第28話 蕨とケンちゃん

文字数 1,113文字

 リタイアして農業に精を出している恩師が八ッ頭の種を下さると言うので
久しぶりに故郷を訪ねた。孫が二人お供をしてくれたが、一人はパンパース
持参だ。ケンちゃんと言い「ケンちゃん好きよ」「ばあちゃんシュキよ」が
二人の合言葉だ。
 師の家を辞して実家へ寄ったら、竹の子、蕨、蕗入りの山菜寿司にありつき、
故郷の旬の味に舌鼓を打った。
 パンパースの孫を残して上の孫と兄と3人で浦山へ登った。兄と孫は竹の子を掘り
私は蕨を探したが、すでにたけている。
 どうしても蕨を取りたい私は甥を誘い向かいの蔭山へ登った。
大きな袋と3○センチほどに切ったビニールの紐を用意して、野球帽と地下足袋の出立ち。
 下萌えた杉の木立の下は、木漏れ日がさし空気が冷たくおいしかった。手入れの行き届いた
山の蕨は障害物なしに発芽し成長するから細くて固い。固い芽はもうたけ始めていたが、若い
芽を選びながら山をぐんぐん登る。蕨狩りは、下から上へ向いて蕨と目線を合わせなくては、
見落とすことが多い。30本くらい手折ると、慣れた手つきで束にして袋に入れる。こうして
半時間後いよいよ穴場へ着く。
 茅ぐろの中に太い蕨があるわ、あるわ。秘境の中に足を踏み入れた気分だ。秘境は少しオーバー
でも、新鮮なときめきのひとときだった。
 甥は盛りを過ぎた目は決して摘まないが、私は少々たけていても手折る。過保護に成長していないので、ぐろから出た芽は太くて柔らかいのだ。背が埋まるような茅をかき分け、足場のない斜面を滑りながらよじ登り、ポキ、ポキポキと折る。何という爽やかな音だろう。
世界から蕨と私だけが浮き上がったような気持ちだ。この心地よい音は数十年の歳月を感じさせない昔のままの音だ。束ねる間ももどかしい。茅の中を無尽にかける私を見て甥は「元気だなー」と
感心する「昔とった杵柄」とでも言おうか、我が意を得たりで心身爽快。自信と青春を取り戻したひとときだった。

 蕨と竹の子をどっさり持って帰り、友人にお裾分けするたびに、健闘ぶりを語った。
ケンちゃんは「また行こうね」とご満悦だった。

 袋の蕨の香をかぐとき、ポキ、ポキの音と、手に残っている感触とが重なって、しあわせを
と興奮のうねりの中にいた。

 その夜、奮発して、とっておきのシャンペンを開けようとしたが、コックが抜けない。
技だろうか、力だろうか。仕方がないので外から突き抜いて開けた。ポンと言う音の
変わりにシャンペンにコックの粉が浮いた。
 
 コップの浮遊物を見ているうちに、だんだん一日の興奮がおさまり、自信も先細ってきた。
私をかき立てたものは何だったのだろう。何はともあれ、楽しい故郷の一日だった。

 ケンちゃんは成人して、今は海外で暮らしている。













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