第103話 上表
文字数 3,061文字
ミュラーとオルマはアルプ山脈を下り、首都トワレまで広がる森林地帯を駆け抜けていた。
リアムの戦死とリアムからの最後の命令、リアムが直筆した報告書を首都にいるテトという占星術師に渡すために。
二人が選ばれたのは単純に足が速かったからだ。アルプ山脈を下山し、首都まで広がる森林地帯を抜けるためにはウマは使えない。
リアムを失い、バリオスの攻撃を受けた状況をブシュロンやアジムート軍のゼニスはなんとか収拾しているが、このままでは次の攻勢に出れない。
リアムの上官に当たる人物に判断を仰がなければならない。
残された人間で無傷で、体力もあり、足も速いミュラーが選ばれたが、ミュラーの人間性に不安の声が上がった為、オルマも付きそう形で選出された。
二人は休むことなく森の中を駆け抜けた。
夜の暗闇の中も松明を使い、ひたすら走り続けた。
バリオスとの戦闘で被った被害は甚大だ。
幸い、チームに死者は出なかったが、ジラールやアーペルが深手を負った。
アジムートの軍に至ってはかなりの死傷者が出ている。
拠点の地下道も二割以上が破壊された。
危機的状況を打破するために、二人は命がけで首都へと向かった。
仲間を救う。
リアムの遺志に応える。
二人はその想いを刻みながら、ただひたむきに走った。
二人の間に言葉を交わす余裕は無かった。
互いが競い合うように広がる森を抜け、激しい雨が降り注いであっても、広大な草原の大地を泥まみれになりながら駆け回った。
道中、ミュラーは最愛の女性が贈った言葉を思い出す。
『走って、走り抜けて』
ミュラーは誓いを守ろうと、並走するオルマを置いて行くつもりで全力で疾走した。
途中、いくつかの関所で検閲されたが問題なく、通された。
首都が近くなるたびに関所の数が増え、警備も厳戒になっていた。
トワレ首都の門番の検閲では入念な身体検査と身分証会で長く時間を拘束された。
その待機時間に二人は疲弊した身体を休ませる。
リアムとテトの名を告げると、門兵は慌てた様子でその場から立ち去った。
それを見たオルマは嘆息し、思った。
まぁ長くは休めないよねー……。
夜の雷雨の中、一台の馬車がミュラーとオルマを迎える。
門兵はこれに乗るようにミュラー達に促した。
雨から逃げるように、馬車に二人は乗り込む。
馬車内には先客の男がいた。
鮮やかな紫色の束帯姿に、頭の上には金色の冠をかぶり、優雅に扇をあおいでいた。
その服装からミュラーは対面しているのが、身分の高い、貴族か、高官の人間だと察した。
ただ長い金髪を纏め、痩せ細り、整った面立ちは軍人とは思え無かった。
束帯姿の男は涼しく、穏やかな顔でミュラー達に挨拶する。
「待たせたな。テトだ。リアムの上司に当たる。まずはあいつの報告書を渡してくれ。それと道すがら事の経緯を君達からも聞かせてくれ」
ミュラーはリアムの手紙を手渡すか迷った。
怪しい、なんか嫌な予感がする。
罠か?
ミュラーの険しい顔から察したテトは懐から通信用の結晶を取り出して、妖艶な笑みを浮かべた。
「安心してくれ、ミュラー君。お前のことはリアムから聞かされている。隣にいるのはオルマ君だね。どうやら疲れて心が乱れているようだ。後でゆっくり休むといい」
示された結晶を見て、ミュラー達は安堵する。
これを持っているのは一握り、しかも味方だけだ。
目の前の男は言う通り、リアムの上官で間違いない。
ほっとしながら、リアムに託された手紙をミュラーは手渡した。
事細かに書かれた分厚い文書を読みながらテトはミュラー達からの報告を落ち着いて聞いていた。
道中、激しい雷が鳴り響いても、テトは平然とし、ミュラー達の言葉に耳を貸しながら、リアムの報告書を集中して読んでいた。
ミュラーとオルマはテトの案内で、なんと王宮まで足を運ぶことになった。
リアムの上官のテトはどうやら相当身分が高い人間のようだ。
落ち着かない様子のオルマにテトは安心させる。
「大丈夫だ。君達は何も話さなくていい。その場にいるだけでいい。その泥まみれの姿を見れば連中も事の甚大さを理解するだろう」
ミュラー達が通されたのは王室だった。
玉座には誰も座っていないが、その隣に煌びやかな甲冑姿の若い娘がいた。
その絢爛な室内にはテトと同じ、束帯を着た男達が並んでいた。
テトは中央まで歩み、そこで拝礼する。
甲冑姿の娘が透き通るような声で呼びかける。
「面を上げなさい、丞相。その占星術から出た予言は何かしら?」
丞相と呼ばれたテトは優雅に面を上げて、涼しい顔は失せ、険しくさせて重い口を開く。
「残念ながら凶報でございます。皇女殿下。このままではこの戦で我が国は滅びかねません。戦況の正しき知らせを上表します」
テトに皇女と呼ばれた娘がリアムの報告書を受け取り、それを静かに読む。
長い静寂が流れた。
そして読み終えた皇女はテトに尋ねた。
「貴方がこの戦いに反対した理由が分かりました。……何か策があるのでしょう? でなければ忠誠心の低い貴方がここに姿を現すはずがないわ」
ミュラー達や室内に控えていた束帯姿の男達が固唾を飲む中、テトは笑みを浮かべて、高らかに声を上げる。
「この都を捨てましょう。南のトゥールまで避難するのです。さすれば一年もすれば戦局は覆ります。ここは遷都を決断なさるべきです」
室内にいた束帯姿の男達がテトの言葉にザワつきだしだ。
皇女と呼ばれた娘は悔しそうな顔を浮かべている。
「この都をグラスランドに明け渡すか……。一年、南で耐えれば勝機はあるのですね?」
テトはニヤリと笑い、扇を優雅にあおぐ。
「これは占星術ではなく、私めが事前に秘めていた必勝の策でございます。一年で多くの血が流れるでしょう。しかし最後に勝つのは我がトワレ。そして皇女殿下はその玉座に座ることとなるでしょう」
テトの言葉に束帯姿の男達は糾弾する。
「不敬な!」
「この不忠者め!」
「売国奴め!」
しかし皇女と呼ばれた娘が剣を床に激しく叩きつけ、その場を一喝する。
途端に周囲が静寂に包まれる。
「……一年あれば勝てるのだな?」
テトがミュラーとオルマを扇で示し、答える。
「私の愛国心よりも、この者達の忠義の証をご覧になりなさいませ。激しい戦場から駆けつけたのです。そしてこの者達が一年、トワレを持ち堪えさせます。民を想うなら、まず民の心を信じるべし」
皇女と呼ばれた娘はミュラーとオルマの泥まみれの姿を見て、悲哀の表情を浮かべた。
「あい、わかった。その策、確かに受け取った。遷都の旨、殿下に伝える。丞相、下がってよいぞ」
その言葉でミュラー達とテトは王室を立ち去る。
王宮内を歩く、ミュラーにテトは軽口を叩く。
「これでリアムと私の策が取れる。軍上層部も王命には逆らえんさ。お前さん達がいてくれて助かった。今日はゆっくり休め」
ありがたい言葉だった。
アルプ山脈を走り抜けるよりも、あの場にいた方が二人は疲弊していた。
頭の中のシグナルが休めと、信号を出していた。
ふらつくミュラーとオルマに、テトは無情な言葉を投げかける。
「明日になったら、さっさとアルプ山脈の砦に戻れよ。あと一年はあの山で頑張って貰う。死ぬつもりで働け」
ミュラーとオルマは堪らずその場から倒れた。
王宮の近衛兵が倒れた二人を寝室のベッドまで引きずっていく様子を愉快そうにテトは眺めていた。
激しい雨が通り過ぎた後の空は、眩い星々が煌いていた。
静かな夜がミュラー達を眠りへと誘った。
リアムの戦死とリアムからの最後の命令、リアムが直筆した報告書を首都にいるテトという占星術師に渡すために。
二人が選ばれたのは単純に足が速かったからだ。アルプ山脈を下山し、首都まで広がる森林地帯を抜けるためにはウマは使えない。
リアムを失い、バリオスの攻撃を受けた状況をブシュロンやアジムート軍のゼニスはなんとか収拾しているが、このままでは次の攻勢に出れない。
リアムの上官に当たる人物に判断を仰がなければならない。
残された人間で無傷で、体力もあり、足も速いミュラーが選ばれたが、ミュラーの人間性に不安の声が上がった為、オルマも付きそう形で選出された。
二人は休むことなく森の中を駆け抜けた。
夜の暗闇の中も松明を使い、ひたすら走り続けた。
バリオスとの戦闘で被った被害は甚大だ。
幸い、チームに死者は出なかったが、ジラールやアーペルが深手を負った。
アジムートの軍に至ってはかなりの死傷者が出ている。
拠点の地下道も二割以上が破壊された。
危機的状況を打破するために、二人は命がけで首都へと向かった。
仲間を救う。
リアムの遺志に応える。
二人はその想いを刻みながら、ただひたむきに走った。
二人の間に言葉を交わす余裕は無かった。
互いが競い合うように広がる森を抜け、激しい雨が降り注いであっても、広大な草原の大地を泥まみれになりながら駆け回った。
道中、ミュラーは最愛の女性が贈った言葉を思い出す。
『走って、走り抜けて』
ミュラーは誓いを守ろうと、並走するオルマを置いて行くつもりで全力で疾走した。
途中、いくつかの関所で検閲されたが問題なく、通された。
首都が近くなるたびに関所の数が増え、警備も厳戒になっていた。
トワレ首都の門番の検閲では入念な身体検査と身分証会で長く時間を拘束された。
その待機時間に二人は疲弊した身体を休ませる。
リアムとテトの名を告げると、門兵は慌てた様子でその場から立ち去った。
それを見たオルマは嘆息し、思った。
まぁ長くは休めないよねー……。
夜の雷雨の中、一台の馬車がミュラーとオルマを迎える。
門兵はこれに乗るようにミュラー達に促した。
雨から逃げるように、馬車に二人は乗り込む。
馬車内には先客の男がいた。
鮮やかな紫色の束帯姿に、頭の上には金色の冠をかぶり、優雅に扇をあおいでいた。
その服装からミュラーは対面しているのが、身分の高い、貴族か、高官の人間だと察した。
ただ長い金髪を纏め、痩せ細り、整った面立ちは軍人とは思え無かった。
束帯姿の男は涼しく、穏やかな顔でミュラー達に挨拶する。
「待たせたな。テトだ。リアムの上司に当たる。まずはあいつの報告書を渡してくれ。それと道すがら事の経緯を君達からも聞かせてくれ」
ミュラーはリアムの手紙を手渡すか迷った。
怪しい、なんか嫌な予感がする。
罠か?
ミュラーの険しい顔から察したテトは懐から通信用の結晶を取り出して、妖艶な笑みを浮かべた。
「安心してくれ、ミュラー君。お前のことはリアムから聞かされている。隣にいるのはオルマ君だね。どうやら疲れて心が乱れているようだ。後でゆっくり休むといい」
示された結晶を見て、ミュラー達は安堵する。
これを持っているのは一握り、しかも味方だけだ。
目の前の男は言う通り、リアムの上官で間違いない。
ほっとしながら、リアムに託された手紙をミュラーは手渡した。
事細かに書かれた分厚い文書を読みながらテトはミュラー達からの報告を落ち着いて聞いていた。
道中、激しい雷が鳴り響いても、テトは平然とし、ミュラー達の言葉に耳を貸しながら、リアムの報告書を集中して読んでいた。
ミュラーとオルマはテトの案内で、なんと王宮まで足を運ぶことになった。
リアムの上官のテトはどうやら相当身分が高い人間のようだ。
落ち着かない様子のオルマにテトは安心させる。
「大丈夫だ。君達は何も話さなくていい。その場にいるだけでいい。その泥まみれの姿を見れば連中も事の甚大さを理解するだろう」
ミュラー達が通されたのは王室だった。
玉座には誰も座っていないが、その隣に煌びやかな甲冑姿の若い娘がいた。
その絢爛な室内にはテトと同じ、束帯を着た男達が並んでいた。
テトは中央まで歩み、そこで拝礼する。
甲冑姿の娘が透き通るような声で呼びかける。
「面を上げなさい、丞相。その占星術から出た予言は何かしら?」
丞相と呼ばれたテトは優雅に面を上げて、涼しい顔は失せ、険しくさせて重い口を開く。
「残念ながら凶報でございます。皇女殿下。このままではこの戦で我が国は滅びかねません。戦況の正しき知らせを上表します」
テトに皇女と呼ばれた娘がリアムの報告書を受け取り、それを静かに読む。
長い静寂が流れた。
そして読み終えた皇女はテトに尋ねた。
「貴方がこの戦いに反対した理由が分かりました。……何か策があるのでしょう? でなければ忠誠心の低い貴方がここに姿を現すはずがないわ」
ミュラー達や室内に控えていた束帯姿の男達が固唾を飲む中、テトは笑みを浮かべて、高らかに声を上げる。
「この都を捨てましょう。南のトゥールまで避難するのです。さすれば一年もすれば戦局は覆ります。ここは遷都を決断なさるべきです」
室内にいた束帯姿の男達がテトの言葉にザワつきだしだ。
皇女と呼ばれた娘は悔しそうな顔を浮かべている。
「この都をグラスランドに明け渡すか……。一年、南で耐えれば勝機はあるのですね?」
テトはニヤリと笑い、扇を優雅にあおぐ。
「これは占星術ではなく、私めが事前に秘めていた必勝の策でございます。一年で多くの血が流れるでしょう。しかし最後に勝つのは我がトワレ。そして皇女殿下はその玉座に座ることとなるでしょう」
テトの言葉に束帯姿の男達は糾弾する。
「不敬な!」
「この不忠者め!」
「売国奴め!」
しかし皇女と呼ばれた娘が剣を床に激しく叩きつけ、その場を一喝する。
途端に周囲が静寂に包まれる。
「……一年あれば勝てるのだな?」
テトがミュラーとオルマを扇で示し、答える。
「私の愛国心よりも、この者達の忠義の証をご覧になりなさいませ。激しい戦場から駆けつけたのです。そしてこの者達が一年、トワレを持ち堪えさせます。民を想うなら、まず民の心を信じるべし」
皇女と呼ばれた娘はミュラーとオルマの泥まみれの姿を見て、悲哀の表情を浮かべた。
「あい、わかった。その策、確かに受け取った。遷都の旨、殿下に伝える。丞相、下がってよいぞ」
その言葉でミュラー達とテトは王室を立ち去る。
王宮内を歩く、ミュラーにテトは軽口を叩く。
「これでリアムと私の策が取れる。軍上層部も王命には逆らえんさ。お前さん達がいてくれて助かった。今日はゆっくり休め」
ありがたい言葉だった。
アルプ山脈を走り抜けるよりも、あの場にいた方が二人は疲弊していた。
頭の中のシグナルが休めと、信号を出していた。
ふらつくミュラーとオルマに、テトは無情な言葉を投げかける。
「明日になったら、さっさとアルプ山脈の砦に戻れよ。あと一年はあの山で頑張って貰う。死ぬつもりで働け」
ミュラーとオルマは堪らずその場から倒れた。
王宮の近衛兵が倒れた二人を寝室のベッドまで引きずっていく様子を愉快そうにテトは眺めていた。
激しい雨が通り過ぎた後の空は、眩い星々が煌いていた。
静かな夜がミュラー達を眠りへと誘った。