第44話 南京城修復の旅再びか

文字数 1,105文字

 就活の一環として蔵書を整理していたら、懐かしい書き物が出てきた。二十数年まえ
黄山、南京城修復を共にした知人「中村さん」が「私の見た中国」を出版した中に当時の
様子が克明に書かれていて、私が、「これ気に入った」と軸を買った様子まで綴られていた。
当の本人は覚えていないのだが。
 団長が古くからの知人だったので、中国の山に夢中になっていた私は、なにの準備も
無しに、話に飛び乗った。今にして知ったのだが、当初は三十人の計画で旅行会社も
日本だったが、決行したのは九人で、窓口も中国、したがって日本から添乗員はついて
いかなかった。しかし、私の他は皆さん中国語が堪能だったので、不自由はしなかった。
 時間があるから、一人旅も苦にならないし、かえって楽しんでいた時代だったので、
集合場所に着いて、団長以外の方には初顔合わせ、深々と挨拶した。女性は一人だった。
 中村さんも黄山には私と同じように感動し、期待した雲海の見えなかった様子も、
黒松も、日の出を見ようとひしめいた様も、感じはおんなじ。
 翌日は夜汽車で南京へ下ったのだ。その汽車にクーラーがないから、現地のガイドに依頼して
差額を支払い箱換えをしてもらったと書いてある。
 私はそんなことは知らないから、辛抱して夜を明かした。ほとんど忘却しているが、あの夜汽車
は、忘れられない。「南京へ下る夜汽車の扇風機」と下手な句を残しているほど不快だった。
 一室四人の寝台車。私は入って右側の下段に寝た。九月と言うのに暑くてムンムンしている。
その上一台の扇風機は老体か、大きな音を立ててゆっくり回っている。眠れないから目を開けると、ゴキブリが、走っている。同室に誰がいたか記憶にない。当時、中国は発展途上であった。
こんなものかと、諦めていた。しかし、四人は箱換えしてもらったと知って、私にはどうして声を
かけてくれなかったのか?今頃不快に思う。
 旅行記によれば、夜汽車は不快で中村さんも一睡もできず体調を壊したとある。お互い様か。
 
 十人十色で人それぞれだが、同じ飛行機に乗り、同じ飯を食っても、思うことも更には書くことも、それぞれである。旅は器に入れる水に等しいのか。単細胞の私は三角柱、中村さんは円柱か
四角柱か、水の形も容量も全く変わった形になる。
 中村さんの視野の広さに感心たり驚いたりしながら、旅よ再びと、中村さんの旅行記を
読みながら思い出を辿っている。
 団長の相原さんもYもKも鬼籍に入ったと聞いた。ひょっとしたら、生存しているのは
中村さんと私だけかもしれない。懐かしくなって電話をかけた。留守電だった。
Fと言ったが、記憶にないかもしれない。今、ワクワクしながら電話を待っている。







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