しかしそれは叶わなかった。
捌くはずの一撃の違和感、手ごたえ。
気付けば捌くための右腕が胴着で絡められていた。
狡猾なミュラーは仕掛けていた。
土埃で視界を奪う、その一瞬に上着を脱ぎ、それでヒルダの腕の自由を奪う。
ミュラーの狙いはそれだけではない。ミュラーはヒルダの出立ちを見て、実戦の経験が乏しいことを悟った。
なら想定外の攻撃に戸惑うはず。
そのヒルダの怯む、その刹那の時間を奪い。
そこに一撃を喰らわす。
狙うは相手の急所の一撃。
ヒルダに肉薄し、手刀で容赦なく首を切り裂く。
しかしミュラーの右手手刀は空を切った。
ミュラーは確かにヒルダの意表を突いた。
しかし、ヒルダも体術に幾年もの歳月をかけ、その技術の研鑽をつづけた。
例え不意打ちで心を奪われても、途方もない鍛錬で昇華されたヒルダの身体が、左腕がミュラーの不意打ちを華麗に捌き、そのガラ空きの胴体に渾身の蹴りを叩き込む。
その蹴りのあまりの威力に、ミュラーは巨竜に体当たりを喰らったかのような衝撃を覚え、稽古場の壁へと叩きつけられる。
蹴りの凄まじさにミュラーは痛みより先に、心が怯む。
あんな華奢な身体でなんて威力の蹴りだ。
気 の量、質、技術のケタが違う。
かろうじて立ち上がるミュラーを見て、ヒルダは再び構え直す。
そしてキッと顔を引き締めて、満身創痍のミュラーを睨みつける。
私としたことが……。
もう油断も慢心も捨て去る。
全力で目の前の男を倒す。
そして呟く。
「瞬脚」
ヒルダの両足に気 が集中し、解き放たれる。
ミュラーは見た。
ヒルダの足が一瞬宙に舞うのを。
足裏と地の間を滑るように、あっという間に離れていたミュラーとの距離を詰める。
接近を許したとミュラーが不覚に思った時、すでにミュラーの意識は喪失していた。
ヒルダの肘打ちがミュラーの側頭部に直撃し、ミュラーはなす術なく卒倒してしまった。
混濁した意識の中で、上座にいたはずのカインの声が響きわたる。
「聞こえるか、ミュラー? お前は弱い。オレの弟子に一発も当てられないぐらいにな。こいつだって七大聖魔の足元に及ばないぐらいの強さだ。この程度で伸びてたら、死んだ仲間も浮かばれんぞ」
カインが胴着に着替えて、身体をほぐす。
その様子を見て、倒れたミュラーの側にいたヒルダが不思議そうに尋ねる。
「師範、何をしてるんですか? この男の稽古なら私が……」
「弱すぎる! オレはせっかちだからな。さっさとコイツを鍛え上げる。死んでも文句言うなよ、ミュラー。ヒルダ、聖杯の儀式の準備をしてくれ」
聖杯、この言葉を聞いたヒルダは顔が青くなる。
この男が死んだら、部屋で待っている奥方になんて言えばいいんだ……。
師範がはしゃいで稽古したら死んじゃいました、と言えというのか……。
ヒルダは意識を失っているミュラーを見て、普段信じていない神様に祈りを捧げた。
相対した二人は立ち上がり、構えを見せる。
一人は細身だが上背180センチほどの巨躯の持ち主、ミュラー。
対照的にヒルダの上背は160センチ程度、四肢も鍛え上げているが、その華奢な身体つきはまだ十代後半の少女であることを物語っている。
ヒルダは左拳を前に突き出し、利き足を後ろに下げて、腰を低く構える。
洗練されて隙が無く、その構えの姿はどこか騎士道を感じさせるような気品さがあり、威風堂々としたものであった。
対するミュラーは体術の経験はない。
だが修羅場は幾度も潜ってきた。
ヒルダに背中を向けるように腰を捻り下ろし、利き足を前に出し、抜刀するような構えを見せた。
対峙する二人の全身から溢れんばかりの
ヒルダの茜色の瞳からはミュラーの手元が隠れて見えた。
ミュラーの構えを見た時、ヒルダは一目でミュラーが元来は剣を使い、体術に関しては素人だと見抜いた。
しかしヒルダはこの相対する男が素人にしては臆することなく、堂々と構えて見せているのが気がかりだった。
ミュラーの獲物を狙う猛獣を想起させるような構えに、鋭い眼光。
ヒルダは思う。
先手必勝でこの男を倒すのは容易いはず。
しかしその独特の構えと気配が気に掛かる。
まずは相手の出方を伺うか……。
ヒルダがそう思案している時に、ミュラーは仕掛けた。
ヒルダの視界が土埃で遮られる。
ミュラーが稽古場の土を抉り蹴ったのだ。
一瞬だが、ヒルダの視界が奪われる。
ヒルダは奇襲が来ることを警戒し、上下左右に防御する姿勢を瞬時にとった。
不意打ちの一撃を捌き、カウンターで倒す。
土埃の影から自身の右上に攻撃の気配を感じたヒルダはその一撃をいなす。
しかしそれは叶わなかった。
捌くはずの一撃の違和感、手ごたえ。
気付けば捌くための右腕が胴着で絡められていた。
狡猾なミュラーは仕掛けていた。
土埃で視界を奪う、その一瞬に上着を脱ぎ、それでヒルダの腕の自由を奪う。
ミュラーの狙いはそれだけではない。ミュラーはヒルダの出立ちを見て、実戦の経験が乏しいことを悟った。
なら想定外の攻撃に戸惑うはず。
そのヒルダの怯む、その刹那の時間を奪い。
そこに一撃を喰らわす。
狙うは相手の急所の一撃。
ヒルダに肉薄し、手刀で容赦なく首を切り裂く。
しかしミュラーの右手手刀は空を切った。
ミュラーは確かにヒルダの意表を突いた。
しかし、ヒルダも体術に幾年もの歳月をかけ、その技術の研鑽をつづけた。
例え不意打ちで心を奪われても、途方もない鍛錬で昇華されたヒルダの身体が、左腕がミュラーの不意打ちを華麗に捌き、そのガラ空きの胴体に渾身の蹴りを叩き込む。
その蹴りのあまりの威力に、ミュラーは巨竜に体当たりを喰らったかのような衝撃を覚え、稽古場の壁へと叩きつけられる。
蹴りの凄まじさにミュラーは痛みより先に、心が怯む。
あんな華奢な身体でなんて威力の蹴りだ。
かろうじて立ち上がるミュラーを見て、ヒルダは再び構え直す。
そしてキッと顔を引き締めて、満身創痍のミュラーを睨みつける。
私としたことが……。
もう油断も慢心も捨て去る。
全力で目の前の男を倒す。
そして呟く。
「瞬脚」
ヒルダの両足に
ミュラーは見た。
ヒルダの足が一瞬宙に舞うのを。
足裏と地の間を滑るように、あっという間に離れていたミュラーとの距離を詰める。
接近を許したとミュラーが不覚に思った時、すでにミュラーの意識は喪失していた。
ヒルダの肘打ちがミュラーの側頭部に直撃し、ミュラーはなす術なく卒倒してしまった。
混濁した意識の中で、上座にいたはずのカインの声が響きわたる。
「聞こえるか、ミュラー? お前は弱い。オレの弟子に一発も当てられないぐらいにな。こいつだって七大聖魔の足元に及ばないぐらいの強さだ。この程度で伸びてたら、死んだ仲間も浮かばれんぞ」
カインが胴着に着替えて、身体をほぐす。
その様子を見て、倒れたミュラーの側にいたヒルダが不思議そうに尋ねる。
「師範、何をしてるんですか? この男の稽古なら私が……」
「弱すぎる! オレはせっかちだからな。さっさとコイツを鍛え上げる。死んでも文句言うなよ、ミュラー。ヒルダ、聖杯の儀式の準備をしてくれ」
聖杯、この言葉を聞いたヒルダは顔が青くなる。
この男が死んだら、部屋で待っている奥方になんて言えばいいんだ……。
師範がはしゃいで稽古したら死んじゃいました、と言えというのか……。
ヒルダは意識を失っているミュラーを見て、普段信じていない神様に祈りを捧げた。